アナザー・コールズ 第一章 現世と異世界


沢原朝人は、保健室のベッドの上に寝かされていた。ここは学校の中である。
その証拠というとやや不適切だが、彼の隣には、恋人の朝霞志乃が制服姿で座っている。
「はっ!」
「朝人さん、目が覚めましたか?」
「あ、うん。僕は大丈夫だけど……」
朝人が、保健室で寝ていたのは理由がある。
いきなり何の脈絡も無く、階段から落っこちてきたどっかのクラスの
ドジな男子生徒から、志乃をかばったからである。そういえば、
自分自身に被害が及ばないように、男子生徒を受け止める際に、
拳打モドキを加えて打ち据えたような気がするが、どっちみち押し潰されたので、一緒である。
むしろ、自分に被害が及んだだけでなく、相手に無用の被害を与えてしまった。
格闘が得意な故の反応というやつである。
おちゃめなミスとも言う。
ちなみに、相手の男子生徒は全治一ヶ月だそうだが、知ったことではない。
落ちてくる方が悪いのである。そういう事にしておこう。
そういう風に、朝人が一人考えていると、志乃が声をかけてくる。
「じゃあ、帰りましょうか。もう授業は終わってますから」
「うん、そだね」
そして、二人は帰路につく。

二人でトコトコ道を歩いていく。
とりあえず、人通りもそんなに多くない静かな路地だ。
二人は談笑しながらのん気に横断歩道を渡った。
「とにかく、病院に行かないと駄目かもしれないな」
「そうですねぇ」
「なぁ、志乃」
「何ですか?」
「腹減った……な?」
そこまで朝人が言った途端、彼は違う場所にいた。
なぜか石畳の床に、馬鹿デカい魔法陣。
でもって、いきなりマントとフードを装備した一人の魔術師風の女性。
どうやら、彼はなんの前触れも感動も感覚もなく、異世界に呼び出されたようだ。
「……は?」
「ようこそ! 魔法世界ガートルードへ!」
「やっかましいわぁぁぁぁぁっ!」
げし。
朝人の靴の裏が、彼女の顔面にめり込んだ。
彼も自分で驚く程の破壊力だったようだ。
「あたた……乱暴な人ですね……」
「やかましうるさいだまれいや黙らんでいいから事情説明しろというか元に戻せ」
「言ってる事が矛盾してます……」
「さーん、にーい、いーち……」
「カ、カウントダウンしながら拳振り上げて迫ってくるのはやめて下さいよう……」
「ゼロほぉぉぉぉい!」
間髪入れず彼は拳を振り上げた。
がっ!
奇妙な叫びをあげた朝人の拳は、女性をわずかに外して、壁を打ち据える。
「ひええ……」
「さて、と……冗談はここまでだ」
暴走気味だった朝人は、ようやく冷静になった。
「冗談ですかそうですか」
「何だよ……その恨みがましい目つきと嫌味なものいいは……」
「いえ、で?」
「で? って……お約束通りのパターンなら、俺はあんたに呼び出されたんだろ?」
色々と事情があるので、志乃とその身内の前では猫かぶっているが、こちらが彼本来の口調だった。
「はい、そーです」
「とにかく、名前も知らないんじゃ、呼び合うのに不便だ。自己紹介しよう」
「ええ」
「沢原朝人だ」
「サワハラアサト? それ、本当に名前ですか? 苗字は何ですか?」
「……分かった、言い直そう。アサト=サワハラだ、よろしく」
「ブリジット=クーパーです。よろしくお願いしますね」
とりあえず、女性の名前はブリジットと判明した。
「紹介ありがとう、ブリジット」
「改めて、ようこそ、ガートルードへ」
「事情を説明してもらえるな?」
「はい」
それから彼女は、アサト達の世界以外に、数多くの異世界が存在する事、
でもって、そのほとんどがそれぞれに異世界の存在を知っている事。
地球に住む人間の中でも、かなりの才能を持っており、しかも無名である事で、
アサトが呼び出された事などを短時間でできるだけ簡潔に話してくれた。
一世代前の人間ならいざ知らず、今の人間達はとにかく順応力が高い。
簡単にアサトはその話を受け入れた。
「で、ブリジットさんよ」
「何でしょう?」
「何で俺なんだ? 俺には、俺と共にいる事を望む人がいる。
その人間の意志を無視して俺を呼び出した。その代償は高いぞ」
「え? そちらにはひょっとして、魔術師さんとかいないんですか?」
「いるかいっ! ンなモンっ!」
「えええっ! それじゃアサトさん、自分の世界に帰れないんじゃないですか!?」
「異世界の存在知っとるんだったら、その辺をもうちょっとでいいから考えんかい!」
「うええええ! ごめんなさぁぁぁぁぁい!」
「泣くくらいなら呼ぶなぁぁぁぁぁっ!」
「うあああああああああああああん!」
「やぁぁぁかぁぁぁまぁぁぁぁしっ!」
どがす!
またも彼の足の裏がブリジットの顔面にめり込む。
「……過ぎた事をとやかく言う気はないから。で? 俺を呼ぶそもそもの原因は?」
「ええと、簡単に説明すると、この世界は四つの国に分かれてるんですね。
その四つの国が、それぞれ地の国、水の国、火の国、風の国と呼ばれてます。
で、つまるところ、あたしは火の国の人間なんですよ。
四つの国はそれぞれ敵対関係にあったんですが、それもある一人の人間の仕業だったんです。
単刀直入に言うと、その人物の討伐のお手伝いを、
格闘の才能のある人に、お願いしたかったんです」
「そうか。で、そいつの名は?」
「ヘティー=マクレガー」
「ヘティー=マクレガー……どんな奴なんだ? 相手によっては、手を貸すぞ」
「い、いいんですか!?」
「ああ。国と国との戦争を誘発するようなドデカい人物に、俺が対抗できるなんて、
なんか知らんが面白そうじゃねぇか」
「ありがとうございますっ!」
「あんたと一緒にいれば、この世界の事も分かる。はっきり言って貴重な体験だし、
ひょっとしたら元の世界に戻る手段も見つかるかもしれん」
「分かりました。じゃ、これを」
彼女は、一本の剣をアサトに手渡した。
「な、何だこりゃ?」
「フレイムセイバーです」
「フ、フレイムセイバー?」
「私達の国自慢の炎の剣です。格好いいんですよ」
「ふうん」
何の気なしに、アサトはフレイムセイバーを抜いてみる。
ごわぁあぁっ!
凄まじい炎がいきなり吹き上げ、アサトの顔をかすめる。
「うわちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃいっ!」
慌てて、アサトはフレイムセイバーを鞘に収める。
「ブ・リ・ジ・ッ・トォォォォォ……!」
「アサトさん、可愛い」
「死ぬれァァァァァァァっ!」
剣を鞘に入れたままで、アサトはブリジットめがけて振り下ろす。
がちぃん!
「ひわわわっ!」
「はー、はー、はー……まあ、いい……」
「?」
「行くぞ。俺はこの世界の事は何も知らんのだからな、案内を頼む」
「は、はい」
こうして、アサトとブリジットのパーティが結成された。
彼等は、魔法陣のあったほこらを出て、外へ出た。

――ほぼ同時刻、魔法世界ガートルードとは別の世界のある場所で、
とある女性は、一人、ボソリとつぶやいた。
「ブリジット=クーパー……私がまだ干渉した事のない世界の人間を呼びましたか……
それならこっちも彼の者の世界に干渉し、その世界の人間の力を見ましょう……」
女性は、アサト達の世界に行くために、移動を始めた。
初めて行く世界だが、そんな事は何の問題にもならなかった。
そして、彼女はある一人の人間と接触した……

それから、しばらく経った後――
二人は、火の国のとある市場にいた。ブリジットの案内でここまで来たのだ。
なかなかの賑わいようで、荷物持ちのおっさんや、バーゲン品を買い漁るおばちゃん、
迷子の子供等、こちらの世界とあまり変わりがない。
「で? さしあたって俺は何をすればいいんだ?」
「そうですねぇ、アサトさんには、とりあえずこちらの服に着替えてもらいましょう」
「こちらの服ってぇと……」
アサトは、ちらり、と辺りを一瞥した。洋品店らしきものが結構ある。
その中の男性の服といえば、一般的なのは、通気性の良いシャツにズボンのようだ。
正直、デザインもこちらの世界の価値観からしたら、かなり古く、二十世紀初頭のようだった。
しかし、今の格好――制服はこの常時高温の火の国では暑くて仕方がないので、
すぐさま服を買って着替えることにした。
「って、俺、こっちの金なんか持ってないってば」
「大丈夫ですよ、あたしが出しますから。こう見えても、私、流れの魔術師で、
収入だって、それなりのものなんですから」
「分かった、頼むぞ」
こうして、ブリジットのお金で、どうにかアサトは暑い制服から解放された。
万が一戻れた時のために、制服を傷ものにするわけにはいかないのだから。
「次は防具ですねぇ……防具を買いに行きましょう」
「防具って、何を買うわけ?」
「そうですねぇ、アサトさんは、鎧を身に着けた経験、ありますかね?」
「俺達の世界は、あまり戦いをしないから、戦闘経験のある人間だって、
全人類の一割に満たないんだよ。そんな世界に生きてきたから、むろんそんな経験は無い」
「そうですか。じゃあ、盾は上腕盾ですね。兜はやめときましょう。
軽いレザーアーマーくらいならなんとかなるんじゃないですかね」
「任せるよ。あまり重たいのも困る」
「はい、じゃあサイズ測るんで、一緒に来て下さい」
「あ、ああ」
そうして、十分後。武装したアサトの姿は、妙に格好良く見えた。
もともと美形といっても差し支えの無い顔形、
でもってそれなりの強そうな雰囲気(実際、才能云々以前にかなり現時点で強い)。
それを踏まえると、十分に戦士の顔つきになっていた。
「か……かっこいい……」
ブリジットがフードの下でポツリとつぶやく。
「げ。ちょ、ちょっと待て、ブリジット。俺にはシノっていう恋人いるんだ、
間違っても俺なんぞに惚れんなよ?」
未だ顔を隠すフードすら取らない人間と付き合う気にはなれないのは、当然である。
「ちぇ、なーんだ。フリーなら交際申し込もうと思ってたのに……」
ブリジットは、本気で残念そうだった。
シノにしてみれば、アサトの事が心配でたまらないはずなのだが、
そのアサトが、こうして異世界の女性にうっかり本気で告白されかかった事など、
知る由もあるまい。
まあ、それを言えば、それこそブリジットの知ったことではないのだが。
正直、冷や冷やしながら、装備品の感触を確かめるアサト。
「……不思議だなぁ、なんか革の鎧なのに、妙に通気性がいいぞ」
「それが火の国の生活の知恵なんですよ、魔術を応用してるんです」
「へぇ」
「ふうん。じゃあ、お前さんの顔を隠してるフードも、そうなんだな」
「そうです。凄いでしょう?」
「ああ、正直驚いた」
ずがぁぁぁぁぁぁぁぁん!
いきなりの爆発。
「地の国だ! 地の国の連中が攻めてきたぞ!」
逃げ惑う市民の声が聞こえる。
「あ、そうか。ガートルードの四つの国は対立中だったんだな、ブリジット」
「はい。けど、近頃はヘティーの存在が明るみに出た事によって、
各国とも戦争中止の兆しが見えてき始めたんですが、でも、なんで地の国の人がいきなり……」
地の国の人間達の声が聞こえてきた。
「助けてくれぇぇぇぇ!」
「へ?」
「い、今確かに、あの軍隊のおっさん達が『助けてくれ』って言ってたよな!?」
「は、はい。けど地の国の軍って、この世界最弱の軍で。ですから、一番立場が弱くて、
戦争をしてたのに、どの国からも哀れに思われてるんだけど……」
「一体、そんな奴等が何に襲われてるってんだ」
彼等はアサト達の横を通り過ぎ、走り去った。その後ろから砂塵が立ちこめる。
「グァァァァァァァァァァ……」
どどどどどどどどどどど……
何か、変な生物がこっちに向かってきている。
頭にドラゴン、胴に熊、翼に巨大鷲、尾にゴリラをくっつけただけのような
デタラメな生き物だった。俗に言う合成獣(キメラ)という奴だろうか。
「げげっ! 何だあの変なのはっ!?」
「キメラです! 援護しますから、戦ってください!」
「ちょっと待て! 勝てるかあんなの!」
「フレイムセイバーがあるでしょう!」
「あ、そーだった。なら……いくぞ、ブリジット!」
「はい。呪文援護します」
ざっ!
二人は、道の真ん中を堂々と疾走してくるキメラの正面に立った。
「強大な炎の弾丸よ! 敵を焼けっ!」
ごうっ!
炎が、キメラを襲う。
「シャギォォォォォォォォン!」
どだだだだだだだだだだ……
キメラはあっさりと逃げ出し、町から去っていった。
「援護……成功!」
「ああいうのは援護と言わんのじゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「きゃああああっ! 許してアサトさぁぁぁぁぁん!」
「だいたいお前は……あれ?」

気が付くと、またも狭い部屋の魔法陣の上。目の前には竜人間と呼ぶべき者がいた。
どうやら、ガートルードとは違う世界のようである。また呼ばれたのだろうか。
「あー……まずは状況整理をしようか……お前は誰だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「うわあああああああ! 何だぁぁぁぁっ!?」
「事情を説明せんかい! おのれはっ!」
「あ、ああ……まずは自己紹介するよ。私は、ドゥーガルド=ネルーダ」
「アサト=サワハラだ。んで? ここはどこだ?」
「竜世界バーナバスだよ」
「バーナバス?」
「うん、そう。なんか、ガートルードに強い人間の存在を感じ取ったから、呼んだんだ」
「呼ぶなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! さらに話をややこしくするなぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ちょ……ちょっほ……首は締めない……で……」
人間に鱗を付けて、竜の頭と翼をくっつけたような生き物にいきなり触るのは、
あんまり気が進まなかったのだが、アサトは、どうしても首を締めずにはいられなかった。
「さらに話をややこしくって……一体どういう事だい……げほっ」
「俺はガートルードの人間じゃねぇんだよっ!」
「えええっ! どういう事だ 君は一体どこの世界の人間なんだ!?」
「地球だっ! 地球っ!」
「チ、チキュー?」
「え? 異世界の事を全部把握してんじゃねぇのか? あんたら」
「無茶言わないでくれよ。それこそ私達の鱗の数くらいある異世界を
 全部把握できるわけがないじゃないか。で、君の世界は何世界かな?」
「何世界って……」
アサトは言い淀んだ。どういっていいかしばし考える。
「科学……世界かな」
「それは珍しい!」
感嘆の声をあげるドゥーガルド。
「科学を中心に動いている世界というのは、かなり少ないらしいんだな、これが」
「へえ……」
「かくいう私も科学には少なからず興味があってね。色々研究したりしてるんだ」
「なるほどなるほど」
「私だけじゃないよ。我々竜人は新境地の開拓に熱を入れてるんだ。
 だから、アサト君にも、それを手伝ってもらいたい。任務は、護衛だよ。
 皆、わりと穏やかに暮らしてるといっても、そこはそれ、
 新境地は物騒な場所も多いんだ。そういった場所を私一人で行くのは危険なんだよね」
「なんだよ、他の竜人とかとは組めねーの?」
「私は、アイテム探しが任務だから、他の竜人達とはちょっと毛色が違うんだ」
「ほほう。もちろん一通り終わったらガートルードに戻せるんだろうな?」
「私には無理だよ、ははは」
「なぁぁぁぁぁぁにぃぃぃぃぃぃっ!」
「だ、だって、しょうがないじゃないか。召喚魔法は簡単だけど、返還魔法は、
物凄く難しいんだよ。私なんかには使えないよ」
「あのなあ! ガートルードに呼び出しやがったブリジットだって、
 俺をちゃんと元の世界に戻す……なんて一言も言ってねーか……
 地球に召喚術士がいなきゃ無理みたいなことを言ってた気がする……」
「そうだろ? そのブリジットって人も、召喚魔法は使えても、返還魔法は使えないんだ」
「あのなあ、ブリジットもてめーも、返還魔法が使えないくせに、
 俺をあっちこっち呼び出すんじゃねぇよっ!」
「そ、そんな事言われても、私は君がガートルードの人間だと思ったから呼び出したんであって……
 あ、そうだ。そのブリジットって人に魔力探知で探してもらえば、
 きっとそのうちガートルードに戻れるって」
「……まったく、しゃーねーな。分かった。手伝ってやるから、面倒は見てくれよ」
「いいよ」
「で、さしあたって、俺は何をすりゃいいんだ?」
「さっきも言った通り、護衛だね。下手に発掘の手伝いをされると、
 発見したアイテムを傷つけられてしまうからね」
「そんなに物騒なんかい。まあ、ガートルードも穏やかじゃなかったけどな」
「あっはっは。それじゃ行こうか。ヴォルカ洞窟へ」
「ヴォルカ洞窟?」
「今、私が発掘作業をしている所だよ。とにかく深くて、
 多くの盗掘団が現れる一番物騒な場所だよ。そこさえ何とかなれば、
 あとは自力でどうにかしてみせるよ。私だって、一応発掘団の一員なんだ。
 そこそこ腕に自信が無きゃやってられないからね」
「おいおい、二人で大丈夫なのかよ?」
「何を言ってるんだい? 一人と二人じゃ、単純に戦力は倍だよ?」
「まあ……違うとは言わんが……」
こうして、二人は外へ出た。
歩くうちに、やたら木が多く、高温多湿の気候であることが分かった。
ぎゃあ、ぎゃあ、ぎゃあ……
熱帯雨林をずかずか先へ進んでいくと、何だか怪しげな鳥の鳴き声とかも
聞こえてくるようになった。はっきり言って、安心して進めたものではない。
「お、おい、ホントに大丈夫か? ドゥーガルド」
「大丈夫だって。可愛いもんだよ、あんなのは」
そう言って、すたすたと歩きつづけるドゥーガルド。
「ほら、見えてきたよ」
そういう彼の指差す先に、異様にデカい入り口がものごっつう目立つ洞窟があった。
「でーかー……」
「なんでも、私達竜人とは違う、純粋な竜族の遺跡なんだって」
「ほほう。だからこんなにデカいんだな?」
「そゆ事。じゃあ行こうか」
二人は急ぎ足で洞窟の中へ入った。
つかつかつかつか……
何物にも見向きもせずに、ドゥーガルドはさっさと先へ進む。
「お、おい、ドゥーガルド。ここら辺の調査はいいのか?」
「いいんだ。私、言ったはずだよ? この洞窟はとにかく深いんだ。
 何故私がそれを知ってるかというと、何回かここを調べたからなんだ」
「一回の探索じゃ無理なほど深いのか」
「そう、今回で確か五回目になるはずだ。今回で終わるといいんだけど」
「思ったより大変なんだな」
「そういう事。それに、もたもたしてると、盗掘団の人達に襲撃されるよ」
「どういう事だ?」
「我々の物資を狙ってくるんだよ。もちろん、発掘アイテムもね。奴等の目当ては、
 物資半分、お宝半分だから、私達を殺すのに、何のためらいも持たないだろうね」
「ふえ〜」
「でも、君もガートルードでゴタゴタ経験したんなら、それなりの力は持ってるはずだよね。
 だったら大丈夫。所詮奴等は戦いに関しては素人なんだから。
 中には、一般市民より弱い奴なんてのもいるくらいだし」
「そうか。じゃあ何とかなるかもな」
「よし、じゃあ先を急ぐよ。今回の調査は地下七階からだ。
 一階一階が、結構広いけど、地道に探索していけば、長期の調査になる事はないはずだからね」
「おっしゃ、行くかぁ!」
そして、一気に地下七階へ。迷わずに来れたのは、ドゥーガルドが独自に作成した
ダンジョンマップのおかげである。だが、順調なのはそこまでだった。
「待ちな!」
大量の竜人に呼び止められた。
恐らく、盗掘団であろうと思われる連中が現れて、いきなりアサト達の行く手を阻んだ。
「待つかボケぇぇぇぇっ!」
ごわぁぁぁぁっ!
アサトのフレイムセイバーが、炎を生み出し、盗掘団を襲う。
「うわちゃちゃちゃっ! 何しやがる!」
「やっかましいわ! 人様の研究を邪魔した挙句、物資まで奪って行こうたぁ、
 ふてぇ野郎だな! 俺が相手になってやろうじゃねぇの!」
「誰だ、てめえはっ!」
「異世界の人間、アサト=サワハラだ!」
「異世界だと はっ、笑わせる! 何でも異世界が付きゃ強いってもんでもないぞ!」
まあ、この言い分は至極もっともである。
しかし、彼等は気付いていない。さっきのフレイムセイバーにより、
充分すぎるダメージを受けていることに。
だだっ!
それを見越して、アサトはダッシュをかける。
「なめんな! 数の上ではこっちが上っ!」
アサトの動きに反応して、盗掘団の連中もダッシュをかける。が――
「うぅっ!」
傷の痛みに動きを止める盗掘団。
「いっけぇぇぇぇっ!」
ごわぁぁぁぁぁぁぁっ!
アサトのフレイムセイバーから、さらに強い炎が吹き出す。
「ちっ、総員退却!」
どたどたどたどたどた!
凄まじい足音を立てて、盗掘団は退却していった。
「まずは、依頼成功……って事でいいのかな?」
「とりあえずは。でも、盗掘団は他にもいるはずだよ。それにトラップだってある。
 油断は一切できないからね、アサト君」
「ああ」
それから二人は、また先を進む。ただし、今度は辺りの探索をマメに行いながら。
どこにアイテムがあるか分からないのだ、うっかり見落とす事もある。
ふと、アサトは、ドゥーガルドが見ていなかった方向に、宝箱を発見した。
「お、おい。ドゥーガルド」
「何ですか?」
「あっちに宝箱があるぞ」
薄暗いので、見落としてもしょうがないが、アイテムは頂くに越したことはない。
もともと、それが目的なのだから。
「あ、それは多分トラップだよ」
「トラップ?」
「うん。まさか、君は遺跡のお宝が丁寧に宝箱に入っていると思ってるわけじゃないだろ」
「そういうもんか……」
「そんな親切なダンジョン、あるわきゃないって」
「うーん、やっぱシビアだなー」
そして、またスタスタ歩く二人。
「待て!」
と、またしても盗掘団らしき連中が現れた。さっきの連中とは別の竜人のようだ。
「命が惜しかったら、物資を置いて、ここから立ち去りな! それで勘弁してやるよ!」
「ざけんな!」
勢い良くアサトは突っ込んでいく。
すると――

目の前にブリジットの姿があった。ガートルードに戻されたようだ。
「アサトさん!」
だが、その直後――

  「ブリジット! ゴタゴタの最中に呼び出すんじゃない……あれ?」
青い空と草原がアサトの目に見えた。
いや、見えただけでなく、実際そこにいた。
風が心地よく、呑気に鳥がさえずっている。
そして、呆然とするアサト。
「……は?」
ドゥーガルドは? 盗掘団は? 大体ここはどこだ?
様々な疑問が彼の頭を駆け巡るが、とりあえず、今までと違ったのは、
辺りに召喚術師らしき人物の姿がない事だった。
「一体、なんなんだぁぁぁぁぁぁぁっ!」
アサトが一人空に向かって絶叫していると、ひょっこりと一人の青年が丘の下から現れた。
ちょっと汚れていたりする。
「どうも、すいません」
「何だ? お前は……っていうか、ここは何世界なんだ?」
「僕はグリフィン=スタンフォード。ここは天空世界ルーファスです」
「俺はアサト=サワハラ。俺を呼び出したのはお前か?」
「そうです。召喚の光に驚いて、丘から転げ落ちちゃったんですけど」
「ドジな奴だな、まったく」
「あはは」
「で?」
「で? って……」
「何の用事で俺を呼んだんだ?」
「話が早くて助かります」
「もう慣れたからな」
むろん、こんなのに慣れても、何の自慢にもならないのは百も承知である。
「慣れたって……そんなにしょっちゅう異世界から呼び出しくらってるんですか?」
「今回で四回目だ」
「大変ですねぇ」
「あ・の・なぁ……」
ぎりぎりぎり。
アサトの手が思わずグリフィンの首を締める。
「お・ま・え・ら・が・呼・ば・な・きゃ・オ・レ・は・ふ・つ・う・に・
 暮・ら・し・て・た・ん・だ・よ……!」
ぎりぎりぎりぎり。
アサトは更に、地獄の笑みまで浮かべる。
「ギブギブギブブブブブ……」
 ちょっと死にかけているグリフィン。既に顔はどす黒い。
「さて、と」
 どさりとグリフィンを地面に落として、アサトはため息をついて彼に話しかけた。
「で? もういっぺん聞くが何の用事で俺を呼んだんだ?」
「べべぼぼぶぼぼぶびばばぶびゅうびょうぼばばびべぶ」
恐らく、要点を伝えているのだろうが、血の泡のせいで何がなんだか分からない。
そこで、グリフィンは木の枝で地面に用件を書く。が、もちろん異世界の字は読めない。
「読めん読めん」
とりあえず、グリフィンが回復するのを待って、話を聞くことにした。
「で?」
「宗教問題なんです。各宗教が強く対立しています。で、我々の組織
『アートビレーション』のおかげで、何とか和解のメドが立ってきてるんですけど、
 何か色々と妨害工作とかあるんですよね。
 何とか妨害者を捕まえるなりなんなりしてくれると嬉しいんですが」
「どうせ断っても、行く当てもないからな。いいぜ、引き受けてやるよ」
「ありがとうございます!」
「まったく、異世界ってのはどうしてこうゴタゴタが多いんだかな」
「それは、どこの世界でも一緒でしょう?」
「まあ、そうなんだがな」
言ってアサトは苦笑する。確かに地球とて、常に何らかの大きな厄介ごとが
存在する世界である。異世界の事が言えた義理ではないかもしれない。
「で? どういう事だ? 天空世界つーのは」
「それを説明していませんでしたね。来て下さい」
グリフィンの案内で、ひたすら前へ進む。
しばらく進むと、そこには崖があった。しかし、普通の崖と違うのは、
下に見えるのが海や森というのではなく、空と雲だけであった事だ。
つまり、この大陸そのものが、天空に浮いているのである。
「なるほど、天空世界だな」
「そういう事です。分かりましたか?」
「ああ、十分だ」
そうして、二人は来た道を戻る。
「とにかく、お疲れでしょうから、僕の家で休んでください」
「すまないな」
「いえいえ、お呼びしたのはこちらですし」
その同じ『呼び出し』をしたブリジットやドゥーガルドは、
そんな気遣いはしてくれなかった事は、言わぬが華という事にしておこうとアサトは思った。
とにかく二人は、賑わう町を通り抜けて、グリフィンの家へと向かった。
その道中、話をする。
「でも、ブリジットも、ドゥーガルドも、グリフィンも、何で俺を呼ぶんだ?
 そりゃまあ多少は剣に自信はあるし、そこそこ腕も立つという自負はあるけど」
「あなたは、未知の才能を秘めているんですよ。それに、召喚の際の基本としては、
 呼んでも特に困る人がいないと思われる人物を呼ぶんです」
「どうやって?」
「魔力探知です。そういった人は普通、精神の濃さに表れるんですよ」
「なんなんだ? その精神の濃さつーのは」
「そうですねぇ、精神力の強さは、魔術師には目に見えるんですけど、
 それの事です。そういったものが薄いほど、いなきゃ困る人が少ないということなんですね、
 それで、強くなる素質を持ってて、無名で、
 いなくても困る人物がほとんどいないと思われる人物のあなたにお越しいただいたんです」
「まあ、両親はとっくに死んでるし、これといった身寄りも特に無いけどな、
 一応、俺がいないと、悲しむ奴が一人だけいるんでな、
 できればこういうのはやめてほしかった。というか、
 元の世界に戻せるんだったら、今からでも戻してほしい」
「すいません……返還魔法は、僕には使えないんです。知り合いにも、
 この魔法を使える人はいませんし、返還魔法を今使っても、バーナバスに戻るだけですから……」
「そ、そういうもんなのか?」
「ええ。そもそもどういう経路で、ここまで来たんですか?」
「ええと、ガートルードっていう世界からバーナバスへ来て、
 んでガートルードに一回呼び出されたかと思えば、ルーファスに来たんだ」
「それじゃ、返還魔法で帰る気なら、ガートルードに返還してもらってから、
 バーナバスに返還してもらって、それからもう一回ガートルードに返還してもらってから、
 あなたの住む世界に返還してもらう必要があります」
「そういう事なのか」
「はい。一発で戻りたければ、送還魔法を使うか、あなたの住む世界……」
「科学世界チキューというんだ」
とりあえず、異世界の連中の言い方に合わせるしかないようである。
「そのチキューの人に召喚魔法を使ってもらうしかないですね」
「そうか……って、送還魔法って何だ?」
「目的の場所に対象物を送り届ける魔法です。これは返還魔法より、
 さらにランクが高く、僕の知ってる人物では、誰も使う事ができません」
「ううむ……」
このままでは、地球へ帰る事がさらに困難になるばかりだ。
ならば、いっそ腹を決める覚悟も必要かも知れない。
「分かった。どうせ元の世界に戻る当てはない。こうなったら、
 俺にできる限りの協力はさせてもらうぞ、グリフィン」
「ありがとうございます!」
話がついた時、ようやくグリフィンの家に到着した。
「さ、どうぞ、あがってください」
「お邪魔します」
アサトが中に入ると――

大小合わせてかなりの数のぬいぐるみ。
ピアノやふかふかのベッド。
ファンシーグッズいっぱいの机。
そこは、どう見ても見慣れた志乃の家の、志乃の部屋の中だった。
その中に、黒髪黒瞳の小柄な愛らしい少女――志乃当人の姿があった。
「良かった! 帰ってきたんですね、朝人さん!」
「し、志乃? という事は、ここは地球か!?」
「ええ!」
「って、何で僕、帰ってこれたんだ?」
「私、召喚魔法を使えるようになったんです」
「は? おいおい、冗談はよしてくれ」
「冗談じゃありません。朝人さんが消えた後、何か、異世界の方とかいう人が来て、
 私に召喚魔法というのを教えてくれたんです。私には、秘めたる素質があるって言って……」
「っていうか、そんな奴の言う事を間に受けるか? 普通……」
「だって、朝人さんが戻ってくるって言ったんですもの……」
「僕の名を知ってる!?」
朝人は、驚愕した。(それでも、志乃及びその身内の前でだけの猫かぶりは忘れていないが)
まさか、あの三人以外に、アサトの存在と名前を知ってる奴がいるとは思えなかった。
さすがに、これは疑う余地がなかった。グリフィンの話を聞くうちに、
異世界の人間がこっちにやってくる事は不可能ではない、みたいな風に感じたのだ。
事実その通りであったし、そう思ってもらえるようにグリフィンは朝人に話したのだから、
当然といえば当然なのだが。
しかし、どうにもその異世界の人物の正体が分からないのでは、心の中に引っかかる。
誰が、どこの世界から、何のために来て、何故日本という一国の
ちょっと裕福なだけの普通の少女に召喚魔法などというものを教えたのかが。
それに、朝人と志乃の関係をどうやって調べたのであろうか?
疑問は募るのだが、とにかくこれで地球に戻る手段ができたのは、悪い事ではない。
「志乃、大事な話がある」
「はい」
「僕は、異世界で安請け合いを三つもしてしまった。だから、
 これからは当分異世界の連中に呼び出される事になると思うが、
 定期的にこっちへ呼び戻してくれないか?」
「はい……それと、お願いがあるんですが……」
「何だ?」
「私と一緒の時だけ、口調を変えるのは、やめてくださいね」
「バレてた?」
「ええ、ずっと前から。でも、父さんに世話になった手前もあるんでしょうけど、
 そんな事で遠慮なんてしてもらいたくはないんです。だから『俺』とかでいいんですよ」
「ありがとう……」
「さあ、とにかく今日の所は休んで下さい。父さんも心配してますから……」
身寄りのない朝人は、朝霞家に居候の身なのである。
志乃の両親は、仲の良かった朝人の両親の死を悼んで、朝人を引き取ったのである。
それ以来、志乃同様に、朝人を可愛がってくれていた。
二人の交際は、志乃の父、涼と母、霧子共々、全面的に認めていた。
上流階級たる、その志乃の両親の体面も考えて『僕』などと言っていたのである。
何も猫かぶるためだけに一人称を変えていたわけではない。
(まあ、知らず知らずそんな態度が出ていたのかも知れないが)
それを今さらながらに考え直し、一人称を元に戻して彼は志乃に話しかける。
「最後にひとつ聞いておこう。俺が突然消えてから、何日経った?
 向こうにいる間は、丸々半日ぐらいいたように感じられたんだが」
「ええと、こちらも同じくらいですね。まだ日付も変わってませんよ」
「なるほど、こっちの時間感覚は、向こうでも通用するわけか」
新しい発見だった。
「朝人君、志乃。降りてきなさい。食事の時間だよ」
「今、行きます!」
涼の声が聞こえてきたので、二階にある志乃の部屋から、一階の食堂へ向かう事になった。
こうして、その日、やっと朝人は休む事ができた。
戦闘途中で放ったらかしのドゥーガルドの事が、いささか気にはなったが、
彼もそこそこ腕に自信があると言っていたので、恐らく大丈夫であろう。
とにかく、休めるうちに休んでおかねば、身が保たないのは分かりきっていた。
次は、いつ呼び出されるのか知らないが、一時の急速に朝人は身を委ねた。

――翌日早朝。
「親父さん、お袋さん、話があります」
朝人は、二人の事を実の親のように思っているため、二人をこう呼ぶのである。
朝人は、涼と霧子だけがいた小奇麗な食卓に座った。
「おお、朝人君か。どうした? 深刻な顔して」
「朝人ちゃんらしくないわねぇ」
「すいません、真剣に聞いてほしいんですよ」
「?」
二人は、朝人の態度に、思わず真剣に話を聞く体勢をとる。
「俺は、これからしばらくの間、突然いなくなったり、
 何の断りもなしに帰ってこなかったりします。しかし、決して心配したり、
 探したりはしないで下さい。俺は一人の人間として、
 自分自身の発言の責任をとりに行きますから……」
「ほ、本当に大丈夫なのか? 朝人君」
「……大丈夫。俺には、朝霞家という帰れる場所があるんです。絶対に戻ってきます」
「……分かったわ、朝人ちゃん。絶対に戻ってきてね、志乃が寂しがるから」
「いや、まあ……それは志乃が好きにできちゃいますし……」
「?」
朝人の言っている意味が分からない霧子。
まあ、いきなり『アンタの娘は、異世界に行った自分を心配して、
別の異世界の住人から、召喚と呼ばれる魔法を会得して、自分を連れ戻せる存在です』
とかいうのが分かる方が、よほど怖いが。
「……なんかよく分からないけど、危ない事になったら、あの子があなたを止めるの?」
「まあ、そういう事です」
「あの子に、そういう事ができるの?」
「志乃にしかできないんですよ」
しばし、涼は考えてから、決心したかのように言う。
「……分かった。朝人君を信じてみよう、霧子」
「……そうね。朝人ちゃんは、うちの志乃と一緒になるのよね。ねー? 朝人君?」
「かっ……からかわないで下さいよっ!」
この夫婦が茶化すのは珍しくも何ともないが、妙に顔が赤くなる朝人。
「うふふ、かわいい」
とたとたとた。
ゆっくりと志乃が呑気に一階へ降りてきた。
「おはよぉ〜ございまあああああ」
あくびのせいで、途中から挨拶になっていない。
「おはよう、志乃ちゃん」
霧子も呑気に返事する。この親子は色々な面で本当に似ている。
とはいえ、朝人も育てられた影響からか、涼と似ている部分が多い。
涼と霧子の若い頃など、あっさり想像がついてしまいそうで怖い。
「おはよう、志乃」
「朝人さん、父さん達と何を話してたんですか?」
「ん? ああ、例の事だ」
「そですか。じゃあ分かってもらえたわけですね」
「おう」
「それじゃ、朝食にしましょうか」
こうして、ようやく朝食をとる事となった。
「さて、と」
どすっ!
涼が、トースターを食卓の上に置いたが、やたらと重そうな音がした。
「お、親父さん……」
「ん?」
「それ、修理したトースター?」
「そうだが」
涼は、機械いじりが趣味で、ここ最近、焼いたパンが飛び出てこない
壊れたトースターを修理していた。恐らく、今置いたのが、それなのだろうが。
「……あなた? ちょっと大っきくなってない?」
「ていうか、ちょっと形が変わってるって」
「なんか重そう……」
霧子、朝人、志乃それぞれに疑問を抱く。
「大丈夫、大丈夫。私の緻密な計算によって、きちんとパンは飛び出すから」
かなり怪しかった。
「さ、霧子。パンくれ」
「はい」
とりあえず、霧子は食パンを二枚渡した。
それを涼はトースターに放り込む。
ちきちきちき。
タイマーをセットし、しばらく待つ。
チーン!
景気のいい音と共に――
ばむっ!
凄まじい勢いでパンは宙を舞った。
べふ。
「…………」
パンは、天井にへばり付いていた。
驚異的な推進力をもって、天井に突撃したらしい。
それに高級パン自体のもっちり感が仇となって、天井にへばり付いたのだ。
しかも、改造の影響からか、火力がアップしていて、
へばり付いていない方の面は、完全に炭化していたりする。
ばらばらばらばらばら。
パンのくっついた部分からは、炭の欠片が降ってきたりする。
「確かに飛びましたね」
「勢い良くな」
「……あなた?」
全員、咎めるような視線を涼に送る。
「……ごめん」
ちょっと寂しそうに哀愁を漂わせて、涼はその失敗作を引っ込めた。
ぴーんぽーん。
「はーい」
勝手口のチャイムが鳴る。
がちゃ。
やってきたのは、霧子の買い物友達だった。いつも早朝の買い物に彼女を誘いに来るのである。
名を、宮下早苗という。
「やっほー、霧ちゃーん」
「あら、おはよ、早苗」
ばらばらばらばら。
しかし、早苗は炭の降る天井を見つめて一言。
「大胆なインテリアね?」
「違うわ」
即答する霧子。
ひううううう……
べとっ。
更に、へばり付いていた食パンが落下してうまいこと皿の上に乗る。
「……何かのネタ?」
「だから違うの。さ、朝の買い物行きましょう」
とてとてとて……ばたん。
二人は出かけていった。
「じゃあ、私も行くとするか」
たったったっ……ばたむ。
涼も、落ちてきた食パンを片付けて、さっさと出かけていった。
「さっ、俺達も学校行くとするか、志乃」
「ええ」
がちゃり。
二人は家の玄関のドアを開けた。
――すると、そこはガートルードだった。

第二章に続く


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