悲行少女


第三幕 隻眼龍将

先の戦いより五日ほどの時間が過ぎた。
これまでアーバン一家や、ファーリッシュが制圧した、
都市や町などのライフラインはおおむね復旧し、市街地は元の賑やかさを取り戻していた。
また、捕虜の再編成なども大抵終わり、戦力はこれまでとは比較にならないほどに、成長していた。
中にはグライア公国から、ファーリッシュの人柄に惚れ込んで、寝返ってきた将兵までいる。
いよいよ次の戦いの準備が整いつつあった。敵はカイゼル帝国。
帝国軍を全て領土内から駆逐ないし撃退すれば、マリーネ共和王国の領土は
全て奪還される事になる。それを思うと、ファーリッシュの胸中にも
闘志らしき物が宿るというものである。
「よう、ファーリィ。えらく気合が入っているな。鍛錬か?」
ガイギャクスが声をかけてくる。彼の言う通り、
ファーリッシュはチェーンソードの素振りをしているのだった。
「まだこの剣は重くて、手に馴染まないので……それで死んでは困りものですし」
「早く慣れる事だ。その心掛けは見上げたものだがな。だが今日はもうやめておけ。
 出陣予定日だぞ。あまり疲れては意味が無い。戦術書も連日熟読しているはずだしな」
「はい、お父様……行きましょう」
ファーリッシュとガイギャクスは、仮設テントへと入っていった。
そこには例によって重臣達が集まっている。
ファーリッシュの指示により、挨拶は敬礼に留まっている。
「皆様、いつもお疲れ様です。今日も出陣、大変ですけど頑張りましょう」
「はい、王女!」
びしりと整列し、寸分違わぬ敬礼をする将兵一同。
「では、今回の制圧目標の説明を……ユニア、お願いします」
「分かりました、王女」
ユニアがホワイトボードに文字を書き連ねていく。
「制圧するべき重要拠点は二箇所です。
 我等が王城、マリーネ城と、そこから少し離れた大都市、クラウス・シティです。
 今回の制圧は、王城侵攻への足掛かりとして、クラウス・シティを制圧する事が目的ですね。
 偵察兵の報告によると、敵はかなりの数の兵を割いているようです。
 指揮官は成り上がりだそうですが、油断は出来ません。
 こちらよりも数は少ないですが、魔法部隊も確認されたとの事です。
 RF兵は言うに如かず、ですね」
「彼我戦力差は?」
「その質問は野暮よ、ジルヴィクス。
 どうせ敵の方が多いに決まってるんだから」
「いや、そこは答えとこうよ、母さん。一応戦術を立てる時、考慮するんだし」
「しょうがないわね。彼我戦力差は一対三ってトコかしら。
 つまり単純に数で約三倍。まあこっちは魔法部隊の援護もあるし、
 RFも相当数揃ってきてるから、ある程度は覆せると思うけど、
 贔屓目に見ても、生半可な対応では互角以上は厳しいかしらね」
ユニアがここまで説明すると、将軍達が唸り始めた。
「ふーむ。またまた厄介だな。士気はまだまだ高いとはいえ、
 我が部隊はまだ、疲労が残っている状態だ。万全とは言い難いしな」
「左様。しばらくは様子見ですかな」
「充分に休息が済むまで、敵が休ませてくれればいいのですがな」
「敵は最大の国力を持つカイゼル帝国。果たしてそう上手くいくか……」
悲観的なムードが漂ってくる。心なしか黙っていた
ファーリッシュの表情にも不安なものが混じり始めた。
六国のうち、最大の国力と、桁外れの士気を持つカイゼル帝国が相手では、
グライア公国のように順調とはいかないのは事実であった。
「まあそんな事を言っても王女は守らにゃならんのでな。各員、しっかり働くように」
ガイギャクスがそんなムードに釘を刺した。
「王女を守るのが一番難しいのですがなぁ。
 乱戦の中で特定の人物を防衛する事の困難さ、
 あなたに分からぬはずもありますまい、ガイギャクス殿」
「ああ、それは重々承知だ」
ガイギャクスの返答に、またも将軍達は溜め息をつく。
「まあ、せめてしっかりと王女に自分の身を守ってもらうために、
 まだ試作段階ではあるが、新兵器を王女に装備させる。おい、アレを出せ」
「はっ」
備品整理係の兵が、皮袋から何かの金属の塊を取り出した。
ごとり。
重そうな音を立てて、それが姿を現した。
いわゆる8連装型リボルバー式の弾倉に、
杭のような物が取り付けられている。
恐らくはだが、それは武器のようであった。
「対チェーン・ウェポン破壊兵器、ナックル・バンカーだ。
 片手に握って使う武器だな。アムゼル民主国の設計書を、
 ウチの偵察兵がかっぱらって来たから、それを元にこっちの技術陣で作ってみた代物だ。
 まだウチとアムゼル民主国以外は持っちゃいまい。
 原理は杭打ち機と一緒で、敵のチェーンソードなんかをブチ壊すのに向いてる。
 上手く当てれば、ライディング・フレームの破壊も可能な代物だ。
 難点は薬莢を排出する時間、そして再装填(リロード)の分の  時間差(タイム・ラグ)が発生する事か。
 まあそれ以外なら有効な武器だ。あまりにも破壊力がある上、
 薬莢もデカくてそう多くは運べないから、生身の人間に使うのはやめた方がいいな。
 たぶん王女本人が嫌がるだろうし」
「このような兵器……大南洋条約に違反してはいませんか?」
怪訝な顔で、ファーリッシュはガイギャクスに質問を投げかけた。
「まあ『銃』の機構と似てはいるが、あくまで近接武器だからな。
 これが射程五百メートルとかあったりしたら、
 大問題になっちまうけど、まあこれは大丈夫だろう」
「だとしても、何故、私に?」
「王女が一番有効に使えるから。前にもジルヴィクスが言ったろ?」
「あの時言ってた兵器がこれですか……私なら何故有効に?」
「ヒント。王女の腕は何で出来てますか?」
「……そういう意味ですか」
つまりワイヤーアームを駆使して、存分に使いこなせという事らしい。
また武器が増えて、重武装になってしまった。
だが、これで生存確率が上がるというのなら、望むべくも無い程の厚遇である。
「歩兵部隊に持たせるには危なすぎる武器だが、RF兵には優先的に回せるよう、
 量産態勢に入る予定なので、あまり悲観的にならないように。各員、よろしいか?」
「流石はガイギャクス将軍。あの敗戦の中、王女を救出しただけの事はありますな。
 転んでもただでは起きないとは、まさにこの事なり」
「馬鹿野郎。ことわざが間違ってる。勝手に転んだ事にするな」
将軍の一人の誉め言葉を、ガイギャクスは軽くいなした。
「敵の陣はどのように?」
ファーリッシュの質問に、偵察兵が答える。
「はっ! 報告します。敵はクラウス・シティ目前にて、
 初見の敵指揮官は重厚長大な陣を構えており、特に策を弄するような様子は一切ありません。
 真っ向から勝負して勝てるつもりで、迎撃専用の構えを取っているものと、
 容易に推測されます、王女陛下!」
「なめおって! 我等が国の力を甘く見ておる証拠だ!
 指揮官も成り上がりで策も無しの真っ向勝負とは、思い上がりも甚だしいわ!」
将軍の一人が、苛立たしげに机を強く叩いた。
「大体成り上がり、成り上がりというが、敵の指揮官の正体は分からんのか!
 敵をなめきったような陣を組んだ事を後悔させてくれるわ!」
怒りの収まらない将軍の一人を宥めるように、偵察兵が更に報告を始めた。
「指揮官の写真までは入手出来ませんでしたが、名前と経歴は何とか。
 ブラッド=ナイトストーカー。カイゼル帝国による、マリーネ王城制圧作戦前後より
 一般兵として参加。功績をあげて、将軍職にまで
 登りつめているようで、実力は確かなようです。
 しかし性格に難があり、歪んだ出自を持っているせいか、
 性格は執拗にして残虐、マリーネ共和王国制圧作戦の際にも、
 多くの民や兵を虐殺しております」
その報告に、誰もが息を飲んだ。多くの同胞達が、この男一人によって、
何百人と虐殺されたというのだ。怒りを噛み締めるより他に無い。
ファーリッシュの瞳にも、悲しみが宿っていた。
「その男は、制圧したのみならず、捕虜として扱うならいざ知らず、
 無抵抗の兵だけでなく、多くの民まで虐殺したのですね?」
「はっ」
「どうして、そのような事をなさるのでしょう……
 悲しすぎる事です。その愚行、それこそを何としても止めない事には、
 王城制圧など二の次に過ぎません。生死は問わず、その男、何としても止めて下さい」
生死を問わず(デッド・オア・アライブ)。
数日前のファーリッシュからはとても想像も出来ない言葉が出てきた事に、
養父ガイギャクスは少なからず驚愕を覚えていた。
ユニアとジルヴィクスはそうでもないのだが、
彼女の実戦を直接見ていないガイギャクスにしてみれば、それも無理からぬ事ではあった。
驚愕しながらも、彼は極力冷静に、ゆっくりとファーリッシュに話しかけてきた。
「成長したものだ、王女。いつの間にそんなタフなセリフが吐けるようになった?」
「まあ『女子別れて三日なれば、刮目して相待すべし』と古来より言いますから」
「用法は合っているが、それもことわざが間違っているぞ。
『女子』じゃなくて『士』だ。というか、勝手に別れた事にするな。
 作戦時以外は常に一緒だろうが」
「そうでした。私とした事が……お恥ずかしいです」
「ともあれ、そのブラッドとかいうクソ野郎は俺達が死ぬ気で止める。
 王女が何と言おうが、捕縛してやる気なんかない。容赦無くぶった斬る」
「そうしてもらえると助かります。人道的見地から言えば
 捕縛せねばならないのでしょうが、そのような危険人物、
 生かしておく事は野放しにする事と同義に当たりますので」
「ああ」
「こちらの陣は、魔法部隊を中心に攻撃を行います。RFは歩兵の護衛に専念して下さい」
「了解!」 ファーリッシュの独断による指示が飛ぶ。
だが、もはやそれを咎める者はいなかった。長く軍にいる者が、ベテランなのではない。
戦場に多く出て、その才覚を現した者がベテランなのである。
ファーリッシュは、それを今、体現出来るようになりつつあった。
また、咎め立てるほどのことでも無かった。
ファーリッシュの指示した陣は、敵の方が圧倒的に数が多い場合、
まず妥当と呼べる陣形だったからだ。魔道部隊は、その強大なる魔力によって、
敵を一度に大勢戦闘不能に陥らせるだけの戦力となる。
ただそれ故に、魔道士のなり手も少ない。
また、戦闘不能に陥らせる事と、殺害する事は必ずしも同義ではなく、
普通の人間が使う魔法程度の威力では、敵を屠る事など不可能に近いのが現実である。
つまり銃や重火器ほどの融通は効かないし、
使用制限も魔道士の魔力と体力に大きく依存する性質を持つ。
だからこそ大量破壊兵器を禁じた『大南洋条約』にも抵触せずにいられるのだ。
つまり魔道士は、自軍より数が多い場合の唯一の対抗手段になり得る、切り札である。
だからこそ、ファーリッシュは最優先で守れ、と指示し、他の将兵も難色を示さなかったのだ。
だが、ここまでではただの妥当な指示であるため、
ファーリッシュは更にアレンジを加えて提案し始めた。
「ユニア。RFでの単独突入を行う自信はありますか?」
「ちょっと一人じゃ厳しいですかね。
 私の武器はチェーンソードとかのチェーン・ウェポンじゃないですから……
 せめて護衛にRF兵を一人ほど……」
「では俺が出る。単独突入なんて真似は素人やぺーぺーの新人には無理だしな」
ガイギャクスが名乗りをあげた。ここは夫婦のチームワークの見せ所である。
ファーリッシュも素直に従う事にした。
「ユニアは単独突入後、広範囲呪文『衝撃波(ブラスター)』系列の呪文にて、
 中心から敵陣を一気に崩します。敵を行動不能に陥れたいだけなら、雷の魔法がいいでしょうね。
 もちろん敵に同様の戦術を取られないよう、できるだけ
 カイゼル帝国の魔道部隊の近くで行うようにして下さい。
 ガイギャクスはユニアの呪文詠唱と同時に離脱を」
「工夫はするけど、あまり期待しないでね」
「ま、ぶっつけ本番はいつものこった」
ファーリッシュはジルヴィクスの方を見る。
「ジルヴィクスはRF部隊の総指揮を頼みます。
 敵指揮官、ブラッド=ナイトストーカーを見つけたらすぐに報告下さい。
 適宜、策をこちらで練ります」
「任せてくれ」
「他、将兵全員はユニアとガイギャクスに気がいかないよう、全体で陽動に当たります。
 敵主力部隊と真っ向から当たるのを避け、攻撃は可能な限り受け流して下さい。
 ユニアの作戦が当たれば反撃に、失敗した場合は次の策が出るまで一時撤退の方向でお願いします」
「了解しました、王女!」
「では、軍議を終わります」
ユニアの一言で会議が終了し、将兵が陣幕から出て行った。
「よし、行くぞユニア。準備だ」
「ええ。行きましょう。ファーリィ、後詰めを頼むわね」
「はい、お母様」
ガイギャクスとユニアも陣幕から出て行った。
陣幕にはファーリッシュと、ジルヴィクスのみが残る形となった。
「ファーリィ、気を付けて。グライア公国のディーヴァ将軍ほどは、
 甘くない相手だろうから……敵のブラッド将軍とやらの相手は……かなり嫌な予感がする。
 下手をすると、大南洋条約に違反してでも、君を殺そうとしてくるかもしれない」
「分かっています。そもそも虐殺行為自体が大南洋条約に違反していますから……
 こちらも下手をすると手段を選べない事になりそうです」
「うん。いざとなったら卑怯だろうが何だろうが構いはしない。
 数百人単位に命じて、ブラッド将軍を寸刻みにするかもしれないけど、
 こんな僕を嫌わないで欲しい」
「そんな……お兄様は私のために汚れ役を引き受けて下さっているのです。
 慕う事こそあれど、何ぞ嫌わねばならない理由など、私には思い当たる節がありません。
 ブラッド将軍は必ず仕留めましょう。この際生死を問わずなどと言っていられません。
 私の心、お兄様の技、お父様の力、お母様の智、そして私達の断金の意志において。
 国の看板など関係なく、彼の振る舞いは許すに値しません」
「ありがとう、ファーリィ。じゃあ、僕も行くよ。後を頼むね」
「はい」
ジルヴィクスも陣幕を出て、すぐ後を追うようにファーリッシュも出て行った。
行軍はほどなく始まり、長い行進が続くのであった。クラウス・シティまであと半日ほど。
マリーネ王城制圧戦の前哨戦の火蓋は、まだ切られてはいない。

「王女陛下! 怪しげな者を捕らえました!」
行軍が始まって一時間経つか経たないかの頃合、
いきなり五名ほどの兵が、見るからに若い少年を捕まえてきた。
幼い顔立ちに小柄な体格。一応帯剣してはいるものの、儀礼用の剣であり、
実戦で使えた代物ではないだろう。使えて、せいぜいが護身用だ。
面立ちは端麗であり、金髪碧眼の美男子と言えば、まずこういう顔立ちだろう、という
見本のような面影が特徴的である。しかし凛々しさよりは、まだ可愛らしさの方が目立つ、
そんな年頃のように思えた。というより敵には見えない。
それどころか、軍に関わる者にさえ見えない。よく見ると服も何となく高級感が漂う。
「放して下さい! 僕は怪しくなんかないんですってば!」
「大人しくしろッ!」
大人しくさせるためなのかもしれないが、大して抵抗もしていない謎の少年に、
兵士達があまりに乱暴に頭を叩くため、流石に見かねたファーリッシュが諌めた。
「あまり乱暴にしないであげて下さい。
 その子供……どう見ても敵には見えません。というか軍人にさえ見えませんし。
 あらあら、大丈夫ですか? ごめんなさいね」
ちょっと泣きかけていた少年の頭を優しく撫でてやると、
少年はファーリッシュを睨みつけてきた。
「歳」
「?」
「君は歳はいくつ?」
どうやら初対面の女性に年齢を訊いてきたものらしい。
名前を訊く前に名乗りもしないどころか、いきなり年齢とは失礼極まりない話だが、
別に怒る事でも無いので、彼女は快く答えてやった。
「十七です。君は?」
「じゃあ一つしか違わないじゃないですか。子供扱いしないで下さい」
「あ、十六歳ですか。見た目はもっと小さい子供ですけどね」
近所の子供を愛でるような目で、ファーリッシュが見つめる。
まっすく目を見つめられるのがなんだか無意味に気恥ずかしかったのか、
少年はちょっと目を逸らしてしまう。
「このチビ! 無礼であるぞ!」
「乱暴はやめて下さい!」
「はっ……!」
ファーリッシュの叱責が飛び、兵士が引く。今度は少年がファーリッシュを見つめる。
「君、よく見ると凄く可愛くて綺麗な顔してる」
「そっ……そんな事……ッ。ありません……」
聞き慣れない言葉に、思わず動揺するファーリッシュ。
確かにファーリッシュは美貌の持ち主なのだ。
彼女が美女でないとするならば、世の中の八割以上の女性が美人でない事になってしまう程度には。
「子供扱いはちょっと気に入らなかったけど、とっても優しいし、
 お淑やかで、情が深くて、しかも気高い感じがするね。
 気が小さいのが玉に瑕っぽいけど、僕は君みたいな人、凄く好きだよ?」
いきなり真顔での告白(のようなもの)。
ファーリッシュは耳まで真っ赤になって、口をパクパクさせる。
まさか年下の男に、初対面からいきなりこういう事を言われるなどとは思いもしなかったのだ。
もちろん、捕縛してきた兵士達も開いた口が塞がらない。
「えっと……あの……」
応対に流石に困って、ファーリッシュが赤面したまま慌て始める。
こういう時に限って、適切な対処をしてくれるジルヴィクスが傍にいない。
指示を出せないので、兵士達も呆気に取られたまま、動いて欲しい時に動いてくれない。
「いきいきいきなり……そんな事を言われてもこま、困ります……ッ。
 私なんか……ただの世間知らずの不束者(ふつつかもの)ですから……
 あなたみたいな綺麗な顔の人には、もっと素敵な人がお似合いとか
 そんな感じの事を言ってのけたりみたりしたりします……」
もはや発言の内容が空中分解していて、わけが分からない事になっている。
「落ち着いて。僕も世間知らずは同じだよ」
「いやだからですね私が言いたいのは世間知らずとかそういう事ではなくて
 むしろ私の恋愛経験とかそういったものの不適格さが
 そういった言動に繋がっているのであって決してあなたの事を嫌ってるとかではなくて
 だからと言っていきなり好きとか言われても私としては当惑するより他ないわけで
 そこら辺の事を考慮していただければもうちょっと私としても
 対応に困らない感じが素敵にありがたかったりするので……」
どこからそんな滑舌の良さが出てくるのか、凄まじい文字数のセリフを
一気にまくしたてるファーリッシュ。珍しく強い感情も込められている。
そこまで言った時点で肺活量に無理があったのか、見事に息切れしてしまった。
「ちょっと驚かせすぎちゃったのかな。ごめんね。
 僕も女性の扱い方とかはちゃんと知らないから。
 もうちょっとマイルドに話しかけるべきだったのかもしれないね」
少年はそう言いながらも、勝手にファーリッシュの手まで握ってきた。
「はわわわわわ……」
もはや言葉にならない声を漏らすしかないファーリッシュ。
「でも、僕の言った事は嘘じゃないからね。
 僕は怪しくなんかないし、君の事が好きになれそうなのも本当だし、
 世間知らずなのも本当だから」
そこまで言うと、流石に見かねた兵士達に、謎の少年は引き剥がされた。
「じゃあ僕、そろそろ帰るね。縁があったらまた会いたいな。名前は?」
ようやく少しだけ冷静さを取り戻したファーリッシュは、とりあえず名乗った。
「ファーリッシュ=アーバン=マリーネ。マリーネ共和王国の女王です……一応」
「そっか、王族の人なんだ。流石に僕も失礼だったかな」
そう言いながら、ファーリッシュから少しずつ離れていく少年。
「待って下さい、帰る前に……あなたの、お名前は?」
ファーリッシュもこんな変人は流石に気になったのか、名前を訊いた。
少年は止まらないで、立ち去りながら答えた。
「エルトリオン! エルトリオン=セイル=リグバルトV世!
 一応リグバルト王国の最高権力者って事になるかな! いわゆる王子って奴だよ!」
「えっ!」
ファーリッシュと兵士五名、それにその周囲にいた将兵全員が、
その声に反応し、そして言葉を失う。
マリーネ共和王国の領土を制圧した、隣国リグバルト王国の君主にして王子、
その本人が目の前にいるというのだ。血の気が引くとはこの事である。
「てっ、ててて、敵の総大将だぞ、捕縛だ、捕縛ーッ!」
「そうはいかないよ……来い!」
ピーッ!
エルトリオン王子の指笛に反応して馬がどこからともなくやって来た。
体格に不釣合いな、巨大な軍馬である。軽快に跨ると、エルトリオン王子はすぐに逃亡を始めた。
「軍議が面倒で散歩していたら、思わぬ拾い物をしたよ。
 ファーリッシュ王女、また会う時は戦場でだろうけど、
 君とは戦わずに済んだらいいよね?」
「…………」
無茶な言動に、またもファーリッシュが言動に困る。
現実として戦争は継続中なのだ。そのような事が実現可能かどうかは分からなかった。
「じゃ、また会おうね。約束だよ!」
一方的に告げると、エルトリオン王子は去って行く。
「ええい、徒歩(かち)では追いつかん! RF兵を出してでも捕まえろ!」
「待って下さい!」
エルトリオン王子を捕まえようとする将兵を、ファーリッシュが止める。
「王女! 何故止めるのです! 奴を捕まえれば、リグバルトとの戦争、
 勝ったも同然になるのですぞ、その好機を逃して何とします!」
「分かりません」
「王女!」
将軍達が詰め寄る。流石に納得しかねる様子だ。
「ですが、平和主義国家であるマリーネ共和王国の当主たる私が、武力をもって敵を制圧し、
 統一を成し遂げ、その上で人の道と平和を説いたとしましょう。
 しかし、それだけで民は私達について来るものでしょうか?」
「それは……」
「真に平和を謳うなら、分かり合えるかもしれない相手とは、
 分かり合うための努力をする必要があるとは思いませんか?
 たとえ戯れ言でも、向こうが私を好いてくれるというのであれば……
 私はとても恥ずかしいのですが……話し合う価値は大きいと思います。
 上手くいけば同盟相手になって、一時的にとはいえ統一戦争を終結させられるかもしれません」
「統一のみが道ではない、と?」
「統一しなければならないなどと、誰が決めました?
 そのような理屈は、カイゼル帝国の一方的な理屈でしょう。
 それに付き合う理由などない、という事です」
「……分かりました。そこまでお考えであるのならば、もはや私から言う事はありません」
「勝手を言って済みません。ただ私個人としては、彼の純粋さは好ましいものですし、
 何より似たような境遇、信頼するに値すると思います。言動がいちいち恥ずかしいですが」
「はっはっ。昔の愛らしさを残したまま一層お綺麗になられましたからな。
 エルトリオン王子が惹かれたからと言って、それを責めるのは酷でありましょう」
「冷やかさないで下さい……あの様子なら、リグバルトの対応は無視して構いません。
 それより、リグバルトへの牽制のために回した戦力も、主力部隊に組み込み、急いで下さい。
 クラウス・シティとマリーネ王城の制圧作戦は、それほどまでに重要ですから」
「手配を急ぎましょう」
恥じらいの表情から一転、ファーリッシュの顔が真剣なものに変わった。
これから戦場に赴くというのに、いつまでも恥ずかしがってはいられない。
「さっきの出来事は忘れて下さい。行軍を再開、急ぎます」
「はい!」
エルトリオン王子の去っていった方向をいつまでも眺めながら、
ファーリッシュはただひたすら前へと歩くのだった。
「エルトリオン王子……いえ、エルト君……」
ファーリッシュは、平和をもたらすのが
自分一人の力でなくてはならないのか、常々疑問に思っていた。
自分以外にそれを成し遂げる人物がいるとしたら、恐らく彼かもしれない。
まして共に手を携える可能性があるとしたら、それは彼なのだろう。
そう思うと、彼の笑顔が、途端に眩しく、ついでに可愛く思えるのだった。
エルトリオンもまた、この惑星ノアの歴史における、一つの可能性なのだ。
「また、会えますよね……?」
ファーリッシュは一人、呟いた。
「きっと、すぐに……」
誰も聞いていないのを確認してから、噛み締めるように……

「会えるさ、きっと」
何の偶然なのか、エルトリオン王子も、帰ってきた陣中で呟いた。
「何の話ですかな?」
リグバルト王国の将軍の一人が、呟きを聞いて質問した。
「うん。ほら、僕さっき軍議が面倒だったんで散歩してきたよね?」
「ですな。少しは軍議に参加して欲しいものですが」
「うん。でさ、その時に僕、会ったんだよね。綺麗な人だったよ」
「ふむ、女性に興味をお持ちのお年頃ですかな。大きくなられましたなぁ。
 で、どのような女性でしたので?」
「うんうん。その人はファーリッシュって言ってたね」
「は?」
一瞬、将軍はエルトリオン王子が何を言っているのか理解出来なかった。
その人物の名は、確かマリーネ共和王国、ヨハン王の遺児の名前と同じではなかっただろうか?
「王族の人でね。マリーネ共和王国の王女なんだって」
「何ですとぉぉッ!」
驚かずにはいられない。何を血迷ったのか敵の君主に単独で会ってきたと言うのだ。
「うん、すごく綺麗で優しくて、可愛くて初々しくて、しかもお淑やかだったよ。
 僕のお嫁さんなら、ああいう娘がいいと思わない?」
「ああああんた、自分が何言っとるか分かってるんですか!」
ついつい勢いで敬称略の口調になってしまっている将軍に、エルトリオン王子は平然と対応する。
どちらが大人だか分からないほど堂々としているのが、
人によっては妙に腹が立つかもしれないぐらいに。
「分かってるよ。とりあえず好きだって言ってきたよ。
 そしたら向こう、耳まで真っ赤になって恥ずかしがって。
 凄く可愛らしかったなぁ。手も握ったし。暖かかったなぁ……」
「いやそうじゃないんですって! ってかよく無事に戻って来れましたね、あんたは!
 我等がリグバルト王国の王道、王子がいなけりゃどうなるんですか!」
もはや敬意の欠片もないほどボロクソに言われるエルトリオン王子だが、
さして気にしたような素振りも見せない。
「別にいいよ、もう。王道とか何とか面倒臭いし、人もいっぱい死んじゃうから。
 大体父上も、そんな事をひ弱な僕に望んでなかったでしょ?
 それより、そのうち機会があったらまた会いに行こうと思うんだけど。皆を引き連れて」
「ええっ!?」
「それでね、向こうも僕の事嫌いじゃないっぽかったし、思い切って
 告白とかしてみようかなって。当然、結婚を前提としたお付き合いのつもりで」
「ええええええッ!?」
既に告白(のようなもの)をしている自覚がさっぱり無いのか、
無茶な発言をするエルトリオン王子に、周りの将兵はただうろたえるしかなかった。
「もし僕達が結婚したら、同盟成立だよね。
 そうしたらパワーバランスが一気に傾いて、
 戦争どころじゃなくなるかもしれないし。まあこれはついでなんだけど」
いきなりの政治が絡む話題に、将兵の喧騒と狼狽が一切止まった。
「政略結婚、と?」
「ん? そんなわけじゃないか。ただ結果としてそうなるのが自然な流れだろう?
 夫婦で戦争する馬鹿がいるのかい? ま、平和が一番なんだよね。
 その結果『同君連合』になろうが、マリーネに乗っ取られようが、
 そこに大差は無いんじゃないかな?」
「平和……ですか。我等リグバルトがもたらす平和でなくとも、よろしいので?」
「度量が小さい、小さい。僕達だけじゃそもそも役不足なのは、僕が一番知ってるからね。
 僕以外に、手を携えて共に平和への道を歩むとしたら、最初から彼女だったんだよ、きっと。
 だったら僕と彼女が一緒になって同じ道を歩んだって、
 大なり小なり結果は似たりよったりになると思うんだけどね。
 まあ全部がついでで、僕は彼女が好きっていうのが結局は最優先になるんだけど」
その言葉を聞き、全将兵が一斉に敬礼した。
「その深謀遠慮と、相反する一途さ……やはりあなたは前王のご子息ですな。
 平和への王道は戦にあらず。理解し合い、和平を成す事こそ、今、成せる王道なり。
 我等が将兵一同、王子の理想に感服仕りましたぞ!」
「……ありがとう。でもそんな理屈はきっとどうでも良くなるよ」
「は?」
「君達も彼女に……ファーリッシュに会って、そして直に見てみるといいよ。
 なんで僕がここまで好いているのか、たぶん一日も経たぬうちに、理解できるはずだから」
「はぁ」
まだファーリッシュを見ぬリグバルト王国将兵としては、
現時点ではそう答えるしかないのであった。
「ファーリッシュ王女……いや、ファーリィ。僕達はすぐに会えるよ、きっと」
誰も聞いていない呟きを、エルトリオン王子は漏らした。

数時間後、ファーリッシュ王女率いるマリーネ共和王国軍は、
クラウス・シティ郊外へとようやく到着した。エルトリオン王子との接触のせいで、少し遅れた形だ。
「敵の将兵は既に陣を完全に構えているか。成り上がりの分際で見事な手際の良さだな」
ガイギャクスが皮肉たっぷりに呟く。実際、行軍が遅れたので
こういう対応をされても仕方がないところではあるのだが、それにしても見事な指揮である。
「それって思ったより実戦慣れしてるって事でしょ? 大丈夫なのかしらね、王女の作戦」
「あのな、ユニア……俺が作戦立案しても、大体同じになったと思うぞ。
 王女のアレンジは入っているが、まあ信用していいものだろうからな」
「ええ、まあそうだけど」
「なんだ? お前は自分の娘を信用しないのか?」
「信用してるわよ。でも結局、本当は前王の娘なんだから……
 あたしはそれほど立派に、母親が出来たつもりでいられるほど、自惚れられないのよ」
ユニアの表情に翳りが浮かぶ。
「おいおい、それじゃあジルヴィクスの立場が無いぞ。
 俺達の愛息は、懸命にあいつの兄貴分たろうと、
 十年も頑張ってきたんじゃないか。台無しにする気か?」
「そうね、ごめん、ガイギャクス。気を取り直しましょう。
 そろそろ前衛が敵陣に突撃を敢行するわよ、準備して」
「応!」
そこまでの会話が終わると、味方の部隊が動き出した。
ファーリッシュ自らによる指揮が始まったのだ。
「うおおおッ!」
「押し返すぞ、いけーッ!」
敵、味方将兵の怒号が飛び交い、本格的に戦闘が開始された。
「よし、魔道部隊を探す! 飛ぶぞ、ユニア!」
「ええ、行きましょう」
ガイギャクスとユニアがRFのエンジンを巡航速度で吹かし、飛翔する。
眼下では激しい戦闘が展開されており、既に死傷者が多数出始めている。
「やっぱり敵の数が多いわね。どうしたものかしら。敵魔道部隊、目視出来る?」
「分からん。これだけ数が多いと、案外目立たんモンだな……くそッ」
「仕掛けられないのって辛いわね……」
「待て! 見るんだ!」
ガイギャクスがユニアの動きを制止する。
敵陣の中に魔力の光が輝き始めた。
「あそこだ。止められるか……?」
「初手は無理ね」
 二人は一応急いで敵魔道部隊の方向へと飛行を開始したが、やはり間に合わなかった。
『氷の波(フリーズウェイブ)』の魔法が、地を滑り、味方の歩兵部隊へと炸裂する。
敵の魔法部隊はこちら程には数がいないはずだが、
個々の力量がそれなりにあるせいか、一個中隊もが犠牲になった。
「ぎゃあああああッ!」
「冷たッ……冷たい! がああッ!」
悲鳴があちこちであがり、みるみる氷漬けの彫像が増えていく。
だが今すぐに救出すれば助かるかもしれない。
「火の波(フレイムウェイブ)!」
ユニアの魔法が炸裂し、氷の彫像をみるみる溶かした。
「負傷兵を運べ! 早く!」
ガイギャクスの指示が飛び、氷漬けから助け出された兵士が連れられていく。
思ったよりも被害が少なくて済んだのは、すぐに対処したせいである。
ものの数分もすれば全員死亡していた危険性がある。
だが、その行動は敵魔道部隊への対処を遅らせた。
「もたもたしていると第二撃が来るぞ、ユニア!」
「分かってる! すぐ呪文詠唱を始めるから、飛びましょう!」
「了解だ! 続け、ユニア!」
「ええ!」
再度飛行を開始するも、魔法部隊はユニアをピンポイントで狙ってきた。
「ウォーターバスター!」
 敵の魔法がユニア一人をしつこく狙う。だが流石はRFでの飛行だけあり、
まったく、一発たりともかすりもしない。見事な操縦技術である。
 あるタイミングで、ぴたりと魔法攻撃が止まった。
呪文詠唱の時間差である。そこを突いて、一気にガイギャクスとユニアは、
敵のド真ん中に突っ込んだ。もちろんユニアは呪文詠唱をしたままなので、すぐに放つ事が出来る。
ユニアが呪文を放つ、と判断したであろうガイギャクスは、ユニアを置いて、再度高度を高く取った。
「プラズマブラスターッ!」
ばぢッ!
強烈極まる電撃が、周囲、上下左右前後の1080度、円形範囲へと無差別に広がった。
範囲内にいた敵魔道部隊はもちろん、その周囲にいた兵士まで一瞬で沈黙した。
これに至っては悲鳴さえあげる余裕が無かっただろう。
敵が一斉に倒れると同時に、更にもう一撃加えるべく、詠唱を始めた。
敵がユニアを包囲しようとした瞬間に、もう一撃呪文が放たれる。
「ダークランチャー!」
極太の光線状に放たれた黒い波動が、敵の陣形を貫く。
更にユニアは魔法を放つ腕を横薙ぎに動かす事で、黒い波動も横薙ぎに敵の陣形を薙ぎ払う。
波動を浴びた敵兵は、理解に苦しむ身体の痛みに耐え切れず、倒れてしまった。戦闘不能である。
「ふぅぅ」
立て続けに二回も大規模な魔法を使ったせいで、
ユニアの体力、精神力、集中力いずれも限界に近付いていた。
このままでは遠からず包囲、殲滅されてしまうだろう。
「よっと」
そこにガイギャクスが現れ、ユニアの服の襟を猫掴みにして持ち上げた。
そのままRFの推力で、またしても高度を取る。
「ちょっと、ガイギャクス! あたしは猫じゃないのよ!」
「ヘロヘロの身体で何を言ってやがる。脳波コントロールも
 まともに出来ないほど魔法を使ったのはお前だろうが」
「だからって襟を掴まなくてもいいでしょ! しかも猫掴み!」
「猫掴み猫掴み言うが、猫掴みは猫に対してやってはいけない持ち方だぞ」
「知らないわよ!」
見苦しい口論が上空で展開されているが、戦場にはあまり似つかわしくない。
もちろん態勢が崩れた敵軍を、下で味方が懸命に押し返そうとしているので、尚更不謹慎な話である。
だが、おおむね夫婦というのはそういったものなのであろう。
「とにかく後退だ。お前を本陣に連れてってから、俺は攻撃に出る。休んでおけ」
「……分かったわよ……」
ユニアは不満と疲労を顔いっぱいに表現しながらも、素直に従う。
実際、自分は限りなく戦闘不能に近い状態なのだから仕方がないのである。
「後は任せるわよ……ファー……リィ……」
「やれやれ。やっと大人しくしてくれたか。その方が俺も運びやすいんだがな」
気を失ったユニアを抱え直して、ガイギャクスは全力飛行を行い、後退する。

一方、本陣ではファーリッシュの指示が飛んでいた。
「ジルヴィクスはガイギャクス達の出迎え、急いで!
 それから敵魔法部隊からダメージを受けた部隊の撤退も急いで下さい!
 敗走した第六歩兵部隊の代わりに、第三騎兵部隊が変わりに突撃を敢行して下さい! 今すぐに!」
戦術シミュレーションに則り、的確な指示を下すファーリッシュだったが、
ユニアがやられていたりしないか、内心気が気ではなかった。
「ガイギャクスとユニアはまだ戻らないのですか!」
「いえ、作戦は成功している模様です。いずれ戻られるものかと」
望遠鏡を片手に偵察兵が返答する。
「なら、敵のRF兵がこちらの魔道部隊に襲いかからないよう、警戒を密に!
 ガイギャクス、ユニアを見つけ次第、最優先で護衛も願います!
 魔道部隊は魔道部隊で、敵RFを魔法で狙撃して下さい!」
「はっ、すぐに伝令を飛ばします!」
これだけ有機的な指示は流石に信号弾では飛ばせないため、偵察兵が直に向かう。
その時、敵の弓兵から一斉射撃が始まった。味方の部隊が次々と倒れる。
狙われた味方が弓兵のため、反撃もままならない状況に陥ってしまった。
「まずいですぞ、王女殿下!」
「魔道部隊、目標を敵RF兵から弓兵部隊に変更!
 こちらも徹底的に遠距離攻撃封じを行います!」
「了解です、王女!」
次々と魔道部隊から攻撃魔法が飛び始めた。流石に敵の弓兵もバタバタと倒れていく。
戦況は、まったく互角と言うに相応しかった。だが両軍とも決め手が足りない。
「まだ来るの?」
「状況が互角ですからな。退く理由がありますまい」
冷静な将軍のセリフに、苛立ちが募るファーリッシュ。
「このままじゃ……!」
士気は互角だが、いかんせん、数に差がある。このままでは押し返されかねない。
智略でのカバーも限界があるのだ。魔道部隊にも過剰な負担はかけられない。
「まずいな……大丈夫かい、王女」
ジルヴィクスが、ガイギャクス、ユニアを連れて戻ってきた。
「ユニア! 無事なのですか!」
「安心しろ王女。気を失っただけだ。大規模魔法の使い過ぎでな」
ガイギャクスが、ユニアを陣幕の簡易ベッドに寝かせてやる。
「さて、そろそろ本格的に反撃といくか。策は練ったか、王女?」
「ごめんなさい、ガイギャクス。士気は互角ですが……決め手に欠けます」
「数が多いからな。でも無茶は承知の上だ。なあ、ジルヴィクス?」
「ああ。何とかしてみせるさ」
ガイギャクス、ジルヴィクスがRFで飛翔し、敵RF隊に向かって突っ込む。
二人の武器が、敵をどんどん撃墜していくのを見て、やはり頼もしさを感じた。
リーチの差や、武装の差が多少あれど、総合的な力量では、
やはりファーリッシュはあの二人には到底及ばないのである。
「ちいッ! 何だこいつら、強いぞ!」
敵RF兵がうろたえ始めた。桁外れの力量だからである。
「運良く生き残れたら覚えておけ。ガイギャクス=アーバンと、
 その子ジルヴィクス=アーバンの名をな……!」
「僕達はマリーネ共和王国を支える。三本柱のうちの二本だ!
 近衛兵団筆頭の家族として、何者をも恐れはしないぞ!
 命惜しく、理ある者はすぐにこの地より立ち去れ!」
「うわあああああッ!」
二人の名乗りに、数名の敵RF兵が一斉に逃げ散る。
「弱小国の分際で何を偉そうに! 所詮、弱者は強者に食い潰されるのが相応よ!」
それでも、敵RF兵の大半以上がこちらのRF部隊に襲い掛かってくる。
やはりカイゼル帝国。士気の高さは折り紙付きである。
「そうかい。だったら俺達マリーネが、手前ェ等カイゼルを
 逆に食い潰してやったところで、文句なんざ言うんじゃねぇぞ!」
「ぎひぃぃぃ!」
ガイギャクスのチェーンアックスが、敵RFの身体を真っ二つに唐竹割りで両断する。
その一撃があまりに見事だったためか、今度こそ 敵RF兵は戦意を喪失し始め、次第に後退していった。
「ガイギャクス将軍が敵RF兵を退けたぞ! 波に乗れーッ!」
「行くぜぇぇぇぇッ!」
波に乗る、という言葉に、マリーネ共和王国の将兵が敏感に反応した。
元々かなりの人間が海の民であるせいか、気質的に海に関する言葉には非常に敏感なのである。
「なっ、何だこいつら! うぁあぁあああッ!」
カイゼル帝国軍の主力部隊が少しずつだが、数で劣る
マリーネ共和王国軍に押し返され始めた。素晴らしい逆転劇である。
しかし、マリーネ共和王国軍の好調もこれまでだった。
敵の指揮官が奇襲をかけて、一気にこちらの魔法部隊数名を屠り、
更にその勢いで騎兵部隊を屠りつつ、前進を続ける。
指揮官は赤い髪を逆立てた人相の悪い男だった。
武器に鎌型のチェーン・ウェポン、その名もチェーンサイズを握っていた。かなり大きい。
「おらおらぁ! どきやがれ! 雑兵どもがぁ!」
勢いに乗って、逃げ散ったはずの敵RF兵までもが戻ってきて攻勢に転じる。
「まずい! 出るぞ、ジルヴィクス!」
「ああ、敵RF兵を止めよう!」
ガイギャクス、ジルヴィクスの指揮するRF部隊が迎撃を展開。
しかしながらRF兵の数においても、敵はこちらを上回っていた。
「ぐっ、なんて数だ!」
「ううっ! 負けるかぁぁあああ!」
ガイギャクスも、ジルヴィクスも懸命に押さえるが、
残念ながら敵の指揮官はそれらの鍔迫り合い全てを潜り抜け、
時々気まぐれに味方兵を屠りながら調子付いてくる。
「どぉぉぉこだぁぁぁ! ファーリッシュ王女ぉ!
 このブラッド=ナイトストーカー様が直々にお出ましだ!
 ねんごろに迎えて散ってくれや! ひゃぁーはははははッ!」
下品な笑い声が周囲に響き渡る。狂気に満ちた笑い声が、
ファーリッシュを陣幕から飛び出させた。
「待って……王女……いけない……!」
気が付いたユニアが制止してくるが、止めるだけの力はまだ出なかったようだ。
「ユニアは休んでいて下さい、非常事態に兵も王女もありません……出ます!」
ファーリッシュはRFを吹かして飛ぶ。
だがブラッド=ナイトストーカーは王女を探しもせずに、こちらの兵を一方的に屠っていた。
無抵抗の兵士も関係無しだ。既にこちらの将も二名ほど屠られている。
「カイゼル帝国指揮官、ブラッド=ナイトストーカー将軍!
 その狼藉、これ以上放置してはおけません!」
「来たかぁ! 王女さんよ! 俺の顔を忘れやがったか? はっはぁ!」
「顔……! まさか!」
ファーリッシュの胸中をある思い出がよぎった。

忘れもしない。あれは十年前だった。
燃え盛る王城から必死に脱出を試みている自分。
優しくも強かった父ヨハンや、兄ウィーゼルはもはや消息も不明である。
もう自分ひとりしかいなかった。全てカイゼル帝国の侵攻によるものである。
(怖い……父上……兄上……!)
「そこだぁぁぁぁぁぁあああ!」
敵の刺客が現れた。どこから来たのかも定かではないが、
ずっと追跡されていたのは間違いない。幼きファーリッシュは無視して逃げ出そうとした。
だが、刺客は足も達者だった。
「ひゃーはぁ!」
奇声を発して大鎌を振るう。
ぶづっ!
嫌な音を立てて、ファーリッシュの右足が斬り落とされた。
「ぎっ……ぎゃぁああぁあぁああ!」
あまりの激痛に泣き叫ぶしか出来なかった。
「おー。いい声で泣きやがら。それ!」
ぶぢっ!
更に嫌な音を立て、ファーリッシュの左足も斬り落とされた。
「ああああぁぁぁああああぁぁああぁああッ!」
ファーリッシュの鋭い悲鳴が森に響き渡る。これで逃げる手段は無くなった。
あまりにもむごたらしい仕打ちである。最初から生かしておく気はまったくないのだった。
「ぐはっ! ははははははぁ! はーっはははははははぁ!」
笑っている。この状況を心底楽しんでいる。
(私はこんなに痛いのに、あなたは何がそんなに楽しいの……!)
そんな思いがファーリッシュの心中を占めていた。
なんと憎らしい赤毛の男。執拗にも更に攻撃を加えてくる。
ぶづっ! ぶちぃぃ!
今度は的確にファーリッシュの両腕が両断された。
これで逃亡はおろか、抵抗さえする事が出来なくなった。
「…………!」
ファーリッシュは激痛と出血のショックで、
それ以上声を発する事も出来ず、気を失おうとしていた。
「ふん。もうおしまいかい。つまんねーな。じゃあ死ねよ」
赤毛の刺客が鎌を振り下ろそうとした瞬間だった。
「王女ぉぉぉぉッ!」
「嫌ぁぁぁッ! 王女陛下ぁぁぁ!」
若き日のガイギャクスとユニアが刺客に攻撃を加えようとした。
「ちっ、命拾いしやがったな。だがその出血で助かるかは五分五分だな!
 王女さんよ、もし生き延びたなら、俺が改めて
 ぶち殺してやるから喜んで待ってな! はっはぁ!」
赤毛の刺客は交戦状態にならないうちに素早く引き上げた。
自分の未熟を知り、ガイギャクスに勝てない事を本能レベルで察したからである。
勝つにはまだ経験が不足している事も熟知していた。まったくもって狡猾な刺客である。
「王女! 大丈夫ですか!」
「いけない! とりあえず専門外だけど、魔法で出血を抑えないと命が危ないわ!」
「ああ! 頼む、ユニア!」
薄れゆく意識の中で、最後に見たのはユニアの泣き顔で、
頭に焼き付いたのは赤毛の刺客の顔だった。二度と忘れないあの顔。狂気に満ちた不快な顔を。
この痛み、二度と忘れない。
その思いだけが、ファーリッシュの命を繋ぎ止めた。

「あ……あなたが……あの時の!」
「思い出しやがったか。どうだ? 十年ぶりの仇の顔はよぉ」
「……ません」
「あん?」
ファーリッシュの小さい呟きにブラッドは怪訝な顔をするが、ファーリッシュは再度言い直した。
「あの痛み、忘れてなどいません。あなたの顔も……故に貴方は、私が、倒します」
「くふっ! はーっはっはっはぁ! いや、面白い冗談だ、参ったよ、降参だ。
 これだけ笑った事はここ数年で一度も無いぜ! 面白いよ、あんた!」
「何がおかしいのです!」
「俺を倒せると思ってるのがおかしいに決まってんだろこのクソアマ!」
突如として激昂するブラッドに、ファーリッシュがびくりと怯む。 「俺はな。王族ってのが大嫌いなんだよ。
 実力も無いくせに親からちやほやされて、蝶よ花よと育てられ、
 あげくの果てに貰った力だけで偉そうにしてるのがな。
 その点に関してはお前等もリグバルト王国も全然変わりやしねぇ。
 俺が小さい頃クソ親父やらクソ兄貴やらに虐待されてる頃も、
 社会から見捨てられてる頃も、必死に這いずり回って生きてた頃も、
 盗みでしか生きられなかった頃も手前ェ等はそうなんだよ! そんな現実が許せると思うのか!
 だから俺が全部ぶっ潰す! 掻き回す! 妬み嫉む!
 引き千切る! 切り裂く! 叩き壊す! 喰らいつく!
 そして刻み込んでやる!」
彼の人格を形成したのは不遇の人生である。その果てがこの狂気だ。
「あ……ああ……」
圧倒的な負の狂気に、思わず飲まれるファーリッシュ。恐怖と言ってもいい。
「怖いか? 怖いだろう! そうやって散って逝け! 気持ち良くなぁ!」
もはやファーリッシュには、既視感として十年前の光景がだぶって見えていた。
怖い。痛い。恐ろしい。
その感情しか残されていない。十年前の再現なのだ。
「怖いよ……痛いよ……父上……兄上……助けて……!」
「誰か……止め……て……!」
ユニアが懸命に声を振り絞って助けを求める。
近衛兵が数名ほどブラッドを押さえにかかるが、攻撃する間も無く両断されてしまった。
「いや……いやぁぁあああ!」
「いい声で泣き散れぇぇぇぇ!」
ブラッドがチェーンサイズを振りかぶった。
だが、十年前のファーリッシュとは違い、今の彼女には厳然とした『力』があった。
苦し紛れに突き出した左腕の武器が、チェーンサイズを突く。
ガドム!
「がぁぁッ!」
凄まじい轟音を立て、炸裂。
あらかじめ薬莢が装填されていた、ナックル・バンカーが激発し、
特大サイズの杭打ち機が、ブラッドのチェーンサイズを、
あまりにも見事に粉砕、いや撃砕した。跡形も残らない。
ずさぁぁぁぁ!
反動だけで、ファーリッシュの身体が数メートルほど後ずさる。
直接肉体に受けなかったとは言え、衝撃を受けたブラッドは十メートル以上も後ずさる事になった。
一方的に屠れると思った相手からの思わぬ反撃に、ブラッドは狼狽する。
「う……おおお……? な、何だあれは!」
しかし反撃もそこまでだった。
恐怖に押し潰されて、もはや攻撃どころか、
回避さえままならないほど身体が震えている。
「アムゼルかどっかが作った新型の兵器か……?
 だが、抵抗はそこまでのようだな? 覚悟しろや!」
 ブラッドは護身用のナイフで王女を刺殺する気のようだった。
「一撃必殺!」
ブラッドがファーリッシュに向かってくる。
ファーリッシュは脅え、顔を背けることしか出来なかった。
ユニアが声を振り絞って周囲に助けを求めるべく叫ぶ。
「王女ーッ!」
そこへ、ガイギャクスが急遽救援に現れた。
チェーンアックスを振りかぶり、ブラッドを既に両断する気でいた。
RFもオーバーブーストがかかっている。そのままで使い続ければ
オーバーヒートしてしまうほどの推力だ。
「不埒者が! 失せろぉぉぉッ!」
ズドン!
思わず飛び退いたブラッドがいた地面は、軽く地割れを起こす。
チェーンソードをはじめとする、チェーン・ウェポンの攻撃力は、ここまで凄まじいものであった。
「ちいッ! 手前ェのツラも覚えてるぜ! あの時の王女の護衛とやらだな!」
「あの時のクソガキか! ウチの王女を二度も傷付けさせやしねぇぞ!
 敵指揮官が誰かと思えば、手前ェだったとはな!
 だったら容赦なんざ必要無い! 覚悟しろ!」
口論を始めるガイギャクスとブラッドに続き、ジルヴィクスも現れた。
「無理をし過ぎだ、父さん! ライディング・フレームが下手をすると暴発するよ!」
「馬鹿野郎! 間に合ったんだ、説教は後にしろ!」
「分かってる。それよりこいつが指揮官だな?」
ジルヴィクスが、脅えるファーリッシュと、敵指揮官を見つめる。
王女の脅え方が尋常でない事情に、一つだけ心当たりがあり、それを父からも聞いていた。
「そうか……貴様がファーリィを十年前に傷付けた男か!」
 ジルヴィクスは激昂し、ブラッドへと突撃を敢行した。
「待て、ジルヴィクス、迂闊に突っ込むな!」
「許さないぞ! 我が王女を傷付けた罪、その命で贖(あがな)え!」
「甘いんだよ、ガキが!」
ブラッドは口に含んだ毒針を射出した。
ブラッドの放った毒針はジルヴィクスの右腕に命中した。
「そら!」
更にブラッドから投げナイフも飛ぶ。
無慈悲な事にジルヴィクスの左目に命中し、その左目は機能を失った事になる。
「即効性の毒だ! 十分も保つと思うなよ! はははぁ!」
「いやああぁあぁぁああああ! お兄様ぁぁぁ!」
「ジルヴィクスーッ!」
「迂闊な自分を呪って死んでおけやぁ!」
ファーリッシュと、ガイギャクスの悲痛な叫び、そしてブラッドの笑いがこだました。
このままではジルヴィクスがやられてしまう。
「待ってろ、今すぐに……!」
「黙って見てろ、父さん!」
ジルヴィクスの憤怒の表情がまったく消えていない。
凄まじい気迫が満ちている。思わず攻撃しかかったブラッドの足も止まった。
先程ブラッドに殺害された味方兵の遺体からチェーンソードを奪い取り、作動させ、そして――
ぎゃりぎゃりぎゃぎゃぎゃぎゃ!
「がああぁぁぁあぁあぁぁぁああぁああああぁあぁあ!」
ぶつっ!
絶叫と共にジルヴィクスは自らの右腕を躊躇無く切断した。
これなら毒は回らないが、失うものは大きかった。
更にジルヴィクスは左目に刺さったナイフを投げ捨て、
眼球を取り出し、おもむろに口に入れ、飲み干した。ジルヴィクスの左目はもはや空洞である。
そこにあるのは狂気と妄執、そして闘志と気迫である。
ファーリッシュへの兄としての愛情、そして
臣下としての忠誠心だけが、彼をここまでさせるのである。
その狂気が、ブラッドの狂気をも上回った。今度はブラッドに脅えが走る。
「ひっ……!」
「はぁ……はぁ……まだやるか、この外道が! ならば……僕が両断するだけだ!」
片腕でチェーンランスを構える。あまりの出来事に
ガイギャクスも、ファーリッシュも動けずにいた。
「自分の腕千切って目玉食いやがった……狂ってやがる、手前ェ、俺より狂ってやがる!
 う……うう……覚えてやがれぇ! 手前ェの顔は忘れねぇぞ!
 次は手前ェもろとも王女を寸刻みにしてやるからな!」
「望むところだ! 父が精、母が血、わずかたりとて無駄にされざるべきなり!
 即ち、マリーネ共和王国に名将ガイギャクスが長子、
 ジルヴィクス=アーバン在る限り、我等が王女の命を奪う事叶わずと知るがいい!
 その愚昧なる命を少しでも永らえようなどという浅慮あらば、今すぐ立ち去れ!」
ブラッドは無言で、かつ見事な逃げ足で逃げ去っていった。
「す……げぇ……!」
ガイギャクスも驚いたままである。ここまでの芸当、ガイギャクスにも出来る自信は無かった。
鷹が鳶を生む、などという諺もあるが、気迫が違う。龍の子はやはり龍なのだ。
ブラッドの撤退により、敵将兵全体が撤退を開始した。
完全にジルヴィクス一人の気迫で勝利したようなものである。
犠牲は大きかったが得るものは更に大きかった。
「ジルヴィクス……俺は正直、お前が俺以上の覚悟をもって
 戦場に来ているなどとは思わなかった。『名将の子』なんて呼び名はお前には相応しくない」
「……はぁ……はぁ……父さんの子だよ。出来て当然なんだ。
 父さんだって同じ事態に陥ったら出来たはずさ」
「……そうかな?」
「そうだよ……」
父に過剰な期待を寄せるジルヴィクスに、ガイギャクスは苦笑した。
ユニアはユニアで、愛しい息子の立派な、しかし悲痛な姿にただ泣きじゃくるばかりだった。
ファーリッシュも一緒になって泣いている。
「ファーリィ、ユニア。何を泣いている。勝ったんだ。喜べよ」
「ええ……あなた……でも、ジルヴィクスに傷が付いてしまったわね……
 その姿は立派だけど、母親としては素直に喜べないわ……」
「……父親だってそうだ。だが俺達にも同様の覚悟があると信じていたい。
 だからちゃんと誉めてやれ、ユニア、それにファーリィも」
しかしファーリッシュは泣くばかりである。
「ごめんなさい……お兄様……私が脅えてばかりのせいで、お兄様の左目と右腕が……!」
ぱん!
またしてもジルヴィクスのビンタが飛び、ファーリッシュの顔を叩く。
「臣下一人の負傷程度にうろたえてどうするのです、王女!」
「兄妹同然に育ってきた人の心配をしない人がいるでしょうか!」
「それが間違っておられます! あなたはもっと辛い目に遭ってきている!
 将一人がそれより多少劣る程度の負傷を負ったからと言って!
 何故心を動かされる必要などありましょう!
 それよりも敵に脅えぬ心を持たれますよう、諫言申し上げます!」
事実。
その二文字がファーリッシュの胸を締めつけた。
自分が歩んできた道、そしてこれから歩む道もジルヴィクス以上の修羅の道なのだ。
自分と共に歩むというのなら、それを王女として受け入れなければならない。
「分かり……ました……」
未だ流れ止まぬ涙を拭い、ファーリッシュは立ち上がった。
恐れは悲しみで消える。怒りは哀れみで消える。ならば戦争は心で消せる。
ファーリッシュの決意は、義兄の片腕と片目を犠牲にして、更に固まった。
「しかしジルヴィクス。お前、右腕は王女と同じく、
 ワイヤーアームの義手でいいとしても、左目はどうする気だ?」
「眼帯でもしておけばいい。眼窩の形状に不安が出るなら義眼でも入れとくよ」
「なら『名将の子』では格好が付かんな。いっそ『隻眼龍将』とでも呼ぶか?」
「箔が付きすぎじゃないかな? 隻眼はともかく龍は言い過ぎだよ」
「言い過ぎじゃない。俺の子は龍だ。先程の気迫が証明した」
「……なんか照れるな。でも、悪くない」
とりあえず血が流れっ放しなので、左目、右腕共に止血を済ませた。
間に合わせの支給品の義手を装着し、とりあえず動けるようにはなった。
「……許しません」
ファーリッシュの瞳に、本格的な憎しみの色が灯る。
「私の四肢を奪うだけならいざ知らず、
 お兄様の腕まで傷付け、目を失わせたその罪……必ず償わせます。
 ブラッド=ナイトストーカーは……私が討ちます!」
「王女があんな奴を憎む必要はない。僕が自分で自分の目の仇は取るよ」
「でも、お兄様!」
ファーリッシュはなおも抗弁する。
「家族を殺され、国も城も奪われ、民も奪われ、四肢も奪われ、
 そしてまた兄たる貴方の片目、片腕を奪われ、それでもなお黙っていろと仰るのであれば、
 私のこの怒りと憎しみは、どこに向ければよろしいのです! 答えて、ジルヴィクス!」
「少なくとも敵にではありません」
「では、何に!」
「この世界の歪んだ戦争にです。その怒りも憎しみも、悲しみも哀れみも共に、
 このジルヴィクスと、我が家族が連れていきましょう。
 ですから王女たる貴女は、ただ一人を憎む事はせず、
 常に王者たり得る風格をもって戦場に臨まれよ。
 さすれば、新たなる活路と境地、否、それ以上のものが開かれましょう」
「…………」
「エルトリオン王子との接触事件の顛末も全て兵より聞いております。
 彼との歩みが戦争を止める希望となるなら、それも構いますまい。
 何にせよ、僕がここまで貴方に尽くすのは、
 貴方がそれに足りうる御方であるという事を信じている事、ご理解あれ」
「戦争は……悲しいですね。ジルヴィクス……皆で止めましょう。
 これ以上私やあなたのような戦争のための『力』を生まぬために」
「はい。このジルヴィクス、終生変わらぬ忠義を誓います」
二人とも、勝手に涙が流れていた。
それを見ていたガイギャクスとユニアもである。
そしてクラウス・シティの解放は成り、味方の将兵の間では、
『隻眼龍将』ジルヴィクス=アーバンの噂で持ちきりとなった。

一方、敵カイゼル帝国陣営でも、ジルヴィクスの噂が持ちきりとなっていた。
それを聞き、苛立たしげにブラッドは呟いた。
「『隻眼龍将』だと! 敵の名前に箔を付けるために俺は出張ったんじゃねぇぞ!」
報告してきた偵察兵を殴り倒し、ブラッドは荒々しく動き回る。
一見怒りに支配されているブラッドだったが、その表情にはわずかに脅えも見えた。
「あんな狂った奴を生かしといたら、後々ロクな事になりやがらねぇ!
 今のうちに叩き潰しとかねぇと、親父以上の化け物になるに決まってやがる、くそッ!」
自分の事は棚上げし、兵士の前にブラッドは出て、再び命令を飛ばした。
「マリーネ王城に駐留部隊の全軍を集結させろ!
 周辺の地域から民を徴発するんだ! 頭に来たぜ!
 何が何でもあいつらをブチ殺してやる!」
ブラッドの言葉は、マリーネ共和王国内における最終決戦を意味していた。


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