悲行少女


第四幕 勝者と敗者

ファーリッシュが朝、目覚めた。まだ早朝である。
外を見てみると、武器の素振りをしているガイギャクスと……
義眼と眼帯を付け、義手を自由に使いこなすジルヴィクスの姿があった。
まだ、クラウス・シティの激闘から一週間も経っていないのに、
既に馴染み始めているらしい。驚異の才能である。
「お兄様……もうそんなに動いて大丈夫なのですか?
 二日間はロクに目も覚まさず、意識も朦朧としていたのに……」
ジルヴィクスは戦闘が終わってから気を失い、夥しい出血のせいで、ずっと眠っていたのである。
輸血が間に合ったのが幸いであった。眠っている間に義眼と義手の処置も済み、
今はこうしてガイギャクスと一緒に素振りをしているのだった。
「大丈夫だよ、ファーリィ。いい朝だね。これから戦争とは思えない」
「ええ……」
そうなのである。またも戦争。しかも戦局を大きく揺るがすほどの戦場へ赴くのだ。
その地の名はマリーネ王城。ファーリィの本来の故郷であり、全ての司令部として機能する、
共和王国の最重要拠点である。ここを取り返して初めて、
マリーネ共和王国は惑星ノア統一戦争に参加していると言えるようになるのである。
自分達はまだ戦争に参加さえ出来ていないのだと思い知らされる戦局ではあるが、希望は見えている。
後は進むしかない。そのために重要と思われる人物、
リグバルト王国のエルトリオン王子の顔がファーリッシュの顔をよぎった。
いきなり好いているなどと、のたまってきた変人の顔である。
しかしあれ以来、ファーリッシュは彼の事が忘れられないでいた。
悪い言い方をするならば、『変な奴』ほど印象に残るものである。
「私は……あの底抜けに明るいエルトリオン王子と一緒になら、
 同盟を組んで戦ってみるのもいいと思っていますが、皆はどう思いますか?」
ファーリッシュの問いかけに、アーバン一家は困った顔をした。
「私は会っていないけど、家臣の言う事をロクに聞きもしない放蕩王子だって聞いてる。
 本当にそんな人が当てに出来るのかしら?」
「いや、ユニア。放蕩王子って事は野心ゼロって事だろ。
 同盟相手にするなら理想的だと思うが……」
「相応の実力が無ければ駄目だよ、父さん。
 リグバルト王国自体は強い国だけど、王子の資質も大事じゃないかな……」
三人の意見に首を振るファーリッシュ。
「お兄様に、人の心を説いて平和をもたらす資質があるのは私だけだと言われてから、
 ずっと疑問に思ってきたのです。私一人だけのはずがないのだと。
 だとしたら、私は彼と共に歩む道を選ぶべきだと思っています」
「そりゃあ王女がそう決めたのなら、僕にどうこう言う資格は無いですけど……
 会ってもいない相手を信用しろっていうのは都合が良すぎではないでしょうかね?」
「確かにそうですね……このマリーネ王城を制圧したら、
 一度会談を設ける必要があると思います。それで意義は無いですね?」
今度の意見はとりあえず受け入れたのか、全員が首を縦に振る。
「じゃあ私が将兵にその方針を伝えておくわね」
「お願いします、ユニア」
ユニアが席を離れた。
「いつに無く真剣だな、ファーリィ?
 エルトリオン王子はファーリィの事を気に入ったらしいが、
 ファーリィも彼を好いているのか?」
関心深げに、ガイギャクスが訊いてきた。
「ちっ……違います! 違うと……思います!
 だって、恋愛なんかしたことありませんもの!
 そんな事分かるわけないし、自信が無くて当たり前じゃないですか!
 大体エルト君は敵の人ですけど底抜けに明るかったり、
 私の事をいきなり好きだなんて言ってきたり、
 あまつさえ手を握ってきたりなんかして変な人だとは思いますし、
 大体初対面の女性に対して名前より先に年齢を訊いたりとか無駄に失礼ですけど、
 だからと言って嫌いだなんて事ではなくてですね!
  手が暖かいだとか可愛いだとか綺麗だとか言われて少し嬉しかったりもして、
 やぶさかではないというだけの話です! 分かりますか?」
「いやすまん。言ってる事が支離滅裂で意味分からん」
「もーっ! もーっ!」
「お、落ち着いて、ファーリィ」
露骨に赤くなって涙目になりながら動揺し、最終的に言動がおかしくなり、
地団駄まで踏み始める彼女を流石に見かねて、すぐさま宥めにかかるジルヴィクス。
やはり彼がいなければ、結局ファーリッシュはただの世間知らずの駄目な人であった。
「エルトリオン王子が変な奴だってのは、如実に分かったけどな……」
ガイギャクスは頭をぼりぼり掻きながら、溜め息をついた。
「え、エルト君は変な人ではありません!
 それは確かに変なところもありますけど、本質的にすごくいい子なんです!」
「……どっちなんだよ」
流石にげんなりしてガイギャクスがその場を立ち去った。
「とにかく、会う。これでいいね、ファーリィ」
「……ええ」
多少グダグダになったが方針はまとまった。
後はカイゼル帝国との領土内決着を着けるのみである。
上手くすればマリーネ・リグバルト同盟軍として、
戦局をかなり有利に傾ける事も可能かもしれない、とジルヴィクスは期待し始めていた。
「ともあれ行こう。戦場はあくまで我等が王城だ。
 ここを奪い返して、君が玉座に座らない事には、会談も何も無いからね」
「はっ、はい! 取り乱して申し訳ありません、お兄様!」
「僕も興味が出てきた。一度会っておく必要があると思う。兄代わりとして」
「お兄様……一応言っておきますけど『妹は嫁にはやれん!』とか
 ベタな事をエルト君に言わないで下さいね。誰も笑いませんから」
「……駄目かな? 男なら一度は言ってみたいシチュエーションなんだけど」
「……そんなので喜ぶの、変です」
本気で言っている節があるのでファーリッシュも困るのだ。
昔からジルヴィクスは、妙なこだわりを持っている。型に嵌った行動が何となく好きらしい。
「とにかく軍議だ。僕達もそろそろ行こう」
「分かっています」
二人は連れ立って仮設陣幕へと向かった。
中に入ると、ブラッドの攻撃によって、数名ほど将が減ってはいるものの、
クラウス・シティ制圧により、潜伏していた将などが新たに加わり、戦力は増加していると言えた。
「我等が王女陛下と、頼もしき『隻眼龍将』殿のお出ましですぞ。各員、敬礼!」
ざっ!
音を立てて全員の敬礼がまったく同じタイミングで出された。
反射的にぺこりと頭を下げる辺り、隻眼龍将などと言われても、
腰の低いジルヴィクスらしさが出ていた。
「各員、着席!」
無駄に気迫の入った号令により、全員が席に着いた。
ファーリッシュも上座に座る。ガイギャクスとユニアによる報告が始まった。
「まずは戦果報告だ。クラウス・シティ及びその周辺区域は完全に制圧、奪還し、
 再度我等マリーネ共和王国の統治下となった。
 これにより、ブラッド=ナイトストーカー率いるカイゼル帝国軍は大きく後退し、
 マリーネ王城にしつこくも立て篭もっている」
「けど、状況は楽観的じゃないわね。
 戦力を統合した事で彼我戦力差は削られた分を考慮しても四対一。
 前回より更に苦しいわね。RF隊、魔道部隊共に敵にも存在しているし、
 何より攻城戦の経験が無いせいで、苦戦は免れないわ。
 更に周辺地域から徴発された市民兵への攻撃も
 出来るだけ避けなければならないし、正直、かなりやる事が多いわよ。
 勝利を得るための最低条件は敵指揮官の抹殺。
 もう捕縛は考える必要無しね。何てったってウチの息子を傷モノにしてくれたんだから」
「ユニア。私情が入り過ぎだぞ……まあ公人としても、
 市民を強制的に徴発はおろか、虐殺までするような奴を生かしておいては、
 市民感情として納得してくれまい。だから抹殺だ。いいな?」
「当然です! 我等が王女を泣かせたというではありませんか! その男!」
「王女の四肢を奪った報いは必ず与えてやりましょう!」
次々と将兵が怒りに満ちた表情を見せる。
既にファーリッシュに全幅の信頼を寄せ始めているのである。
ファーリッシュの人柄にはその程度の魅力はあった。
「各員、静粛に。ともあれ方針は決まっているが、戦術に決定打が無い状況に変わりは無い。
 油断すると足下をまた掬われるぞ。第二の『隻眼龍将』にでもなりたいのか?
 ウチの息子だけで間に合っているんだがな」
脅しを含んだガイギャクスの言葉に、将兵が冷静さを取り戻す。
「戦場はマリーネ王城周辺及び、城内が想定される。
 敵に捕縛されたこちらの捕虜がいる場合は、処刑される可能性があるので、
 RF兵を駆使して速やかに救出したいところだ。
 また、敵の中から徴発兵と思われる部隊を見極めて、説得にかかるのも忘れるな。
 敵のうち、大きなウェイトを徴発兵が占めているだろうからな。無駄な犠牲は避けたい」
「あと、極力城は傷付けないでね。放火とか特に駄目よ?
 ただでさえ焦げて煤けた城なのに、これ以上火を付けたら本当に全焼しちゃうからね」
城攻めとしては厳しい制限である。有効戦術だったが、やむを得ない。
制圧後は自分達の本拠地として使わねばならない城だから当たり前である。
「敵が策を使ってきた時の対応は俺や王女が練る。
 適宜命令を出すので、将兵は総員、即時考慮し、対応する事。いいな?」
「はっ!」
「それからジルヴィクス」
「何? 父さん」
「お前は今度こそ王女の護衛に専念しろ。片目での戦闘に慣れる必要がある」
「そうさせてもらうよ。人手が必要な時なのに……ごめん」
方針は決まった。一つを除いて。
「最後に王女。貴方の行動です」
「私ですか?」
「はい。王女には旗を立てた騎馬に乗ってもらい、
 文字通り旗頭となって、指揮を執っていただきます。
 これによりかなりの士気向上が見込めるでしょう」
「馬ですか? 乗れるとは思いますが……幼い頃によく乗っていましたし」
「恐縮です。折り紙つきの名馬を寄越させましょう。軍議は以上です」
「ありがとう、ガイギャクス、ユニア。では、行きましょう」
「王女、出陣前に将兵に一言を」
「はい」
王女は、陣幕から出て、将兵の前へ姿を見せた。
先程ガイギャクスが言っていた名馬とやらも姿を見せたので、その背に跨った。
その姿はとても凛々しく見えた。台本を手に持ったファーリッシュだったが、
いきなりそれを投げ、チェーンソードで斬り捨てた。
将達の表情が驚愕に満ちている。
「親愛なるマリーネ共和王国将兵の皆様。
 もう見慣れてきたと思いますが、私は王女ファーリッシュ=アーバン=マリーネです。
 今まで喋ってきた激励は、全て台本によるものであり、
 私の本意が記されたものではありませんでした」
台本無しでありのまま喋っているので、威厳では前の激励より劣る。
「私は戦を望まず、ただ脅え、逃げ隠れる事十年を過ごしました。
 平和に過ごせるのなら、痛み無く過ごせるのなら、
 もう王位などどうでもいいのだと考えておりました。
 しかし、こんなにも私の存在を望み、領土を取り戻そうという方が
 いて下さるというのに逃げ回るなど、私には出来ませんでした。
 力無き者が痛みを負う事の無いよう戦えているか、
 平和のために戦えているのかなどという自信は、
 私にはありません。至らぬ君主です。
 また、一部の将兵は知っていますが、私は四肢の欠損した不満足な人間です。
 このような私でも良い、と言って下さるのであれば、
 私は敵も味方も出来るだけ被害の無いまま終われるよう、
 全ての持ちうる力と、技と、機知とを持って戦場に臨む事を、
 今、私の本音で誓います! あなた達の心と共に、私の命はあるのです!
 そして、今こそ私達のシンボル、マリーネ王城を、
 奪った張本人たるカイゼル帝国軍から取り戻します!
 総員、幸あらば、共に生きて帰りましょう! 私と共に故郷へ!」
「王女と共に故郷へ!」
士気はうなぎ昇りに上昇しつつあった。本来の台本よりも効果的であったようだ。
もはや台本など、意味を成さないのである。
全員が陣幕から出て行く中、ファーリッシュはまだ名も覚えていない
一人の将を呼び止めた。確か、工作部隊の将だったはずである。
「あの……よろしいですか?」
「何でしょう、王女?」
「ブラッド=ナイトストーカーは狡猾な男です。彼一人を仕留めるために、ではありますけれど、
 退路は塞いでおくのがいいかと思われますが……あなたに一任してもよろしいですか?」
「塞ぐべき退路があるというのなら、王城からの脱出路ぐらいでしょうか?」
「私が逃げてきた時にも使った秘密の通路があります。あそこは一時的に塞ぎましょう」
「分かりました。我が工作兵を回しましょう。
 ブラッド=ナイトストーカーとやらは絶対に王城から逃がしたりしません。
 後は王女の本隊次第ですぞ」
「ありがとうございます。本当に助かります」
「では、我が隊は独立行動を取ります故、これにて」
名も知らぬ将は去って行った。これで準備は万全である。
「なかなかに頭が回るようになったな、ファーリィ。
 今俺が言おうとしたんだが……」
ガイギャクスが誉めてくる。
「王城を制圧されているのなら脱出路も知れているでしょうから。
 この際壊してしまうのもいいかもしれませんね」
「おいおい、いざという時、お前が逃げられんぞ?」
「負けてあげるつもりはありませんから。王城で負ける時は、私が死ぬ時です」
「ふん。いつになく強気だな。切り札を当てにし過ぎなんじゃないか?」
「当てにしていますよ。エルトリオン王子はいい子ですから。二人でこの戦争を止めます」
やれやれ、とガイギャクスは肩をすくめる。
「随分と入れあげたもんだ。親父代わりの立場がありゃしねぇ」
「拗ねているのですか? 可愛いところもあるのですね、お父様」
「よせよせ。似合いやしねぇ」
「とりあえず会ったら、冗談で『ウチの娘はやらん!』とでも言っておくか?」
「……やっぱりお兄様と親子ですね。言う事までそっくりです」
「そうか?」
なんだかおかしくなり、久しぶりに本音で笑うファーリッシュ。
ばつが悪そうに頭をばりばりと掻くガイギャクスであった。
「ま、それはいいとしてもだ。王城の構造は覚えているか?
 なにぶん昔の事だから忘れていても仕方無いが、
 覚えておくとそれとなく有利だと思うぞ。王城での戦闘だしな」
「細かい構造は覚えていませんが、主な施設は覚えています。
 一階に正門やら兵舎、食堂などの基本施設、二階には執務室や玉座の間などがあったはずです。
 三階には王族、貴族の私室など、基本的にプライベートルームが多かったはずですね。
 一方地下には地下牢獄があります。脱出路も地下牢獄から入れる状態のはずですし、
 こちらの捕虜もここに捕らわれているでしょうから、優先的に押さえなければなりません。
 ……とりあえず覚えているのはこの程度です」
「上出来だ。よく十年前の事をそこまで覚えているモンだ」
ガイギャクスが素直に感心した。
「脱出路は既に塞ぐように指示してありますので、
 作戦としてはこんなものでしょう。後は正面から切り込むのみです」
「よし、行くぞ!」
ファーリッシュ達も陣幕から出て、行軍を開始した。
カイゼル帝国軍将兵のひしめく、マリーネ王城へと向かい、ゆっくりと歩を進めていった。
これが後に『第一次惑星ノア統一戦争』と呼ばれる戦争の
最終決戦になるなどと、誰が予想したであろうか――

一方カイゼル帝国軍は、既にマリーネ王城へと集結していた。
指揮官は引き続き、あのブラッド=ナイトストーカーである。
ただし補佐役として皇帝側近の、謎の赤い仮面男、レッドマスクが就いていた。
ただでさえ相性の悪い二人が、この窮地において素直に仲良くしているはずもなく、
緊迫した空気が軍議の場に漂っていた。
「ですから申し上げていたのです。弱者とて甘く見れば痛い目を見る、と。
 マリーネ共和王国のファーリッシュ王女、やはり侮り難い存在かと」
「レッドマスクの坊や、俺はあのヘタレ王女に負けたんじゃねぇんだよ!
 現に俺はあの王女をブチ殺す寸前までいったんだ!
 俺が負けたのは敵の『隻眼龍将』にだ! 毒をくらったからって、
 自分の腕を両断して、失明した目ン玉をかっ喰らうようなトチ狂った奴と、
 まともに戦ってたらこっちまで気が狂っちまうってんだ!」
「ほう、ご自分は狂っておられぬと仰られる。これは愉快な冗談ですな」
「ンだと! この赤仮面野郎が!」
「私に手を出されますか? 皇帝陛下が黙ってはおりませんぞ……?」
「ぐっ!」
ブラッドも皇帝の権力には逆らえない。そこを突いた的確な脅しであった。
「私の意見も聞いていただきますぞ。勝ちたかったら、の話ですが」
「しゃあねえ! 皇帝の顔を立てて手前ェの言う事も聞いてやる!
 だが最終的には俺が指揮官だ! 俺の命令には極力従えよ! 分かったか赤仮面野郎!」
「よろしいでしょう。では、私は王城の中の警護に当たります」
「ムカつくが任せる。俺は外に出てあいつ等をぶっちめてやらねぇ事には気が済まねぇ。
 手前ェは黙って、そこで王女が斬り刻まれるのを見てやがれ」
「期待しておりますよ? ブラッド将軍――」
「チッ、心にも無い事を言いやがる。ますますムカつくガキだ。
 俺が昇進を続けていって、皇帝から信頼を得たら、
 いつか手前ェもブチ殺してやるから覚悟しやがれ」
「あなたに出来ますかな?」
「出来るか出来ないかじゃねぇ、やるかやらねぇかだ。いい加減黙りやがれ」
「ふっ……」
ブラッドとレッドマスクの確執は確実に深まっていた。
これこそマリーネ共和王国軍にとっては隙以外の何でもないとも、ブラッドは気付いていない。
ブラッドは舌打ちしながら、素早く会議室を出て行った。
レッドマスクもブラッドと同じ空間にいるのが嫌なのか、
早々に元ウィーゼル王子の部屋へと篭ってしまう。私室代わりにと使っているのだ。
「先のマリーネ共和王国崩壊時は、戦争でさえ無かった。
 ただの一方的な虐殺だった……罪もない市民も大勢死んだ。
 最悪の光景だったが……ようやく、この時が来た。
 これは私が望んだ戦いだ。遠慮なく来るがいい、ファーリッシュ王女よ。
 ブラッド風情に負け、散ることなど私が許さぬ。
 戦いの決着は、ファーリッシュと私で着けるのだ。そのために来い!」
レッドマスクは独り言を呟くが、聞く者は誰もいない。
それを誰かが聞いた時は、彼自身が破滅を迎える時だからである。

「くちっ」
間抜けなくしゃみが辺りに響いた。未だ馬上の、ファーリッシュのくしゃみである。
「風邪でもひいたの?」
「ユニア……誰かが私を呼んでたりするのでしょうか?」
「エルトリオン王子の事? 最近の王女はそればっかりね?」
「いえ……違うかもしれません。なんとなく」
「……王女?」
「ごめんなさい、行軍を続けましょう」
訝しげな顔をするユニアに優しく笑いかけるファーリッシュであった。
「行軍を続けるも何も、たった今到着したのよ」
ユニアの言う通りだった。眼前には城下町とマリーネ王城が広がっていた。
これでもかというぐらいの威容を誇っている。
国力ではもっとも劣るマリーネ共和王国であったが、
王城と海軍は一際立派と呼ばれるだけあって、あちこち焦げていても見事な外観だった。
「遂にここまで……」
「そうね。私達も十年ぶりかしら」
しかし思い出に浸る暇さえ与えてはもらえないらしい。
早速敵の襲撃と思わしき喧騒が、左翼の陣からあがってきた。
「早速、マリーネからの徴発兵の投入でしょうか、ユニア」
「偵察兵、どうなの?」
ファーリッシュの疑問を受けたユニアの指示に、偵察兵が返答する。
「まず違いましょう。カイゼル正規軍用の鎧を着ておりますからな。
 軍需物資に限りがある以上、まず徴発兵にまともな武具が行き渡る事は無い、と思われます」
「だそうだけど、どうする?」
「ユニア、あなたの指示で。私よりは状況が読めると思いますから」
「なら、私から指示を出すわよ。私の見立てでは、明らかに戦力として劣る集団が
 徴発兵である可能性が高いわ。正規軍の鎧も着ていないし、
 たぶんチェーン・ウェポンも配備されていないはずよ。即ち著しく弱い集団がそれ。
 見つけたらすぐに連絡して。ファーリッシュ王女自らが説得に当たるようにするから。
 っと、これでいい? 王女」
「私自ら民を救えると言うなら、私からこそ望むところです」
「では、その旨を全軍に通達、突っ込んできた敵兵は適当に受け流しなさい。
 すぐに右翼や正面からも来るわよ!」
「はっ!」
毎度の如く忙しい偵察兵部隊だが、今回はやる事が多いので仕方が無い。
かと思えば今度は別の偵察兵が数名やって来て、報告を行う。
「我が軍の後方より伏兵出現! 更に右翼からも攻撃が始まりました!」
「敵弓兵、援護射撃により我が軍に被害が出ております、現在こちらも弓兵で反撃中!」
「第六工作中隊が見当たりません! 離反の可能性がありますが!」
「敵RF兵、部隊展開を始めました! 大至急こちらもRF兵出撃を要請します!」
これら全てにファーリッシュは見事に対応する。陣が頭の中に入っているのだ。
将兵の名前も知らないが、こういう才にはやはり長けていた。前王からの資質である。
「伏兵にはガイギャクスを当たらせます!
 弓兵への対抗策は弓兵だけでは不充分です。
 最優先で魔道部隊から援護させて下さい!
 第六工作中隊は私の直接指示で別行動を取っているだけです、気にせず攻撃を続けて下さい!
 こちらのRF兵は小出しにして、敵にプレッシャーを与え続けて下さい!
 それから敵側の徴発兵部隊の発見を急いで下さい!
 これが済まない事にはロクな攻撃に移れません!
 敵指揮官ブラッド=ナイトストーカーの所在捜索も忘れずに!」
「ははーッ!」
偵察兵も見事なもので、現場から指揮される事に慣れてきたのか、素早く散開する。
「ユニアも魔道部隊に協力して弓兵を援護して下さい!
 ジルヴィクスは一時的に私から離れて、騎兵部隊の半数に
 一度戦場を離れるように伝えて下さい!」
「どうしてだ?」
「騎兵部隊を遊軍として展開します。挟撃には挟撃で返すまでの事です」
「分かった。無事でいてくれ。十分ほどで戻る」
「はい、お兄様。お母様も急いで下さい!」
「ファーリィ、無事でね」
「はい、また後で!」
ジルヴィクスとユニアはファーリッシュの元を離れた。
ジルヴィクスはファーリッシュの直接護衛が任務だったが、
戦況に応じてフレキシブルに対応しなければならない。
「王女、無事か!」
ガイギャクスがやって来た。心配して来たようだ。
「ガイギャクス、何をしているのです? 後方の伏兵は?」
「大した数じゃなかった。単なる牽制だったようで、つついたら逃げやがったよ。
 それより、あの馬鹿息子はどうした!」
「緊急指示を伝えてもらっています。一時的にこちらの護衛に就いて下さい!」
「……そうか、分かった! 任せろ!」
ガイギャクスはファーリッシュの傍へと寄った。
いつでも対応できるように、チェーンアックスを抜き放ち、RFはアイドリング状態にしてある。
更に偵察兵が来た。戦況は一進一退となっている中、待ちに待った報告である。
「見つけました! 敵の大部隊です。
 ユニア将軍の報告にあった、徴発兵と思しき部隊であります!
 数は極めて多いようですが、大した武器を持っていません。
 防具もロクに付けておらず、捨て駒同然に扱われているようです!」
「来ましたね。位置は?」
「こちらの真正面の敵部隊、もっとも前です!」
「まだ説得は速いですね。敵徴発兵の攻撃は受け流して、右翼、左翼の陣を何とか押し上げ、
 同時に前面の陣を退かせて、徴発兵を包囲します。
 そして実質上の保護が済んだ後、私が説得に当たります!
 右翼の陣と左翼の陣、そして前面の陣に伝令を!」
「はい! お願いします!」
偵察兵がまた動き始めた。本当に忙しいことである。
戦局も士気の違いのせいか、順調に右翼、左翼が押し返し始めた。
前面の陣はゆっくりと後退を始める。徴発兵自体にさほどのやる気がないせいで、
あっさりと作戦は成功の兆しを見せ始めた。鉄壁の防御により、
包囲要員には未だまともな被害さえ出ていない程である。
たちまち包囲されると、徴発兵は泣き叫び、命乞いまで始める始末だった。
「王女! 説得するっつったな……今じゃないのか?」
「そうですか? では、急ぎましょう。ガイギャクス、随行を!」
「了解だ、ガイギャクス=アーバン! 出るぞ!」
「行きます!」
ファーリッシュは下馬し、ガイギャクスと共にRFを使い、飛翔した。
一気に徴発兵を説得にかかるためだ。あまり時間をかけると、包囲した徴発兵に被害が及びかねない。
飛行の途中で、ジルヴィクスが合流してきた。騎兵部隊への命令が終わったらしい。
「僕も随行するよ、ファーリィ」
「お願いします。せっかくの説得を邪魔されるわけには参りませんから……」
「ああ」
ファーリッシュ達三名は、ほどなく徴発兵の目の前に辿り着いた。
「あなた達が、カイゼル帝国のブラッド=ナイトストーカーより徴発された、
 マリーネ王城城下町の人達で間違いありませんか?」
優しい声で語りかけるファーリッシュに、敏感に反応する徴発兵達。
「そ、そうですが……貴方は……?」
「私はファーリッシュ=アーバン=マリーネ。
 マリーネ共和王国、王政部最高権力者にして、王女でもあります」
徴発兵達に動揺が走る。十年間も死んだと聞かされ続けていたヨハン王の第二子が、
生きて、目の前にいて、しかも戦っているなどとは想像もしなかったのだ。
ちなみにファーリッシュの言う『王政部』は王族関連の部分を指す。
共和制を同時に行うための『民政部』が同時に存在するが、今は機能していない。
「お、王女だとよ?」
「おい、どうする? 俺達一応カイゼルに雇われてるんだよな?」
「て、天誅とか言って殺されっちまうぜ、やべぇよ」
「うう……仕方なくとは言え、やっぱり許しちゃくれねぇよなぁ」
遂に諦め始めた徴発兵に、ファーリッシュは再度語りかける。
「国の礎たるは、あなた達一般の民です。このような所で生を諦めてはなりません。
 生きて、私と共に天を仰ぐ意思があるなら、すぐに我が軍の保護を受けて下さい。
 ファーリッシュ=アーバン=マリーネ、心よりお願い申し上げます!」
「おね……がい……?」
王族からはついぞ聞き慣れない単語に徴発兵の気持ちが揺らぐ。
「国を守りきれずは父上が罪。城を守りきれずは兄上が罪、
 そして逃げ出すは我が罪……しかしこの罪にまみれた私でも、
 今、多くの将兵達が慕って付いてきてくれています。
 あなた達に守るべき大事なものがあるならば、今すぐに保護を受け、
 この戦場より立ち去って下さい! 悲しみと共に行く私に、
 これ以上の悲しみを背負わせないで!」
真意からの涙を流して、懸命に説得を続けるファーリッシュ。
「おお……ワシ等みたいなモンのために王女が泣いておられる……悲しんで……」
「悲しみと共に行く王女……『悲行少女』とでも呼ぶべきなのか……!
 あのように幼い王女を泣かせて、望まぬ戦いなどして、何とするか、皆の者!」
「そうだ! 俺達ぁマリーネの国民だ! カイゼルの捨て駒じゃねぇぞー!」
「マリーネの軍に帰参するんだ、急げー!」
「王女様ー! 私達も今そちらに参りますぞぉ!」
次々と徴発兵達が武器を投げ捨て、身軽になってたちまち撤退を開始する。
数だけはやたらといたので、彼我戦力差が一気に一対二にまでなった。
この差であれば、士気の差を考慮した場合、充分に逆転可能と言える。この時、戦局は急転した。
「徴発兵を保護します! 全力で防衛を! ガイギャクス、指揮を任せます!」
「おうよ!」
「ジルヴィクス! 私と一緒に徴発兵改め、
 民兵を誘導し、本陣まで後退します! あなたも随行し、共に案内役を!」
「了解です、王女!」
「民兵の皆さん、私とジルヴィクス将軍の後を追い、本陣まで後退を!
 皆さんを失うわけには参りません! 全力をもって守り抜く事を誓います!」
「おおーッ! 噂の『隻眼龍将』殿だぞ、本物だー!」
「それに王女自らが護衛して下さるなどと、なんと光栄な!」
「ここで遅れを取ったらマリーネの恥だぞ! 全員走れ走れ走れぇ!」
勢いに乗った民兵部隊は、歩兵としてはありえない行軍速度で撤退を始めた。
逃げている部隊とは思えないほどの士気の高さである。
これには流石に追撃をかけようとしていたカイゼル帝国軍も攻撃を躊躇してしまった。
武器も持っていない連中に怯まなければならない理由はないはずなのだが、
説得一つでここまで見事に寝返られるとは思っていなかったという動揺も大きい。
人の心とは、かくも波の如く揺れ動くものなのである。
ものの数分で、民兵部隊は本陣まで到着した。
もはや戦局に揺るぎは無いはずだった。だが、事はやはりそう甘くはない。
「手前ェ等! 徴発兵を丸々奪われやがって! なんてザマだ、恥を知りやがれ!」
ブラッド=ナイトストーカーがRFを駆り、戦場に姿を見せた。
「ここから退く奴は俺がこの手で皆殺しだ! 裏切り者にも思い知らせてやれ!」
ブラッドは、恐怖で兵達を掌握し始めた。マリーネの民兵も脅え始めている。
「ブラッド将軍が見ているぞ! 押し返せーッ!」
カイゼル帝国軍の士気が恐怖で上昇し、マリーネ共和王国軍を押し返し始めた。
最初から数はカイゼル帝国軍の方が多いため、仕方が無いとは言える。
「どうする……?」
ジルヴィクスが作戦の選択で迷い始めた。頭を使う役割は本来ユニアの役割であり、
そもそも彼の得意とする所ではなかった。
「弓兵の援護にあたっていた魔道部隊の攻撃を、敵本隊に向けます。
 道を開けて魔道部隊を前面に押し出し、大規模魔法で攻勢をかけます!
 周辺の部隊は、魔道部隊の援護と防御に全力を注いで下さい!」
恐らくこの状況下で一番的確と思しき策をファーリッシュの頭脳が弾き出した。
おそらく、ユニアがいても同様の指示を出したものと思われる。
「魔道部隊、前進!」
ファーリッシュの意図を即座に汲んだユニアの直接指示により、
「ガイギャクス! 魔道部隊のフォローをしている部隊への直接指揮を頼みます!」
「よしきた!」
ほどなく、大規模な攻撃魔法があちこちから飛び出し、敵を一斉に駆逐していった。
戦力の半分以上が一瞬にして削られた形である。これでは士気の維持も何も無い。
しかし敵にも魔道部隊がいる。それを放置しておくわけにはいかない。
また、クラウス・シティの時のような魔道部隊による魔道部隊の攻撃も効果的ではないだろう。
「RF兵、敵魔道部隊へ直接攻撃開始! こちらの損害を最低限に抑えます!」
ファーリッシュの更なる指示にRF兵が突貫。
次々と魔道部隊を戦闘不能にしていく。数ももはやこちらが逆転している。
大勢は決した……かに思われた。
「ちっ、なんて頭でっかちなクソアマだ! 頭が回りやがるぜ!」
ブラッドがカイゼル帝国軍陣中内にて苛立ちを露にし始めた。
しかしマリーネ王城内から、完全武装の兵が多数出現した。
レッドマスクの後詰め部隊だ。これでマリーネとカイゼルの彼我戦力差は、
一対二・五に戻されてしまった。恐ろしい国力と兵数である。
「おっ、よく来やがったな! そら、マリーネの奴等を叩きのめせ!」
「了解です!」
魔道部隊も疲弊し、既に後退している。打つ手も限られてきた。
マリーネ共和王国の陣の上空で、ファーリッシュとジルヴィクスが困り果てていた。
「まずい……あれほどの戦力は流石に予想外だ! どうする、ファーリィ!」
「待って下さい……今、策を……!」
駄目だった。自軍の被害を抑えての策は思いつかない。
万一の保険のために遊軍として動かしていた騎兵部隊を突撃させるしか……無いのである。
騎兵部隊にも多数の犠牲は出ようが、いきなりの側面からの攻撃なら敵は対処しきれず、
恐慌状態に陥る可能性が期待出来る。その時偵察兵が現れた。
「報告! 敵に新たなる指揮官が現れました!
 二枚看板のようです! 敵の正体は不明、名前も不明!
 顔が赤い仮面で隠されているようです! ただあのタイミングで
 増援を出してきた所を見ると、相当の者であると思われます!」
ここにきて新たに有能な指揮官の投入。予想外を超えた事態に、
もはやファーリッシュは万策が尽きてしまった。
「ど、どうしたら……!」
「ちっ、こうなったら多少の犠牲は覚悟の上で、一時撤退するしかないか……!」
ジルヴィクスが独自に撤退指示を出そうとした。
だが、それを阻むように更なる方向が偵察兵より成された。
「報告! 謎の騎兵、RF兵の混成部隊が西方向より急接近!
 あと二分ほどでこの戦場に到着します! 予想進路コース上にカイゼル帝国軍です!」
敵の増援だろうか。いよいよ進退窮まった。ファーリッシュも覚悟を決めた。
犠牲がどうのと言っている場合ではない。全滅だけは避けなければならない。
「くっ……やむを得ません、全軍に撤退指示を! この場から退くのです!」
「その必要はありませんよ!」
ファーリッシュの横から聞き覚えのある声。
巨大な馬に跨り、堂々たる戦装束に身を包んだ、リグバルト王国のエルトリオン王子であった。
「僕達リグバルト王国軍は、親愛の情義により、
 今よりマリーネ共和王国軍と共同戦線を張り、
 このマリーネ王城を君の手に取り戻させてみせるよ、ファーリィ!」
「エルト君!」
「リグバルトの増援だって?」
ファーリッシュの顔が歓喜に、ジルヴィクスの顔が驚愕に満ちた。
「会いたかったよ、ファーリィ!」
図々しくもまた手を握ってくるエルトリオン王子の手を、
今度はファーリッシュ自らがしっかりと握り返した。
「本当に私のために来てくれたのですか? 家臣の方々は反対しませんでしたか?」
他人事ながら余計な心配をしてしまうファーリッシュ。
「うん、何とか説得してきたんだ。さあ、カイゼル帝国軍を追い出すよ。
 ちょっと申し訳なかったけど、そっちの偵察兵の人を一人捕まえて、事情も聞いてあるんだ。
 あとでその人はちゃんと返すけどね。君を泣かせたとかっていう敵の指揮官はどこ?」
「敵陣の中央上空でRFを吹かして命令している人です」
忌々しげにブラッドを指さすファーリッシュ。
「なるほど。かなり癖が強そうだね。ともあれまずは大勢を決そうかな。
 騎兵部隊、RF兵部隊、全軍、西方向より突貫! マリーネ共和王国軍を援護して!」
「ははーっ!」
エルトリオン王子の指示で、騎兵部隊がいきなり突撃を開始した。
予想外の襲撃を、しかもこの戦闘とは無関係なはずの
リグバルト王国軍から受けたカイゼル帝国軍は混乱を極めた。
「リグバルトのエルト坊やがなんでマリーネの味方すんだよぉ!」
もはやわけが分からないといった表情で、ブラッドが絶叫する。
「こうなったらヤケだ! 玉砕覚悟で突撃だぁ!
 ファーリッシュ王女とエルトリオン王子を叩き殺せば士気も何もありゃしねぇんだよぉ!」
ブラッドはとうとう自暴自棄になり、RFをフル・ブースト加速させ、一気に単騎駆けを始めた。
妨害しようとするリグバルトとマリーネ、両国のRF兵が
次々とブラッド一人の手にかかって撃墜されていく。
まっすぐ向かってきたため、ジルヴィクスがチェーンランスを抜き放ち、
すぐにファーリッシュの直接護衛を開始した。
それでも委細構わず、ブラッドは強行突破をしてくる。
「王女をやらせはしない!」
「どけよ! 隻眼隻腕のトチ狂ったクソ野郎が!」
口汚く罵倒しながら、ブラッドはジルヴィクスと交戦を開始した。
ジルヴィクスが本気で戦うに足りる相手なのは知っているので、一切油断もしない。
「僕を狂わせるのは戦場だ! 誰が好き好んでこんな不毛な争いを!」
「戦場のせいにすんなよ! 所詮手前ェも人殺しだろうが!」
「否定はしないが、肯定するのは嫌だ!」
激戦と舌戦が同時に展開される。二人の距離が近いので、
ワイヤーアームでの介入も出来ない事に、ファーリッシュは苛立ちを感じた。
そのファーリッシュの義手を、そっと優しくエルトリオン王子が握った。
「大丈夫。好機はそのうち来る。
 隙が出来たら、それが何かは、僕は知らないけど躊躇なく叩き込むんだ。
 それに……守ってくれる彼の方、たぶん、敵指揮官よりも強いよ。訓練量が違うと思う」
見ただけでそこまで分かるのは、やはり王道を行く
リグバルト王国の王子故であろうか。武技に長けた彼の家系ならではの直感かもしれない。
「エルト君。そのまま私の手を握っていて下さい。
 あなたの制止が無ければ、私はすぐにでも
 冷静さを失って、飛び出してしまう駄目な娘ですから……」
「分かってる。精神を集中して、ファーリィ」
一瞬が永遠であるかのように引き伸ばされる瞬間。
ジルヴィクスに当てては元も子も無い。ワイヤーアームはそれ自体が凶器なのだ。
「死ねやぁ!」
ブラッド渾身の一撃が、ジルヴィクスの頬をかすめる。
更に一撃を加えるべく振りかぶる。チェーンサイズが当たれば致命傷確実だ。
「勝ったな」
ジルヴィクスが呟き、笑って右腕を突き出した。
「義手を突き出したからって盾のつもりか、笑わせんな!」 ばすっ!
ジルヴィクスの右義手に仕込まれた、ファーリッシュと同じ仕様のワイヤーアームが解放され、
鉄拳が攻撃をかいくぐり、ブラッドの腹を直撃。
そのままワイヤーは伸び続け、最大射程である五十メートルまで伸び、静止する。
「お……おお……?」
何が起きたかまったく理解出来なかったブラッド。
やはりワイヤー付き義手は有効な兵器なのだ。
代償として四肢欠損を求められる、あまりにも不毛な兵器、ではあるが。
「今だ! ファーリィ!」
握っていた手を放し、よろけるブラッドを指差すエルトリオン王子に従い、
左腕のワイヤーアームをファーリッシュが解放する。
ズドム!
左の義手に握っていたのはナックル・バンカー。
強烈な杭打ちの一撃が、ブラッドのRFをバラバラに打ち砕き、
盛大に血飛沫が飛び散った。内臓をも破裂させたようだ。
「がっ!」
ブラッドが膝をつく。もう立っている事さえままならない。
「抵抗しないで! 次は本気で殺しますよ!」
ファーリッシュが最後の情けをかけるも、ブラッドは恨みがましい顔をして、
投げナイフを手に取った。命と引き換えにしてでも、戦い抜くつもりらしい。
見上げた根性だが、それはファーリッシュにとって自分の願いを無下に扱われた瞬間でもあった。
「くっ!」
ファーリッシュは左腕のワイヤーアームを引き戻し、すぐさま右腕のワイヤーアームを解放。
アイドリング状態のチェーンソードを握らせたまま射出した。
ざむっ!
軽快にチェーンソードがブラッドの胴に叩き込まれ、
ブラッドの身体は綺麗に上半身と下半身に両断された。
もはや流れる血もあまり残っていないようである。
戦いが事実上終わった。指揮系統を失ったカイゼル帝国軍は、
王城内、あるいはそのままカイゼル帝国に戻るべく、北方向へと撤退を始めたのだ。
この手際のいい指示は、恐らくもう一人の指揮官、レッドマスクとやらのものだろうと推測された。
一人置いていかれた息も絶え絶えのブラッドが、まだ悪態をついている。
「リグ……バルトが……何で……マリーネ……に……手を貸し……やがる……」
「僕が彼女を気に入ったからだよ。それ以外の理由は無いさ」
よっぽど納得がいかなかったのだろう。ブラッドが心の底から忌々しげな顔をする。
「愛の……力ってか……? 馬鹿に……すんじゃ……ねぇよ……」
「人が好きな事がいけないのですか? あなたにも好いた人の一人くらいは……」
またもかける必要の無い情けをかけるファーリッシュに対し、更に顔を歪めるブラッド。
「俺は……愛とか……そういうのを……
 信じなくても……済むから……戦って来れたんだ……
 この世界に……愛なんてものが……あるなら……
 俺は……人を殺さなくて……済んだだろうし……
 傷付かなくても……済んでいたはず……
 なんだ……よ……この……クソガキ……どもめ……がはっ!」
 どこにそんな血液が残っていたのか、ブラッドは吐血した。
「もういい、もう喋るな。死に際に苦しいだけだぞ」
ジルヴィクスも戦士の情けをかけるが、それもブラッドは無視した。
「なんで……俺が……負けた……?
 なんでこんな……ロクな実戦経験も……持ち合わせていない……
 素人に毛の生えた程度の……奴に……背負うものだって……俺の方が……
 ずっと……重かったはずなのに……」
「…………」
末期の言葉を、ファーリッシュは真摯に受け止めていた。
憎き仇だが、その強さは確かにファーリッシュを一回り成長させた要因でもあるのだ。
「その驕りが負ける原因だという事だ」
その時、味方本陣のはずなのに、レッドマスクが歩いて現れた。
「敵指揮官だと! ここまで通すだなんて、父さん達は何をしていた!」
思わず身構えるジルヴィクスを手で制したレッドマスク。
「お初にお目にかかります、ファーリッシュ=アーバン=マリーネ王女。
 それにリグバルトのエルトリオン王子もですな。
 私はカイゼル帝国軍幹部の一人、レッドマスク。以後、お見知りおきを」
「レッドマスク……?」
あまりと言えばあまりにそのまま、赤い仮面を指す名前に、
不審な目を向けるファーリッシュとエルトリオン王子。
「あなたはカイゼル帝国軍の指揮官代行者でしょう。何をしに来たのです?」
エルトリオン王子の質問は受け流し、レッドマスクはブラッドに近寄った。
「ブラッド将軍、あなたの軍は私が引き継ぎ、この王城より責任を持って撤退させます」
「何を……言って……やがる……最後の一兵まで……戦いを……」
「あなたの無謀な指揮で、自軍にも多くの被害が出ております。
 もはや駐留部隊として維持する事は困難になりました。後は私に任せてもらいましょうか」
ざむっ!
持っていた短剣で、レッドマスクはブラッドの心臓を一突きにした。即死である。
「何をする! 怪我人に鞭打つような真似を!」
ジルヴィクスが激昂しかかる。仇とはいえ、このような行為を見過ごしてはおけない。
「勘違いしないでもらおう。死にゆくものをただ傍観するは苦しみを長引かせるのみ。
 いっそ幕を引いてやる方が本人のためだ。古くに言う、武士の情けというところか」
レッドマスクの言う通りだった。安らかとは言いがたいが、静寂が彼の身を包んだのである。
是か非かはともあれ、苦しむ事だけはなくなった。
「では、休戦交渉に入ろうか。ファーリッシュ王女」
「交渉?」
レッドマスクがマリーネ王城を指差した。
「あなたの見事な指揮により、我等カイゼル帝国軍は既に崩壊寸前だ。
 これ以上の戦闘はお互い望むところにあるまい。
 故に、我々はこれからマリーネ王城を素直に完全放棄し、
 速やかに本国へと撤退させてもらう。
 その代わり、追撃の手を出さないでもらいたいし、
 そもそも今のあなた達にそのような余裕があろうはずもない。
 妥当な提案だと思うが、如何か?」
内容をしばし吟味するファーリッシュ。
「さあ、どうする?」
「……いいでしょう。これでこの戦いは終結……といいたいところですが、
 それだけで済ませなどしません。私が私の仇を討って、
 はいおしまいというほど、この戦争は簡単なものではないはずです、レッドマスクさん」
「……信じてもらいたいものだな。我々は素直に王城の完全放棄を行う」
「貴方個人は信用出来なくもなさそうですが、
 カイゼル帝国のガウディル皇帝は見知らぬ方ですし、どうという判断もできません。
 そこで私はこういう手に出させてもらいます」
ファーリッシュはそこまで言うと、エルトリオン王子の身体を引き寄せ、
しっかりと手を握って見つめた。突然の動きにエルトリオン王子も驚いた。
「エルト君。これから私達、一緒に平和を作っていきましょう。
 私も、あなたの事、もしかしたら好きなのかもしれません。
 まだ、よくは分からないのですが――」
「……あ、うん! わ、分かった! 頑張ろう、ファーリィ!
 こんな戦争間違ってる。僕は間違いなく言える。君が好きなんだ。
 君とだったら色々大変な事だって、なんとなく乗り越えられそうな気がする!
 だから、名目上だけでも同盟だ! でもそんな事どうだっていい!
 僕は、君と一緒にいられるのが一番嬉しいんだから!」
「なんと……」
思い切った手段に出てきたファーリッシュとエルトリオンに、
レッドマスクのみならず、ジルヴィクスまで驚いた。予想はしていたが本当にやるとは。
「おい、こっちに敵の指揮官が休戦交渉に来たって本当か!」
「どこなの! 王女!」
ガイギャクス、ユニアをはじめとする、
マリーネ、リグバルト両国の諸将も休戦交渉の場に現れた。
戦いが落ち着いた途端の騒ぎを聞きつけて、慌てて来たらしい。
「おい、なんで王女とエルトリオン王子が手を握ってるんだ? ジルヴィクス」
「父さん。たった今からマリーネとリグバルトは同盟関係を結んだみたいだ」
「なんとまあ……あ、手まで繋いでるし」
しかし、論理的にしっくり来ない部分がある。
マリーネとリグバルトが手を組んだのはまあいいとして、
それが直接休戦交渉に結びつくとは、レッドマスクには思えなかった。
仲が良さげにスキンシップを取っているファーリッシュを、
リグバルトの将兵は呆然と見つめていた。
王女らしからぬ朴訥とした印象に、好感も抱いたようだった。
「で、それがどうなのだ?」
レッドマスクの鋭い一言に、ファーリッシュは真顔になる。
「拡声器をお願いします」
ファーリッシュが運ばれてきた拡声器を握り、エルトリオン王子と肩を組み、
結束をアピールしながら大声で喋り出した。
「どうせ偵察に来ているのでしょう! 隠れても無駄ですし、出て来て下さい!
 シレーネ共和国、アムゼル民主国、グライア公国の偵察兵の方々!」
ファーリッシュの全てを見透かした言動に驚いたのか、
遠くから姿をこっそりと見せる各国偵察兵の面々。
「そして、カイゼル帝国軍幹部、レッドマスク殿もよくお聞き下さい!」
「?」
「私、マリーネ共和王国王政部筆頭、王女ファーリッシュ=アーバン=マリーネと、
 リグバルト王国筆頭、王子エルトリオン=セイル=リグバルトV世両名の名において、
 惑星ノア統一戦争の終結を、一方的にではありますが通告します!
 聞き入れられない場合は、同盟により各国を凌いだ国力と戦力をもって、
 各国の軍勢を駆逐し、強制的にでも平和な状態にさせます!
 私達二人でもたらす平和に文句がある国は、徹底的に
 私達マリーネ・リグバルト連合軍が相手になります!
 その旨をよろしくお伝え下さいませ! 以上です!」
今まで聞いたこともないような大声を張り上げて、
精一杯脅しを含んだ和平の提案を彼女が叫ぶと、
この異常事態に慌てて、各国偵察兵が撤退を始めた。
「くく……ふははははは!」
よほど面白いものを見たかのように、いや痛快なものを見たかのように、
レッドマスクがいきなり大爆笑を始めた。
「いや、まさか二国の連合ごときでそこまで大胆に言ってのけるとは思わなかった。
 これがあの最低の国力しかないマリーネの所業なのか? 痛快極まりない話だ!
 久しぶりにどころか、十年ぶりに死ぬほどの大笑いさせてもらったよ!」
「あなたもです。すぐに帰ってガウディル皇帝にお伝え下さい。
 あなたの提案事態は受け入れて、私達も追撃だけはしないでおきます。
 ただし我が王城の秘密の通路は押さえてありますし、
 そちらから逃げ出した者はその限りでないので、ご注意願います」
「分かった。各員に言い含めておきましょう。
 ファーリッシュ王女、あなたの言う平和な世界での再会を
 楽しみに待たせてもらいましょう」
「もし万が一戦うとしても、その時は……」
「互いに犠牲は少なく、戦果は大きく……ですな、ファーリッシュ王女」
「……あなたとは気が合いそうな気がしないでもないです。敵なのが残念な程に」
「私もです。マリーネ側の捕虜もそっくりそのまま残しておきます。では、これにて」
レッドマスクはそう告げると、静かに去っていった。
その顔は歓喜と笑いに満ち溢れていた。負け戦の何が
そんなに面白いのかは分からないが、ファーリッシュの物の考え方は、
彼に何らかの共感をもたらしたようでもあった。
「ファーリィ、すごいハッタリだったね。本当にあれで戦争が終わるかな?」
「私のマリーネ、あなたのリグバルト、双方の戦力を統合すれば、
 二国とさえ同時に渡り合えます。それを真っ向から相手しようとは
 どこの国も思わないでしょうし、何より他の四つの国が、
 簡単に同盟を結ぶほど仲が良い、ないし急に良くなるとは思えません。
 結果的には彼等の相容れなさに救われる形で、
 一時的とは言え、戦争が終わるでしょう。
 明言か、暗黙か、どちらで和平に応じてくるかは分かりませんが、
 全てあなたの英断のおかげです、エルト君」
「照れるよ。随分と反発も受けたけど、君に好かれるだけでやる価値はあるってもんだ。
 なんだったら国ごとくれてやっても構わないと思ってる」
真面目な顔で言うエルトリオン王子に、ファーリッシュは首を振る。
「それは駄目です。エルト君を信じてついてくる将兵を、見捨ててはなりません。
 何をどう取り繕おうと、あなたはリグバルトの王子で、リグバルト王国は現に存在するのです。
 そのように無下に扱うものではありませんよ?」
ゆっくりと諭すように叱るファーリッシュに、
エルトリオン王子は恥じらいを感じたようでもあったが、何より照れが最優先であった。
「やっぱり強いな。それでこそ僕のファーリィだ」
「もう私はあなたのものですか?」
苦笑するファーリッシュだが、エルトリオン王子は意にも介さない。
「エルト君はいけない子です。私を本気にさせようとしています」
そう言いながらもまんざらではない感じで、エルトリオンの頭を優しく撫でる。
「ね? ファーリィはいい娘だろ?」
エルトリオン王子の言い分に納得したのか、リグバルト王国将兵は頷いた。
素朴な人柄が将兵の心を一気に掴みつつあると言えた。
マリーネの将兵もエルトリオン王子の飾らない人柄に、少なからず好印象を抱いたようだった。
だが、そんな事ばかり言ってもいられず、ガイギャクスが釘を刺してきた。
「おい、浸るのはいいけど、カイゼル帝国軍の引き上げも終わったみたいだし、
 とりあえず王城の制圧と補修作業、もう始めてもいいのか、王女?」
「あ、全て任せます」
ファーリッシュの雑な返事に肩をすくめるアーバン一家。
「やれやれ、平和なこった」
「いいじゃない、あなた。私達の若い頃を思い出すわぁ、十年前の……」
ユニアが何やら惚気話(のろけばなし)を始めようとしたので、
ジルヴィクスがそれを遮り、口を挟む。
「こういう時間のために、頑張ってきたんだろ?
 ちょっと順序が逆になったけど、それならそれで悪くはないんじゃないかなぁ?」
「ああ、まあそうだな。実感がまだ伴わないだけだよ、気にすんな。
 ほら、あんまり冷やかすと野暮だ。行こうか。
 とりあえず王城を制圧するのと並行で、どっか散り散りになってるだろう、
 民政部の連中も探してやらんとな。国として半分しか機能しねぇし」
「ああ。結構、幹部連中だけでも数がいるからね。頑張らないと」
「そうねぇ。忙しくなるわよ」
ガイギャクスを先頭に、マリーネ共和王国軍が王城へ向かっていく。
交渉通り、カイゼル帝国軍の将兵は、一兵残らず姿を消していた。
「僕達もそろそろ帰らなきゃ。あんまり国を空けとくと危ないんだ。いいね?」
「はっ、王子!」
エルトリオン王子も再度馬を呼び、乗る準備にかかる。
「待って下さい、エルト君!」
ファーリッシュが引き止めると、エルトリオン王子が振り向いた。
「どうしたの? 寂しくなっちゃった?」
「ええ……ですから平時には時折遊びに来て下さい」
「いいよ。君もリグバルト王城に招待したげる。いっぱい遊んだりしようね」
「はい!」
満面の笑みがファーリッシュから零れ落ちると、エルトリオン王子も笑った。
「この戦いの途中、君の事を悲しみと共に行く少女――
『悲行少女(ひこうしょうじょ)』って表現した民兵がいたんだって。
君にぴったりなのかな、って最初は思ったんだけど……」
ふと、青空を仰ぎ見るエルトリオン王子、ファーリッシュもそれに倣う。
「悲行少女も、悲しみだけじゃなく、喜びや楽しみを連れ歩いていいと思う。
 出来ればそれをもたらすのが僕だと、なお嬉しいかな」
「……きっと、そうですよ、エルト君」
ファーリッシュはエルトリオン王子に笑いかけた。
「いい顔してるね、ファーリィ。やり遂げたいい女の顔だ」
「成せる事を成したのみです」
「その『成したのみ』の事で訪れた平和、何とか二人で守らないとね」
「ええ……では、また会いましょう」
「うん、またね」
去りゆくエルトリオン王子と、リグバルト王国将兵を、
ファーリッシュは一人、いつまでも見守るのであった。


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