ロード・オブ・マーシナリー〜親子で出来る冒険者のなり方〜


一日目(前編) 戦いの福音は今より鳴り響く

ガイナム王国。
そう呼ばれる小国があった。その国は規模も小さく、
エルファード大陸の覇権を争うのがおこがましい程度の勢力しか持っていなかったが、
規模がどうあれ、民はきちんと生き、産み、養い、
また養われ、そして老いて、死んで、朽ちていく。
それはどのような国とて、変わることなど無い不変の真理である。
そのガイナム王国のライゼ地方の町の一つ、ローレン・タウンにある母子が現れた。
母親の方はまだ若い。見る人が見れば、十台後半と判断しても違和感は無いだろう。
だが、その優雅な雰囲気は一般の民とは大きく差異を感じるものである。
金糸(きんし)と見紛うほどの髪、美貌たるや華の如く、肌は玉が如し、という表現は
まさしく彼女のためにあるようにも思われるほどの美しさが、他者の目を引きつける。
その金糸のような髪をポニーテールに結い、原色に近い、鮮やかかつ、
濃い青色、いや蒼色の服を見事に着こなしている。
その色に似た碧眼も印象的であった。だが、その優雅な物腰とは裏腹に、
背中には一振りの長い槍が装着されていた。
そのギャップが有り体に言って、強いインパクトを与える。
悪く言えば、目立ちすぎのきらいさえあった。そんな彼女は二十一歳の人妻で、
没落貴族の領主夫人、イリノア=リヴィードといった。

また、不釣り合いに小さな子供と手を繋いで歩いていた。
こちらは動きやすい軽装の部分鎧を着込んだ、
所謂(いわゆる)、坊ちゃん刈りの髪型をした黒髪(くろかみ)の碧眼児(へきがんじ)で、
イリノアの実子である、ファイマ=リヴィードという四歳児であった。
どうやら手に握られているのは、小さなスコップのようである。
幼いが、不思議な知性を感じさせる。将来が有望と思わしき雰囲気が、
妙に母親に似ていて、納得が出来る子と言えた。
背中にも身体に対して少し大きめのリュックサック。
中に玩具や本が入っている点に愛嬌があると言える。

そんな二人が、普通の親子と同じように仲良さげに町に入ってきたのだ。
当然、町人達の目を引かないはずがない。いや、むしろ際立って浮いてさえいた。
ローレン・タウン。特に名産品も思い浮かばない程度の小さな町である。
少々くどいようだが、もう一度言えば、その中で彼女達は際立って浮いていた。
目立てば当然、ならず者の類に目を付けられる事もあろう。
「お、変わったのがいやがるじゃねぇか」
ならず者の男がリヴィード親子に近付いてきた。
イリノアはただの世間知らずのお嬢様ではない。
彼が害意を持って近付いて来たことぐらいは分かる。
「何の御用です?」
「ふん。なかなか面白そうな女だな」
男は、肩に手を乗せてきた。どうやらナンパのつもりであるらしい。
しかも人妻趣味のようだ。不埒な、と思いながらもイリノアは極力冷静に対応するつもりだった。
「申し訳ありません。先を急いでおりますの。通して欲しいのですが」
これがどうやら男には、気に食わなかったらしい。掴みかかろうとした。
「なあ、いいじゃねぇか、姉ちゃん。俺と一緒に遊びに――」
そこまで言いかかった時点で、それまでイリノアの後ろに隠れていたファイマが、
男の脛に向かい、全力でスコップを叩きつけた。
「あだだだだッ!」
男はみっともなくのた打ち回るが、まあ無理も無かった。
ファイマはと言えば、イリノアに叱責を受けていた。
「ファイマ。無闇に暴力を振るってはダメですよ」
「でも、あいつ父上じゃないのに、母上に触ったー」
ファイマは父も母も大好きなのであった。特に両親が仲睦まじくしている時期を、
人生の大半以上において印象付けられていた彼には、
それがとても大事な事に思えたのである。
勿論、イリノアとてその時間は大切な思い出であったが、
それが先制攻撃を仕掛けていい理由にはならない事も、彼女はちゃんと理解していた。
しかし息子ファイマには、その辺りの一般常識までは、
いくら利発といえど、まだ身に付いてはいないのだった。
そんな問答が続くうちに、男は立ち上がっていた。ファイマを蹴り飛ばそうと身構える。
「こンのクソガキが、消え失せやがれッ!」
思わずファイマも目を瞑って、手で防ごうとするが、
無論そんなもので防げるわけもない。だが、男の蹴りはファイマには届かなかった。
ざすっ。
いつの間に背中から抜き放ったのか、イリノアの槍が男の靴を刺し貫いていた。
よく見れば、右足第一指と第二指の間を直撃し、男には痛みさえ与えていない。
見事というにはあまりにも図抜けた技量であった。魔技(まぎ)と表現しても良いだろう。
「あ……う……」
「息子の非礼はお詫びします。でも、私達は急いでおります。そこを通して頂きます……」
 笑顔は浮かべているが、まったく目が笑っていない。
息子に危害を加えようとしたのを理解しているからである。
イリノアはゆっくりと噛み締めるように再度、告げる。
「そこを、通して、頂きます」
「う、う、うるせぇえ!」
靴が破けるのも構わずに足を引き、イリノアに殴りかかろうとした。
だが無駄だった。イリノアは槍を引き抜き、凄まじいスピードで相手から距離を取り、
すぐさま相手の眼球の手前1センチ程度の位置に、刃先を止めたからだ。
男も思わずピタリと動きを止め、その瞬間、この流麗なる貴婦人が、
自分の太刀打ち出来る相手ではない事を、とうとう理解し、認めたのである。
「ど、どうぞ……」
間違って自分の眼球に槍が刺さらないよう、ゆっくり身を引き、
そして急に丁寧な口調で、リヴィード親子に道を譲り渡した。
「感謝します」
そう言うと、イリノアはファイマの手を引き、未だ興奮冷めやらぬ雑踏の中に消えた。
名も無きごろつきの男は、それをただ呆然と見送るしか出来なかった。

その一時間後、イリノア達は、一般住宅と比べると、かなり大きめで立派な、
三階建ての煉瓦で出来た家屋を目の当たりにした。
しかし町長の家と聞かされれば、大きさはともかく、
むしろ外装や花壇などの、飾りの部分は質素に過ぎると見えない事もない。
その程度の家屋でもあった。少なくとも自らの実家であるリヴィード家邸宅と比べると、
やはり小さいという印象は否めないのだが、口には出さないでおく。
そもそも初の依頼主であるこの家屋の主である、
町長を怒らせては、自らがのっけから路頭に迷う羽目に陥ってしまうのだから。
貴族とは言え、リヴィード家は既に没落貴族も同然だという事を、
他者の家を見ただけで思い知らされる気分だったが、
幸か不幸か、幼い息子は、とりたてて気にもしていない様子である。
「母上ー、早く入ろー」
この息子は人の家だと言うのに、まったく物怖じしない。
それがイリノアには好ましくもあり、また同時に不安材料でもあった。
賃金交渉を台無しにされたらどうしようという心配が、
彼女の心を穏やかならざるものにさせていたのである。
だが、彼女は息子を誰かに預けるという行動には移らなかった。
いや移れなかった。そもそもそれだけの資金の余裕があれば、
自分は傭兵稼業を始めようとはしなかっただろうし、
またその必要も無い程度には裕福な身分のはずだったのだから。
それに、イリノアにとっては愛息を、夫や義父、あるいは実父ならいざ知らず、
他人に預けるなど、到底考えられない事であった。
それほどまでに息子ファイマに対する愛情は深く、強く、断固たるものであった。
しかしその反面で、しっかりと愛情を与えながらも、極力ファイマは厳しく躾けていた。
愛情と甘やかしは同義ではない事を、自らの実経験からイリノアは身に染みて感じていたからである。
「母上ー」
「分かっております……もしもし、ご在宅ですか?」
急かすファイマを後ろに下げ、イリノアは呼び鈴を鳴らした。
「はい」
そこから出てきたのは、人生に疲れたように見える老けた男であった。
写真と同じ顔。どうやらこの男が、町長たるリカルド=セルバンテスと見て間違いないようだった。
「イリノア=リヴィード、ファイマ=リヴィード、到着しましたの」
「やや、これはロード夫人自ら……さっそくお上がり下さい」
「今は庶民と大差無い境遇です。そうかしこまられると、こちらが困りますわ」
いきなり慇懃な態度に、流石のイリノアも困惑した。
まだ、先程のならず者の方が対応としては分かりやすい、とさえイリノアは思うのだった。
しかし、これはイリノアの夫であるライゼ地方領主、
アーネスト=リヴィードが行った施政……
否、善政の影響が、今、なお強く出ている証拠でもあるのだ。
「しかしですな、リヴィード夫人におざなりな対応をしたとあっては、我が町の名折れにございます」
これまた慌てまくって、場を取り繕うとするセルバンテス町長。
どうやら、特にこの周辺では夫アーネストの高名が鳴り響いているようである。
とりあえずイリノア達は、促されるままに、セルバンテス町長宅に上がり込み、
案内されるままに、客室へと通されるのであった。
ファイマは自分の家以外が珍しいのか、しきりにあちこちを見ているが、
騒ぎはしないようだし、嗜めるのも面倒だったので、そのまま放置しておく。
お手伝いさんだろうか。態度からして、どう見ても
セルバンテス町長の家族とは思えぬ中年女性が、お茶と茶菓子を運んできた。
そういった光景に、ファイマはともかく、イリノアは
不思議な懐かしさを感じてしまっているのに、心中、苦笑した。
「どうぞ」
「では、遠慮なくいただきます」
と言いつつも、少し遠慮がちにお茶を飲むイリノア、
それを見て、こちらは本当に遠慮無しに茶菓子に手を付けるファイマ。
ただしその食べ方が上品なのは、流石に育ち方ゆえ、というところか。
もとから口数は多い方ではないが、物を食べている時は更に静かになる。
イリノアと二人だけの時は、そうでもないのだが……
ともあれ、もちろんお茶を片手に談笑しに来たわけではないので、
イリノアは早速交渉へと入る事に決めていた。
「まあ、いつまでもこうしていられませんので、早速話に入りましょう」
「そうですな、息子さんもいい子にしておられるようですし」
セルバンテス町長は、ファイマを見て好感を抱いたようだった。
育ちのいい子はやはり違う、とでも思ったのかもしれない。
「まず、この任務に至るまでの経緯をお話ししましょう」
セルバンテス町長の目付きが変わった。真剣な話をする者にしか出来ない目だ。
少し睡眠不足なのか、目が血走っているのがより気迫に拍車をかけている。
「そもそも、この任務の発端は、あなたがたリヴィード家の……いえ、あなたの夫である、
 アーネスト=リヴィード氏の治世に原因があると言えましょう」
「え……?」
「父上ー?」
突然出てきた夫の名に、イリノアは驚愕し、目を丸くした。
一方ファイマは、突然父の名が出てきたことが不思議で、
急に振り向いた。まあ当然ではあるが。
「とは言っても、別にアーネスト氏の治世に問題があったわけではありません。
 いや、問題はあったのでしょうが、領民は皆、感謝しておりますし。
 なにせ私財を投げ打ってまで、困窮した領民を助けようとしたのですからな」
その一言に、一応イリノアは安堵した。が、ファイマは
話の内容が飲み込めておらず、充分には納得していないようであった。
「父上、何かした?」
「大丈夫。大丈夫だから。父上は偉いねーって」
「えらいー」
適当になだめたのだが、ファイマは何となく納得したようだった。
やはり両親共に大好きなファイマなのであった。また茶菓子を食べにかかっている。
「アーネスト氏の自己犠牲的な救済によって、このローレン・タウンをはじめ、
 数多くの領民達が救われたのは事実ですが、その反面、
 リヴィード家は瓦解寸前にまで陥り、失礼ですが令嬢たるあなたまでが、
 こういった仕事を、しかも子連れでしなければならなくなったのも、また厳然とした事実です」
痛い所を突く……と内心で思いながらもイリノアは微笑を崩さない。
「夫は今、借金返済の金策に奔走しております。とりあえずは地道に進行中、
 といった様子ではありますが、まだまだ時間はかかりますわね」
「その間、統治がおざなりになっているのも事実。
 そもそもそれが原因で、あなた方はこういった仕事をされていると見ます」
「ええ」
ここで一度、セルバンテス町長は嘆息した。受けた恩義も大きいだけに、
遠回しであっても、皮肉めいた事は言いたくはないのだろう。
「ここで不遜な事を企んだ男がいます。アレン=リーフィエという男です」
「アレン=リーフィエ……」
イリノアはその名前を反芻した。その男がいわば『敵』であるからだった。
「アレンは、半ば無法地帯と化しつつある、我等がライゼ地方の乗っ取りを画策しているのですよ」
まさに『寝耳に水』とはこの事であった。まさか自分の家の統治を脅かすものが、
こうも身近な位置にいようとは思いもしなかったし、想像さえ出来なかった。
正直な話、動揺を隠そうとはしていたが、イリノアは隠しきれない、と自覚していた。
「動揺されておりますな。まあそうでしょう」
あくまで冷徹なまでに、事実のみを告げるセルバンテス町長。
一介の町長と、ロードの家柄とは言え、踏んできた場数は
明らかにセルバンテス町長の方が上なのだという事を、
今更ながらにイリノアは思い知らされる。
「少し言い方は悪いですが『ああいう雑な統治をする程度なら俺の方が上手く出来る』とでも
 思ったようでしてな。それでこのローレン・タウンを足がかりに、
 地方全体の乗っ取りを実行し、その後にガイナム王国国王に
 ロード交代を自ら進言するつもりのようですな。当然、これは軍事クーデターですので、
 我々としても素直に受け入れるつもりはありません。
 リヴィード家の統治を歓迎していたとあらば、尚更の事。
 よって、国王軍に救援を要請し、奴等のクーデターを阻止するつもりでいます。
 返事も来ており、救援部隊の到着には三日ほどかかる模様です。
 それが実現すれば、戦局はこちらに傾きます。
 アレンも馬鹿ではないようでしてな、それを知って、我が身を狙っておるのです」
一気にまくしたてたためか、町長は置かれた飲み物に手を付ける。
心なしかその表情は渇きから解放され、満ち足りたようにも見える。
「……というわけで、ここからが本題、というより交渉ですな。
 依頼内容は王国軍救援部隊到着までの、私の直接護衛が任務となります。
 その間、お子さんはこちらで預かっても構いませんが……」
そこまで聞いて、ファイマがいきなり立ち上がった。
「一緒にいるのー」
どうやら、ファイマはイリノアと離れる気はまったく無いらしい。
イリノアとしても、厳しい教育の一環として、本当の戦場を見せるつもりであった。
統治者は『鉄』であらねばならない。そのために手段を選ばないつもりであった。
一見冷酷にも思える所業だが、統治者にとっては、必ず行き当たる壁だ。
早いに越した事は無い、とさえイリノアは思う。それは少々無謀とも言える愛情であった。
「私としてもこの子を同行させるべきだと思います。将来のライゼ地方と、
 リヴィード家のために、学ばせる事は多いですから」
だが、セルバンテス町長は素直には従わなかった。
「だからと言って、死んでは元も子もありますまい。
 本当に危機的状況に陥ったら、邸宅内に退避はさせますよ」
「それはお受けします。私とて、この子を死なせたくはありませんし」
「それと、他にも傭兵団を一つほど用意してあります。
 連携を取る、とまではいかないでしょうが、あなたに指揮もお任せしてよろしいか?
 無論、その分の賃金は弾ませていただきますぞ」
本当は指揮経験など全く無かったが、まあ悪くは無い話だ。
『指示』なら慣れていたし、何より腕にそこそこの自信がある者が
指揮を執った方がいいはずだからだ。
「それもお受けしましょう。では、賃金交渉です」
「いいでしょう。相当に危険な任務です。一日に赤色紙幣を五枚ほど、
 更にリーダー手当てとして、一日に黄色紙幣を一枚でどうでしょう?」
赤色紙幣とは、もっとも高価な通貨単位であり、赤色紙幣が二十枚ほどあれば、
一月ほどの一般家庭の生活費になる。黄色紙幣はその赤色紙幣一枚の半分ほどの価値がある。
普通の働き口より、よほど高給取りになれる。
しかしその分、ハイリスクであり、常に命の危険が付き纏(まと)う。
それが冒険者ギルドの持ってくる仕事である。
とりわけ、この仕事は危険度がA級のものであるが、
そこはイリノアの腕を買っての依頼であったと言える。
彼女の腕前は、領内に鳴り響いていたのだ。
まあ大雑把に言ってしまえば、命の危険を度外視するなら、相当に割のいい仕事である。
だが、領土転覆を狙うほどの事件とあらば、むしろ当然かもしれなかった。
仮に負傷などをしたとしても、当たり前と見なされるほどの難易度なのだから。
だが、イリノアは返答を躊躇(ためら)わなかった。
また躊躇っているほどの余裕は、リヴィード家には無かった。
「結構です。では、早速戦闘態勢を整えて、任務に就きます。
 これからの三日間、どうかよろしくお願い致しますわね、セルバンテス町長」
「よろしくお願いします!」
単につられただけなのだろうが、イリノアに続いて、ファイマも立ち上がり、告げる。
「ああ、よろしく頼みます。イリノア様。それにファイマ君もな」
ファイマは認められたのが嬉しかったのか。スコップを持って気合いのポーズを取る。
「行きましょう、ファイマ」
「行くー」
手を引かれ、ファイマはイリノアの後をついて行く。
そんなイリノアとファイマの姿を見て、安心できるほどに
リカルド=セルバンテスは単純ではなかった。
「はてさて、大丈夫なものかな……」
セルバンテス町長はまた嘆息した。誰も見ている者はいなかったが、
そうでもしなければ気休めにさえなりそうにないのであった。

そんな事も知らずに、イリノア達は庭園を見回した。
よく見るとリヴィード家の邸宅ほどではないが、なかなかの広さがある。
場合によっては野外戦闘を行う事になるな、と密かに思った。
しかも草木が充分に生い茂っている。伏兵を潜ませる事が出来るかもしれない。
これは進言しておこう、という事を心中でメモする。
そこまで考えた時点で、イリノアが横を見てみると、
なんとファイマが木の上に登り、ロープをくくりつけていた。
一体何のつもりなのか。だが人の庭で勝手をさせるわけにはいかなかった。
何と言うべきか、まあ母親として。よく見ると、いつの間にか
近寄って来たセルバンテス町長も見ているようだし。
「ファイマ、何をしているの! 降りてきなさい!」
ファイマは無視したかのように、くくったロープをガッチリと固定した。
よく見ると、かなり長いロープだ。十メートルはあるのではなかろうか。
そんな物をどこから持って来たというのだろうか?
「ファイマ!」
更に強く叱責しようとしたところで、ファイマはロープを使って降りてきた。
小さめの木と、十メートル級のロープは、即席の遊具にしては、
かなり気合の入った装備と言えるだろう。だが、ファイマ本人は
そもそも遊具のつもりが無いようだった。
「準備なのー」
「準備?」
怪訝な顔をするイリノア。当然その意図は理解出来ていない。
「準備って、何の?」
「内緒ー」
そこまで言った時、大勢の男達がイリノア達の目の前に現れた。
どうやら町長が雇った傭兵団というのは、彼の後ろにいる三十名ほどの人員を指すのだろう。
「おやおや、ファイマ君。家の者が困っていたぞ。確かにダメとは言っていないが、
 邸宅の資材を、勝手に倉庫から持ち出されては困るな」
 苦笑しながら、セルバンテス町長。
「ごめんなさい」
思いのほか、素直に町長に謝罪するファイマ。それを見て、
傭兵団の何名かが皮肉めいた笑いを浮かべた。
「おいおい、町長の家はいつから託児所になったんだ?」
「俺等ぁ、ガキの面倒見させられるのは、まっぴら御免なんだがね?」
これに関しては傭兵団の言う通りなので、イリノアは反論できなかったし、
反論する気も起こらなかったが、男達の笑い方は、あまりいい気分のするものではなかった。
大雑把に言ってしまえば、下品だったからだ。
「ごめんなさい、皆さん。でも、この子は何かの準備のつもりらしいです」
「準備と?」
町長と、傭兵団の顔色が変わった。一部は不愉快な顔のままだったが、
傭兵団のうち、何名かと、町長は、ファイマのその行動に興味を持ったようだった。
もちろんイリノアも何の準備かは訊いておきたかった。
「で、何の準備なの?」
イリノアが再度ファイマに質問するが、返答の代わりとばかりに、
ファイマはだだっ広い、庭園中央付近までロープを引っ張ってきて、
そこの地面を手に持っていたスコップで掘り始めた。
セルバンテス町長が真っ先に怪しんだ。手に持っているのがスコップなので、
非常に掘り進めるスピードが遅い。しかし、確かにファイマ本人が言うとおり、
その作業は何らかの準備に見えなくもない。
その真剣な様子に、何か感じ入った傭兵もいたようで、セルバンテス町長に申し出る。
「あの、町長。どうせ敵がいつ来るかなんて分かりませんし、何の役に立つとも分かりません。
 僕はこの子を手伝ってみたいと思うんですけど、どうでしょう?」
俺も、俺も、と合計三名ほどが、ファイマの手伝いを申し出た。
「ふむ……」
セルバンテス町長の心中では、非常に細かい打算が繰り広げられていた。
このまま彼等に穴を掘らせ続けた場合、埋めることになった際にいくらかかるのか?
それが敵の撃退に役立つのか? この作業の手間賃を
ファイマと傭兵三名に支払わなければならないのか?
ファイマから更なる資材使用が成された場合の対費用効果は割に合うものなのか?
この作業でファイマが万一、怪我をした場合は治療費を支払うのか?
これら全てを懸案事項として考えた上で、セルバンテス町長は結論を出した。
もとより狙われた命。死ぬぐらいだったら何でもやらせてみるのがいい、という結論だ。
「いいだろう、ファイマ君。やってみたまえ」
「やるのー。手伝ってー」
手伝いを申し出た者達は、シャベルを借りにいった。
ファイマの目的は不明だが、とりあえず穴を掘る必要があるのは確かだったからだ。
「けっ、勝手にしやがれ。俺達は警備に戻るからな」
「待って下さい!」
 さっさと持ち場に戻ろうとした者達を制止するイリノア。
「息子が何を考えているのかは分かりませんが、あなた達の指揮は、この三日の間、
 私、イリノア=リヴィードが執ることになっています。よろしくお願いしますわね」
「ちっ、ただのいいとこ育ちのお嬢さん風情が何を言うかと思えば……」
傭兵団のうちの六名ほどがイリノアを包囲する。
どうやら素直に言う事を聞いてはくれないらしい。予想はしていたが……
「俺達を小馬鹿にするのもいい加減にし――」
そこまで言った時点で、傭兵は言葉を失っていた。
その喉元に、いつの間にかイリノアの長槍が突きつけられていたからだ。
あまりにも素早い動き。だが、それ以上に気付かせなかった理由は、
その流麗なる動きにある。攻撃の動きにしては、あまりにも滑らかすぎるのだ。
強いて言うなら、舞いに近い。攻撃だとは誰も思わないのだ。
イリノアの攻撃速度は一般から比べれば著しく素早いが、
それでも六人を同時に相手にした場合、無事で済む可能性は極めて稀である。
要は機先を制するのが大事なのだ。
「あら、失礼。もう少し素直にしていただければ、
 私としてもこういう事をしなくて済むのですけれど。
 で、誰が、ただのいいとこ育ちのお嬢さんなので?」
口調は柔らかいが、痛烈なる皮肉。口先だけに近い男の戦意を挫くには、
やりすぎに近いほどの威圧だった。
「す、すみませんでしたっ!」
一斉に整列する傭兵達。よく見るとファイマの手伝いをしようとしていた傭兵達まで、
律儀に整列の中に入っている。ひょっとすると、隊内に立ち位置があって、
何箇所か抜くと格好がつかないのだろうか、と密かにイリノアは苦笑した。
無論、真っ先に整列に入ったのは喉元に槍を突きつけられた傭兵である。
「我々傭兵団三十名一同、粉骨砕身、あなたの指示に従いまっす!」
「あら、ありがとう。でも私の指示は、あくまで非常時だけです。
 各員は、非常時まで三交代で持ち場について、邸宅を全方位警備なさって下さい」
「了解!」
散開しようとした傭兵達だったが、またもイリノアに呼び止められる。
「ああ、そうそう。もし万が一、私の指示に逆らおうというのでしたら、
 リヴィード家に逆らうのと同義であります故、お忘れなきようお願いしますわね」
笑顔で脅迫。これにはセルバンテス町長も大きく身を引いた。
「了解!」
さっきよりも強く返事する。どうやら本格的に恐れをなしたらしい。
何故か返事した中に、セルバンテス町長まで混じっていたりするが。
「各員、持ち場に着け! 散開、散開〜!」
どたばたと八名ほどが見回りに着き、三名が引き続き、
未だ熱心に穴を掘り続けるファイマの手伝いに、二名がセルバンテス町長の直接護衛に、
残りは交代待ちで邸宅内待機へと、各自散開する。
「見事な指揮ぶりですな、お見事です。ロード夫人殿!」
「どっちが依頼主か分からなくなりますから、やめて下さい、町長」
「あ。そうでしたな」
何故か敬礼しつつ、こちらに賛辞を送るセルバンテス町長に、イリノアがツッコむ。
言われてようやく自分の立場を思い出したのか、ちょっと顔が赤くなっていた。
彼のような人物でも、やはり相応に恥じらいというものがあるらしいと分かって、
密かにイリノアは、彼の人間性を好ましく思っていた。
「しかしまあ、一体何の準備なんですかねぇ……?」
「さあ?」
イリノアの漠然とした問いに、首をかしげるセルバンテス町長と、傭兵が二名。
「がんばるー」
イリノアの視線に気が付いたのか、手を振るファイマ。
適当に手を振ってやるが、さすがに目的も分からぬまま、誉める事だけは出来なかった。
よく見ると、穴はちょっと掘り進めたのか、三十センチほどになっていた。
どのくらい掘るつもりかは分からないが、見守るしかあるまい。
イリノアは、とりあえず邸宅敷地内の図面を受け取り、
戦術的に考えた持ち場の変更を提案するために、
セルバンテス町長へ、邸宅内への移動を促す事にした。
「町長、ちょっと相談があります。とりあえず邸宅内への移動、いいですか?」
「あ、ああ。分かった、行こう」
息子は気がかりだったが、邪魔をするのも何だか気が引けて、
イリノア達は邸宅内へと移動したのであった――

セルバンテス町長は、食堂のテーブルに、セルバンテス邸宅敷地図面を広げた。
「私の邸宅敷地への入口は大きく二つ。南の正門と、北の裏門。
 それ以外のルートから侵入しようとすれば、壁を越えるしかなくなります。
 壁は、対侵入者用に五メートルの高さをとってある。おいそれとは進入できぬはず。
 進入するとしたら極めて特殊な方法が必要ですし、そもそも敵にとって
 こちらから発見されるリスクが大きすぎ、効率的ではないでしょう。
 それならまだ、力技で正門を破壊しようとする方が単純で、しかも戦術的に有効かと。
 一度破壊されでもすれば、この任務の期間中に修理は不可能に近いのですからな」
いちいちもっともな話だった。
「じゃあ、敵がまっとうな戦法を取ってくる限りは、壁を越えられないという事ですね」
「一応壁越えの危険を考慮して、六人ほど常時割いてはいますが。無駄でしょうな」
「だったら、木に二人ほど登らせて、東西の壁を高所から
 見張らせるのがよろしいかと思いますけれど。
 そうすれば残り四名を正門、裏門の守備に回せますし」
実はファイマが木に登っていたのを見て思いついたアイディアなのだが、
それは言わぬが華、というところであろう。
「なるほど、ファイマ君の『入れ知恵』ですかな?」
遠回しにファイマの行動が参考になっているのを軽く揶揄され、
イリノアは自分の甘い考えが、町長にはお見通しなのを悟り、赤面する。
「……実はその通りです。それだけでも、息子の行動は無駄ではなかった――
 お願いですから、そういう事にしておいて下さいませ」
「はは、よろしいでしょう」
苦笑するセルバンテス町長に、うつむき、更に顔を赤くするイリノア。
やはり自らの浅知恵が、相当恥ずかしかったらしい。
「と、とにかく! そういう方針に決まったのですから、
 誰か、早く指示を出してきて下さいッ!」
少々八つ当たり気味の無茶な言い分だったが、ニヤニヤしながらも、
直属の護衛要員の二名が、見張り要員に連絡を取りに出て行った。
「……まあ敷地外への見張りに対してはそれでいいでしょう。
 ですが問題は実際、門ないし、壁が突破された際への対処でしょう」
いきなり真剣な話に引き戻され、赤面していたイリノアの顔が一気に変わる。
自分の本来の任務を思い出したのだ。
「今の指示で、正門、裏門への防備は三名ずつになったはずですが、
 それでは不充分でしょう。人員は動かさないまま、私が直接防衛に当たります」
「いいでしょう」
これは本来の予定通りである。どうやら実力でイリノアに勝る味方は、
どうやらこの場にはいなさそうだからである。腕の立つ者が
前面に出て指揮し、鼓舞する。これは直接戦闘時の常道戦術である。
「それと、大きな音のする物が、合図用に欲しいところですわね。打楽器とか」
「いや、流石にそれは無茶な要求なのですが……ピアノならありますけど」
 セルバンテス町長も困った顔で返答した。まあそんなものだろうが。
「しょうがありませんね……勝手に使うと息子がゴネるので嫌なのですけど、
 ファイマの玩具(おもちゃ)を使いましょう。こういった時には、思ったより便利な物でして」
そう言って微笑むイリノアの顔は、やはり母親の顔である。
そんなイリノアが取り出したのは、何やら小さい、
やたらとカラフルな、沢山の小さい球体であった。
「それは?」
「知りませんか? 癇癪玉(かんしゃくだま)ですよ」
「ああ。やたらと大きい音の出るアレですか」
 癇癪玉は、いわゆる小さい火薬玉である。
子供の玩具の一つで、安価で売られている。地面に叩きつける、
もしくは地面に置いて踏みつけるなどの行為により破裂し、
一瞬光ると共に、けたたましい音を鳴らす。
爆竹などと同様、市街地で使うと騒音と見なされ、
怒られたり叱られたりするが、こういった状況では意外に有用なのであった。
パチンコなどで飛ばして使うやり方も存在するが、武器としては使えない。
「これを数名に持たせて、合図用に使いましょう。この邸宅の広さなら、
 いくつか同時に鳴らせば、何とか聞こえるでしょうし、
 使いを寄越すより速いかもしれません。あくまで希望的観測ですが」
「まあ、やらないよりはマシというところでしょうか。
 欲を言えば爆竹でも用意したいところでしたが、
 ファイマ君には、まだ少し危ないでしょうからな」
「ええ」
更にイリノアは図面を見回していく。よく見ると草木による茂みも結構あり、
池なんかもあるようであった。実によく出来た邸宅である。
外から見たら飾り気が無いだけで、実際はかなり立派な邸宅なのだと、
ようやく理解したイリノアであった。
図面を見て気付くなど、それはそれで、失礼千万な話ではあったが。
「町長。この池、何かに使えませんでしょうか?」
「何かって……使い道あるんですかね?」
「ほら、たとえば水中に伏兵を忍ばせるとか」
「……傭兵は確かに雇った人達ですけど、流石にそこまでは
 してくれないと思いますが。暗殺者とかじゃないんですから」
「……残念ですね」
かなり真剣に言ったのだったが、ほんの少し町長からの、
イリノアの戦術への信用度が薄れた気がした。今のは、言わない方が良かったかもしれない。
「でも、茂みに伏兵を忍ばせるのはいいですよね?」
「まあそれは。でも常時はキツいでしょうな。交代制で三名割ければ、かなりマシな方だと思います」
 まあ、そんなところだろう。流石に欲張りすぎればキリが無い。
「最後に私の立ち位置ですが……とりあえず仮眠時間と休憩時間以外は、
 邸宅玄関前に出来るだけいるのが無難だと思いますわ」
「何故です?」
「邸宅内にいれば行動がおぼつかず、だからと言って正門、裏門のどちらかにいても、
 もう片方が攻められた場合、対処が遅れますから。ならいっそ中央たる
 邸宅前に立ち位置を置いて、あらゆる奇襲に対応出来るようにすべきかと」
「よろしい。合図は先程の通り、癇癪玉でですな」
「ええ、ではこれで当面の会議を――」
そこまで言った途端、何故かパジャマ姿のファイマが町長私室に現れた。
泥だらけだったはずなのに小奇麗になっている。傭兵のうちの誰かに、
いつの間にか風呂にでも入れてもらったのだろうか?
「母上、お昼寝するのー」
そういって、イリノアの近くに駆け寄って来る。
「あら、もうそんな時間かしら。では町長。私はこの子を寝かしつけてきますので後ほど」
「はあ……邸宅の二階客室が空いてますので、まあどうぞ」
「どうも。では」
なかば呆れ果てながらも、セルバンテス町長は見送るしかなかった。
彼が窓から庭園を見渡せば、さっきまでファイマ達が掘っていた穴は、
深さが六十センチほどになっていたが、手伝っていた傭兵達も休憩に回っている。
「落とし穴、か?」
なんとなくがっかりしたセルバンテス町長。まあ子供の浅知恵などこんなものか。
そう感じたのだ。長距離狙撃兵器やら、大型破壊兵器の普及したこのエルファード大陸で、
あんなチープな罠に引っかかる大間抜けがいるわけがない。

――だが彼は後に、その考えを改める事になるとは予想していなかった。
ファイマのこの穴は、まさしく彼にしか出来ない『入念な準備』であったのだ。
その証に、ファイマは昼寝の時間を終えると、休憩中だった傭兵三名を叩き起こして
また手伝わせていた。どうやらファイマは彼等を自分の都合に合わせて
とことん手伝わせるつもりのようだ。
それを見たセルバンテス町長は、とりあえず『無いよりはマシか』と思って、
落とし穴用の蓋(乗れば落ちるように出来た、周囲の地面に合わせた土の蓋)も
用意しておくよう、手伝いの傭兵達に指示を出した。
それを聞いてファイマは『さもありなん』と言わんばかりにうなずいたという。
やはり落とし穴で間違いないようだった。
その穴も、夕方には深さ一メートルほどになっていたが、
まあこの程度では子供もハマるだけハマって、すぐ抜けてくるであろう。
大した事はない、というより現状では使い物にならない。
今日中に敵は仕掛けてくるかもしれないというのに、悠長な話である――


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