ロード・オブ・マーシナリー〜親子で出来る冒険者のなり方〜


二日目 アレン=リーフィエ

小鳥のさえずりらしきものが聞こえる。どうやら朝のようだ。
「母上ー」
ゆっさゆっさと揺り起こしてくる者がいる。意外と煩わしい。
惰眠を貪りたいのだ。イリノアはそんな感じの感情を抱いて、
起きるのを面倒がった。数少ない彼女の悪癖である。
「母上ー、母上ー」
引き続き、ゆっさゆっさと揺り起こしてくる。
が、しばらく眠り続けていると、揺さぶられる感覚が無くなった。諦めたのだろうか?
そんな事を半分寝ている状態で考えていると、いきなり叫び声が聞こえる。
「てきしゅーだー!」
反射的にイリノアは凄まじい勢いで起き上がった。
枕元に置いてあった『牙斬』を手に取るのも忘れていない……が、
周囲どころか、半径1キロメートル以内のどこにも、敵などいそうにはなかった。
そのぐらい穏やかな朝である。
よく周りを見ると、イリノアの傍には既に着替えを終えた息子、ファイマがいた。
「起きたー」
どうやら大嘘だったらしい。少し腹が立ったので、おでこを指で弾いてやる。
所謂、でこぴんという奴だ。
「いたいー」
ファイマは少々不満気だったが、敵襲のフリをして起こすのはいけない事だと、
きちんと理解しているので、さして反論はしてこない。
「あんなに深く熟睡するだなんて……ここは戦場なのに、恥ずかしい事です」
「違うー」
ファイマは首を振って否定する。
「何が?」
「母上、戦場以外でも、いつもお寝坊さんー」
「…………」
痛い所を突かれてバツが悪かったので、とりあえずもう一発でこぴんである。
「いたいー」
「用意されてる朝食があるでしょう? 先に行ってお食べなさい」
「そうするー」
ファイマが一階の食卓へと向かう。イリノアも着替えを済ませると、
すぐに食卓へと向かった。大型の食卓なのか、傭兵の大半が食事を取っており、
その中にファイマの姿も混じっていた。おかわりまでもらっている。
「おはようございます、皆様」
軽く挨拶してから、食卓に着いて食事をとる。
「おはようございやす、お嬢!」
何故だか一斉に挨拶してくる。何か釈然としない感じではあるが、
イリノアはさして気にもせず、ファイマの隣で朝食を取り始めた。
メニューはエッグトーストとトマトサラダ。まあ爽やかな朝食だったので、
普通に憩いの時間を楽しむ、イリノアと傭兵団一同だった。

一方、同時刻――
イリノア達がいる、ローレン・タウンの中にある廃屋……
元は酒場だったのだが潰れたらしい、あちこちに酒瓶が転がっている。
更にその地下貯蔵庫だった場所に、場違いに大勢の男達が集まっている。
『鋼の革命軍』一同だ。
その座の中心には、若い男が一人目立って座っている。
イリノアと同じ貴族が着るような立派な服を着ているせいか、
どことなく気品があるようにも見える。しかし適当に刈り込んだような髪やら、
伸ばしまくっている爪やらのせいで、どうしても粗野な印象が拭えない、
その男がアレン=リーフィエだった。
その周りにいる男達はあっちこっちに擦過傷を負っており、
懸命にアレンに訴えごとを起こしているようだった。
「……んで? お前らはすごすご帰ってきた上に、四人も捕縛されちまったってわけか?」
「だから! さっきから言ってるようにやたらと腕の立つ女がいるんですよ!
 しかもそいつ、事もあろうか、あのリヴィード家の当主夫人だって言うじゃありませんか!」
「……何だと?」
アレンの目付きが変わった。くだらない話を聞く時の目から、
ようやく聞くだけ意味のある話を聞く時の目に変わったというべきだろうか。
「ええーと、確かリノア……リノアン……でしたっけ?」
 名前をちゃんと覚えていない男をアレンは蹴倒した。
「確かイリノア=リヴィードだったはずだ。これから乗っ取ろうっていう
 家の娘だからな。下調べはちゃんとしてある」
「おおー、流石はアレンさんだ!」
拍手喝采を送る革命軍一同を呆れたような顔で見渡すアレン。
「おい、誰かイリノアが物騒な槍持ってるの見なかったか?」
「あ、アレンさん、それなら俺が見ました!」
昨日、殿を務めた兵士が言う。
「んーと、確か、長槍で名前を『牙斬』とか言ってました。
 頑丈なだけが取り柄の槍だなんて、冗談ぬかしてやがりましたけど、
 あれは絶対いわくありげな品ですぜ! なんかやたらと切れ味鋭かったりとか、
 火を噴いたりとかそんな感じの!」
「いや、本人が言ってる通り頑丈なだけの槍だ。それも下調べが済んでる。
 というより地域の広報誌にも載ってる程度には有名だからな」
肩透かしをくらって、革命団一同はがっくりした。
「だが使い手の腕とスタミナが尋常じゃなくてな。力はまあ普通なんだが、
 ああ見えてあの女、瞬発力と持久力が半端じゃないらしい。
 お前達は知らんかもしれんが、あいつの経歴ってのはかなり公表されててな、
 学生時代の運動系の競技会では賞を総なめにしたりしていたんだとよ。
 おまけに武術も宮廷騎士にガキの頃から仕込まれたものらしくてな。
 あの槍を握らせたらお前達のような一般人との戦力比率は
 ざっと1対9でようやく互角以上ときてるらしい。とんでもねぇ女だ」
「はぁあ〜」
感心したようにアレンの説明に聞き入る革命軍一同。殿担当だった兵は頷いていた。
さもありなんという様子である。
「桁外れの持久力と技量で、刃こぼれ知らずのあの『牙斬』を振り回された場合、
 こっちの不利は否めん。しかも指示慣れしてるときやがる。
 こっちは味方も数限られてる……まあこれは向こうも同じだし、
 ひょっとするとこっちの方が多いのかもしれん。
 だが、基本的に守る方が有利な上、こっちには制限時間があるときたもんだ。
 良く見積もってもあと二日で制圧出来ない場合、後ろ盾も無いまま、
 俺達は王国正規軍に駆逐される事になるだろうな。まずい事になった。
 まさか最終制圧目標であるリヴィード家の奴が、最初に出張る事になるとは……」
「ど、どうするので?」
慌てふためく革命軍一同だが、アレンは思ったより冷静だった。
「どうするもこうするもねぇ。出来るだけ早く決着を着けるしかないだろう。
 今日は俺も後ろで見ていてやる。臆する事なく突っ込め! 野郎ども!」
「おおーッ!」
立ち上がり、咆哮する『鋼の革命団』一同。要は
『自分は安全な所で見てるからお前等頑張れ』と言っているのだが、
根本的に考えるのが苦手な革命団一同は気付いていない。
気付かせない雰囲気を持っている辺り、
彼には扇動者(アジテーター)の才能があるとは言えるのだが。
「そのために新戦力も用意した。見ろ!」
入口の方を指差すアレン。そこに大勢の屈強な男達が現れた。ざっと十五名ほどか。
イリノア達が未だに人材を呼べない現状を考えれば、
損失分を考えても、相当な戦力増強と言えた。それを集める資金は革命団に集めさせて、
自分は何もしないのだから、やはり大した扇動者ではある。
「新しい革命者達だ。皆、仲良くするようにな!」
意外と子供っぽい通達ではあるが、とりあえず誰も気にしていないらしい。
「更にこれを見ろ!」
 先程から逆さに置かれていた、異様に大きな布製のシートを取り払うと、
中からは先の尖った杭を固定した、手押し四輪車のようなものが置かれていた。
「おおーッ!」
歓声をあげてはみたものの、革命軍全員、何なのかまったく分かっていない。
「門扉をぶち破るための道具だ! 『衝撃戦闘車輌』と名付けてみた。
 古い文献にあったのを、日曜大工で俺様なりに再現したのだ! 略して『衝車』と呼ぶ!」
これはシンプルな、ぶっちゃけて扉破壊のためだけの道具なのだが、
単純なだけに威力は確実にある。ちゃんと動かせば信頼できる道具であり、
正門はともかく、町長邸宅玄関に対して使われた場合、
これを防ぐ方法はまったく無い。まことに防衛側にとって鬱陶しい兵器と言えた。
『日曜大工』の部分が少し涙ぐましいが。
「どうだ、野郎ども! これだけ揃えば負けるわけがねぇ!
 敵の気が緩みがちな夕飯時を狙って、全員で突っ込むぞ、いいな!」
「おおおーッ!」
馬鹿の一つ覚えのように吠える革命軍一同を見て、アレンは満足そうだった。
それに自信もたっぷりある。ありすぎて余るほどに。
報告を受けたり、説明その他に盛り上がりすぎて、一時間も過ぎているので、
とりあえず彼等は個別に休息を取ることにした。

更に同時刻――
商店街に爆竹と癇癪玉を調達しに来ていたイリノアと町長宅のお手伝いさん、
それとファイマは、妙に騒がしい、酒場の地下からの声に気付いた。
「にぎやかー」
ファイマがぽつりと呟く。基本的に騒がしいのは嫌いではない性質なのだ。
「そうね、賑やかね。でも行ったりしたら駄目ですよ。
 こわーいおじちゃん達が、いっぱいお酒飲んで
 ベロンベロンに酔っ払ってたりするんだから、危ないですわよ?」
浮かれるファイマを優しく諭すイリノアだった。
「でも、おかしいですね」
お手伝いさんが言ってくる。
「何がー?」
「おかしい、とは……?」
「私はここの出身だから分かるんですけど、この酒場って八年も前に潰れたんです。
 それ以来、人なんて入りっこない場所なんですが」
ふーむ、と唸ってみるイリノア。
「きっと、その辺のちんぴらさんとかが、たかってるんじゃないですか?
 ほら、仲間内とかの宴会とかで完徹って感じの」
「ああ、そうかもしれないですね」
お手伝いさんも納得したらしい。
「母上、早く行くのー」
「はいはい」
アレン達の存在には気付かぬまま、イリノア達は商店街の奥へと消えた。
それから一時間ほど、本来の用事とは別に、イリノア達は買い物を楽しみ、
昼食も取って、町長邸宅へと戻ったのであった。

イリノア達が戻ってみると、特に異変も無く警備は順調だった。
だが町長が苦々しい顔で立っている。
「どうですか、町長?」
「駄目だ。今日中の人員の増員は見込めない。明日には一人寄越すと行ってきたが、
 そいつも移動が遅れてるらしい。期間内に来るかどうか……
 というか一人増えても大して変わらんだろう。
 イリノア殿ぐらいに腕の立つ奴ならともかく、な」
そこまで言ってまた嘆息する。というより実に嘆息する姿が似合っている。
慣れとは恐ろしいものである。まあ正直、ひとつの町、丸ごとの政権を狙われて、
いい気分のする町長などいるわけがないのだが。
「まあ任せて下さい。ようやく傭兵団の人達との信頼関係も築けて来ましたし。
 今日からのチームワークは一味違いますわ」
「イリノア殿と傭兵団とのチームワーク、というより、
 私的には主従関係にしか見えませんけどね。なんか主人と犬っぽいですし。
 っていうか傭兵団のうち三名は、ファイマ君にまでこき使われていますからなぁ」
町長は、荷物を置いて、また中庭の穴を掘りにかかっているファイマをちらりと見る。
あの三名もまた呼びつけられてこき使われている。ようやく落とし穴は
普通にトラップとして機能する程度にはなっていた。深さも人ひとりが入るようだ。
一人を無力化しただけで事が済むのなら安い話なのだが、まあ本当に申し訳程度の罠、
というところである。ファイマにこき使われている三名はほとほと疲れているようだが、
ファイマは指示をやめない。本当に犬っぽかったりする。
「犬だなんて、嫌ですわ町長。私もファイマも、どちらかと言えば猫派ですのよ?」
的外れの事を言ってのけるイリノアに、町長はまた嘆息した。
「ともあれ、爆竹と癇癪玉の予備を大量に購入しましたので、
 経費は後でギルド銀行の私の口座までお願いしますわね」
「なんかせこい話ですなあ。仮にもあなたはロード夫人なんですから、
 子供の玩具ぐらい、自費で出してはいかがです?」
「子供の玩具でも、黄色紙幣一枚分も出せば、立派な経費です。
 それに私達はアーネストが戻るまで、自費で生活しなければなりませんし、
 余ったお金は少しでも借金の返済にあてなければなりませんので。
 大体玩具ではあっても、今の用途は合図用ですし」
「私の給料も、防衛費も税金ですので、あまり無茶に使うと民がうるさいのですが……」
「う……領主としてはそれを言われると厳しいです……」
痛い所を突かれてイリノアは後ずさった。内心で町長は、
貴族としてのプライドをまだイリノアが失っていない事に安心した。
彼女がこの調子であれば、そのうちリヴィード家は
無事に再建を果たすだろう、という意味合いである。
もっともそれは、何度か見た事のある領主、アーネスト=リヴィードが
信頼に足る男であれば、という前提は付くが、この気位の高いイリノアが
望んで結婚した事を思えば、まあ杞憂であろう。
「分かりました。民が望まぬとあらば、致し方ありません。自費で出しましょう」
イリノアは潔く諦めた。この点は彼女の美点と言える。
もっとも、黄色紙幣一枚ごときで政治は揺らいだりしないのだが。
「それにしても気になりますね。最終日に来るとかいう応援要員の方。
 移動に一日もかかるだなんて、よほど遠くからいらっしゃるのですね」
「いや、忙しい男のようです。ちょっと片手間に空いた一日でここに来るのだとか。
 正直、バイト感覚で来られると非常に迷惑なのですけどね」
「いいじゃありませんか。にぎやかしでも数が多ければ威嚇できますし。
 よほどの必要が無ければ、アレン=リーフィエを
 直接捕縛する必要は無いのですから。要は撤退させればいいんです」
「まあそうですけどね。先に送られた履歴書には顔写真すら貼ってないわ、
 名前も本名じゃないわ、住所も書いてないわ、学歴職歴も無記入だわで。
 ふざけるにも程がありますよ」
「よっぽどワケ有りなんですかね」
「知りませんよ」
町長は苦々しい顔をする。
確かに町長の言った事が本当なら、不真面目にも程がある。
というより、バイトの面接でも、もう少しまともだろう、普通は。
だが、イリノアは少々感覚が世間一般とはずれていた。
その町長の報告を聞いての第一印象は『型破りで面白そう』というものだったのだ。
こんな事を傭兵団に相談したら、まず耳を疑われるのは
分かっていたので、口には出さなかったが。
「ところで、私も野外戦、しかも対射撃武器用向けに
 こういう防具を用意したのだが、どうですかね?
 使ってみるのも面白いかと思いますが」
そう言って持ち出したのは、規格外に大きく、鈍重そうな鎧だった。
それは重装騎兵が使うような、超重量級の全身鎧である。
確かにこれながら、並の射撃武器など通用しない。
それどころか刃物も一切通さないだろう。重量ゆえに倒れれば無力化するが、
無力化させるために人力で倒すだけでも、数名の人数を要するほどのものである。
射撃武器を多用してくる敵にとって、まさに天敵と言えた。
「で、これを誰が着るんですか?」
「それが問題です。かなり屈強な男でないと無理でしょうな。
 傭兵団から募ってみて、一人着られる者がいれば上出来、というところでしょうが」
「ですか」
結局募ってみたところ、なんと二人も着られる剛の者がいた。
実に幸運な話である。が、頭の悪い事にどちらがこの超重鎧を着るかで喧嘩し始めたので、
イリノアは二人とも、カバーをかけたままの槍で殴り倒すハメになってしまい、
双方気絶してしまったため、協議は一時間も遅れてしまい、無駄な時間を費やした。
結局腕相撲勝負で勝った、力自慢の傭兵に任せる事にしたが、
長時間の着用は到底不可能なので、非常時になってから着て、
台車で現場まで運ぶという方針で、一応の決着が着いた。

二日目の夕方。また穴掘りでドロドロに汚れたファイマを綺麗に洗ってから、
イリノアは夕食を傭兵団一同と取ろうとしていた。
ちなみに警備担当に残した最低限の人員はとっくに食事を済ませている。
何故か食事の号令までイリノアが取ることになってしまった。
「手を合わせて下さい!」
見事に、全員同時に手を合わせる。その姿は学校に通っている小学生のようで、
ある意味見ていて微笑ましい。
「いただきま――」
ドーン!
今にも全員が美味しそうなスープカレーに手を伸ばそうとする瞬間、
凄まじい轟音と悲鳴が外から聞こえてきた。少しだけ建物にも振動が響いた気がする。
「敵襲だーッ!」
超重鎧担当の傭兵が叫ぶと、一番乗りで部屋を飛び出していった。
他の傭兵も後に続く。イリノアも大急ぎで部屋を出ながら指示を出す。
「二人ほど台車要員に残って下さい! 超重鎧を出します!
 どうせ先頭のあの方もそのつもりでしょうから!」
それだけ指示を出すと、イリノアは素早く駆け出した。『牙斬』も既に抜き放って、
いつでも振り回せる状態にしてある。
「何事だ!」
セルバンテス町長が私室から慌てて出てくる。
まだ直接護衛要員が来ていないのか、一人のようだ。
その姿を見るなりイリノアは叫ぶ。
「ファイマ! おいでなさい!」
ファイマはどこからともなく、ひょこっと現れた。
「ファイマをお願いします、町長! 敵襲のようですので、すぐ迎撃に出ます!」
「あ、ああ……頼む」
「超重鎧も出します。では!」
ファイマは連れられる前に町長に寄り添った。物分かりのいい子である。
それを見もせずにイリノアは走り出した。そのイリノアの前に傭兵団の者が二名。
「直接護衛の当直はあなた達ですね? お急ぎ下さい!」
「了解!」
傭兵団二名も直接護衛についたようなので、更にイリノアは走る、走る。
玄関に出ると、傭兵団のうちの十名が揃っていた。三十名のうち、
二名が戦線離脱中、六名が正門、裏門の直接警備、二名が壁の見張り、
二名が町長の直接護衛として出ており、更に連絡員として二名、
そして迎撃担当の十三名がいるので、ほぼ全ての戦力が迎撃及び警戒に出ている計算になる。
残りの三名ほどは伏兵として、万一門扉を破られた時の備えについており、
表立って動く事は、危機的状況以外にはまず無い。
それだけの計算を頭の中でこなした頃に、台車に乗せられ、
二人の兵に引かれて、迫力満点の『超重鎧』を来た特殊兵が現れた。
「揃いましたね。正門、裏門……どちらです?」
「さっき、お嬢の買った爆竹が鳴りました! 裏門からの急襲です!」
「分かりました。行きますよ!」
「了解です!」
イリノアを戦闘に、傭兵団の連中が駆け出す。
『超重鎧』の兵士は台車で運ばれて、多少後ろから追走してくる。
さすがに重量があるせいか、かなり遅い。
裏門側では、既に防衛戦が展開されている。
ドーン!
また異常な轟音。門扉が何かの兵器によって攻撃されているらしく、
人の力では為しえないほど、いびつに門扉が歪み始めていた。
ヒビも入り始めている。木製の頑丈な扉なのだが、
ここまで歪んでしまっては、もはや用を成さないだろう。
しかし裏門警備兵三名の、懸命な防御によって、なんとか破壊だけは未だ免れていた。
だが、それもここまでのようであった。イリノアが到着すると同時に更に一撃。
本格的にヒビが入り、あちこち割れだしたのだ。
それでも決死の思いで門扉を押さえる傭兵団の者達に、
イリノアは半ば悲鳴に近い声で叫ぶ。
「もう無理です! 今すぐに離れて下さい!」
その声に、ようやく増援が来た事に気付いた傭兵達は、すぐに離れた。
イリノアが来れば、その時点で形勢逆転だとでも思ったのかもしれないが、事はそう甘くない。
だが、離れてくれただけでも無駄な怪我はしないで済む。それだけが救いだった。
ズドドーン!
ド派手な音を立てて、とうとう門扉がまともに破壊されてしまった。
バラバラになった門扉の前には、鋭く、大きな杭が取り付けられた
手押し四輪車のようなものがあり、それを四人がかりで押している
『鋼の革命軍』のメンバーがいた。その後ろにも大量の敵兵。
昨日見た時よりも、更に増えているように見える。
「また随分とたくさんおでましのようで、鋼の革命軍の皆様」
イリノアが戦闘に立って挨拶すると、手押し四輪者の上に若い男が乗る。
知性と粗暴さが同時に垣間見える、怪しい男だ。
「ふん。あんたがイリノア=リヴィードさんか。とりあえず初めまして。
 昨日、俺が出てきてない事が不満だったってんで、わざわざ来てやったぜ。
 俺がアレン=リーフィエだ」
「あなたがアレン……」
「ついでに言うなら、これが全戦力ってわけでもないんだがな。
 一応十名ほどは本拠地の警備のために残してきてあるのさ」
随分と余裕の態度である。それも当然かもしれない。
こちらはイリノアと超重鎧兵を除き、十五名。
向こうはアレンを除いてざっと二十五名ほどもいるからだ。
更にこちらには増援も期待出来ない。伏兵を出すのも早過ぎる。
アレンの言う事が本当ならば、革命軍の側は伏兵がいないようなので、
正門の連中を呼んでもいいのだが、それでも十八名だ。
かなり厳しいのはどうしても否定できない。
正直、無策に残り十名を連れてこられた場合、守り切れないだろう。
敵が無駄に賢くて助かった。前回は策を外したイリノアだったが、
今度は向こうが策に溺れているようだった。
「アレン=リーフィエ。我等がリヴィード家の領土、ライゼ地方の掌握などと、
 馬鹿な事を考えるのはおよしなさい。その卓越した才能は、
 そのまま捨て置くには惜しいもの。その革命軍一同もろとも、素直に投降するなら、
 むしろガイナム王国の家臣に相応しい、潔さのある国士として推挙致しますわよ?」
領主夫人のクーデター犯への対応としては、格別の温情措置である
この言葉に対して、アレンは下品にも地面に唾棄した。
「国王の犬だ? 絶対に嫌だね。俺はそこそこの領主になって、
 そこそこの人間を掌握して、そこそこの暮らしをして、
 そこそこに楽しんでいくのがいいのさ。だから国王自体に対して
 逆らおうなんて思っちゃいないし、国王に直接仕える身分も御免だ。
 だからって、平民として誰かから顎で使われるのも御免なんでね。
 そのために領土を適当に乗っ取って、国王に媚びでも売っとくのが俺には分相応だ。
 もちろん標的はあんたの家だ。ヘボ領主の奥様さんよ」
「誰に向かってヘボ領主の妻だなどと言ったのかしら?」
イリノアの目付きがかなり険しくなった。危険信号である。
イリノアの恐ろしさを熟知した傭兵団と、昨日戦いに参加した敵兵の一部が思わず身を引いた。
「あんただ、あんた。あんたの夫は――」
「お黙りなさい!」
イリノアは叫ぶと『牙斬』を地面に強く立てた。
アレンも思わず口を閉じるほどの迫力である。味方がより一層恐れをなす。
「よくお聞きなさい、アレン=リーフィエ!」
イリノアの叫びが庭園にこだまする。
「我が夫、アーネスト=リヴィードは私の実家のみならず、
 みずからの犠牲をも省みずに、困窮した民を救うため、
 全ての財産を投げ打ち、借金までして民の救済を成し遂げた、
 真の英雄、ロードの鑑です! 真に民が困窮した際に、
 あなたはそこまでして民を救うというのですか! 答えなさい、アレン=リーフィエ!」
「救うさ。もし俺がヘボ領主の代わりなら、然るべき処置を国王に申請し、
 長期化も想定して、状況によっては国外への救援も要請する」
「普通の状況ならそれで充分でしょう! ですが数年前の飢饉はそのような対応では
 間に合わないほどの事態でした! それに対してその方法では生温い!
 実際に飢えた民を相手に同じ事を言えるほどの度胸も無い!
 かと言ってそれ以上の対応も思いつかない程度のただの小物が、
 吠えるなど論の外! 無能な部下を引き連れて、
 得意の舌剣(ぜっけん)でも磨き直してから
 出直しておいでなさい! アレン=リーフィエ!」
「だからと言って領主自らが自己破産寸前にまで陥って、
 統治状態が麻痺し、無法地帯と化してれば世話は無い!
 そんな事も分からんからヘボ領主だと言うんだよ!」
「失った財産など、国王に要請すれば一時凌ぎは可能ですし、
 それだけで不足だとしても、我等が統治が再度成れば、また回収は可能なのです!
 救った民の手を借りて! 事実、我が夫アーネストも、
 そのために今、奔走中のはずなのです! 何よりその
 無法地帯化を少しでも抑えるため、今、私がここにいるのです!」
イリノアは『牙斬』を高々と掲げ、更に叫ぶ。
「民を税の供給元としか考えていないのがアレン、あなたの真実の姿です!
 その醜い性根は、この領主夫人イリノア=リヴィードが叩き直して差し上げます!」
 盛大にポーズを取って威嚇すると、味方の士気は最高潮に達した。
何やら歓声まで飛んでいる。逆に敵の士気はかなり挫かれたようである。
だが、アレンも流石に生粋の扇動者だ。すぐに反論を行う。
「貴様一人で無法地帯化が避けられるわけもあるまい!
 いいから今すぐ俺に統治権を譲れ! いくらでも政情を立て直してやる!」
「問答無用! 今すぐかかっておいでなさい!」
「ならば、野郎ども! かかれいッ!」
ある程度士気を持ち直した革命軍が、攻撃を開始した。
二十五名のうち、五名ほどが剣やら槍やら斧やらを持って襲いかかってくるが、
イリノアが手を出すまでもなく、傭兵団五名ほどが対応する。互角の勝負だ。
「第二波、かかれ!」
アレンの号令で、今度は革命軍のうち、更に五名ほどが出てくるが、
これも傭兵団五名が対応に当たる。これまた見事に互角の勝負だ。
「第三波、撃ち方構え!」
今度はアレンの号令で、ロングボウと呼ばれる弓を構えた十名が弓を構える。
対応に出なかったイリノア一人を狙う形だ。流石にこのままでは
矢襖(やぶすま)にされてしまうので、イリノアは後ろから、
ようやく到着した超重鎧兵を呼び出した。
「超重鎧、前に出ます。急いで!」
「分かりました!」
超重鎧を着た傭兵が前に出る。肩に装着されたギミックが展開し、
大型の金属シールド二枚と、股下の味方支援用防御板を装備して、
更に死角からの攻撃にも強くなった。
「はったりだ! 奴を仕留めろ! 撃ち方、射撃開始!」
革命軍弓兵部隊の弓が一斉にイリノアに向かって放たれた。
イリノアはその直前に超重鎧の後方に隠れたので、安全となったが、
超重鎧の兵士には危険が伴うはずだった。だが、超重鎧は
たかが弓『程度』が通用するような生半可な鎧ではなかったのだ。
きんっ。
小気味良い音を立て、敵が放った弓は全て鎧にかすり傷しか付けられず、弾かれた。
ほとんど反則的な対物理防御力である。
同じく超重鎧の後方に隠れた、台車引き要員二名に対して、
イリノアはこっそりと頼み事を行う。
「あなた達。正門の警備要員に、回り込むように来て欲しいって伝えて下さい。
 あなた達もその挟撃に参加して。正面と、左右から挟撃を行います。
 それまではこの超重鎧で持ち堪えてみせます。できるだけ、早く。さあ!」
「持ち堪えて下さいよ。行きます!」
このタイミングで、その台車引き要員の前に連絡要員一名が合流したようだ。
計三名は、正門の三名と合流後、挟撃作戦を展開するために移動を始めた。
敵軍はそれを逃亡と見て、射撃の目標を移動中の三名に定めたようだ。
「掃射!」
アレンの号令で射撃を開始する敵の弓兵。
イリノアはその矢、合計十本の軌道全てを目で追い、予測し、そして後方へと駆け出す。
『牙斬』が閃き、イリノアはそれを回転させながら、真上に放り投げた。
放物線を描いていた敵の矢の大半を叩き落とす事に成功。
非常に正確な狙いではあるが、残り五本が味方の兵へと飛ぶ。
しかし急な事態で狙いが粗雑なためなのか、幸運にも矢はろくにかすりもせず、
虚しく地へと落下した。味方の遊軍三名は、無事に正門方面へと走っていった。
もうあの程度の命中精度では届かないに等しい。味方ながら、なかなかの度胸と駿足である。
イリノアは一瞬安堵しかかったが、甘かった。
更に、文字通り矢継ぎ早に矢がイリノアの方向へ飛んでくるのだ。
だが、放物線を描く矢を避けるのはイリノアの駿足なら難しくはない。
単に前へ走ればいいのだから。本日一番の駿足をもって、
イリノアは素早く超重鎧兵の元へと戻った。
その後もどんどん矢は放たれてくるが、どれもこれも超重鎧に目立った傷さえ付けられず、
虚しく矢の塊が超重鎧兵の前に積まれていくだけとなっていく。
そもそもその矢の山のせいで、イリノアへの狙撃が
より一層難しくなってしまっているのだから、イリノアにとっては嬉しい誤算である。
また、直接格闘を挑もうとしても無駄なのである。
並の斧程度の武器ならまったく通さないのに近いし、
何より超重鎧兵本人も武装し、その自慢の馬鹿力で攻撃してくるからである。
動きは極めて鈍いが、防衛戦にはまさにうってつけの防具なのであった。
イリノアはこれを用意した町長の先見の名に、心から感服した。
しばらく射撃を続けていた革命軍だったが、次第に傭兵団の者達が
革命軍を実力で組み伏せ始めると、焦りが見え始めてきた。
いつまでたっても超重鎧が撃破出来ないどころか、超重鎧兵に傷一つ付けられないからだ。
また、手持ちの矢もその八割以上を射尽くしてしまったのも大きい。
「なんなんだ、あの鎧は! あんなのがあるなんて聞いてねぇ、ペテンだ!」
「ふん! 並の鎧と一緒にするなよ! この鎧は他の鎧とは厚みが違う!
 その分重いが、俺なら一応動く事が出来るのだ! 俺の馬鹿力を甘く見るなよ、木っ端どもめ!」
超重鎧兵は、見事に啖呵を切ってみせるが、実際、鎧の中では汗だくだ。
この超重鎧は、重量が六十キログラムもあり、
それに見合うだけの分厚さがあるため、仕方ないのだが。
これを来て一応まともに動いてみせるだけでも、この傭兵の馬鹿力がよく分かる。
イリノアがもしこれを着たなら、まず一歩も踏み出せずに転倒し、
起き上がれず、身動きも取れず、武器もまったく振れず、
半泣きで周囲に救助を求めるしかないだろう。
そういう鎧なので、まったく矢を通さないのも当然である。
もはや超重鎧兵の前には、移動にさえ難儀するほどの矢が、山となって積まれていた。
一体何本矢を持って来ているのか数えるのも馬鹿らしいが、
これを調達したアレンも、それはそれで凄いと言える。
だが、アレンはふと、何かを思いついたように、弓兵の一人から矢を奪い取った。
「貸せ。いい事を思いついたぞ」
アレンは革命軍の一人に火と油を用意させた。元々明かりのために用意したものだったが、
その油に鏃(やじり)を浸し、火を点けて即席の火矢にしたのだ。
「見てろ。あれをどけるなら、今なら火矢一本で充分だ」
それだけ冷静に言うと、火矢を超重鎧兵の足下へと撃ち込んだ。
「……?」
イリノアと超重鎧兵は、その様子を怪訝に思って見た。
最初から直接当てる気が無かったように思えてならない。火矢は、矢束の中へと突っ込んでいった。
ぼっ!
ほどなくして火矢から延焼が始まり、山高く詰まれた矢が、
ことごとく燃え始め、辺りに熱風が吹き始めた。
「熱ッ、熱い! 熱い熱い熱熱熱熱あつつつあちゃちゃちゃ!」
無様な悲鳴をあげ、超重鎧兵は熱がりながらも後ずさっていく。
どうやら鎧が金属製のためか、モロに熱が伝導して、中で火傷を負ってしまっているらしい。
この弱点は盲点だった。もし敵が本格的に火計を仕掛けてきていたら、
中の兵は死んでいたかもしれない。己の詰めの甘さ、
対抗出来る射撃武器を用意しなかった事、何よりあの火矢を
『牙斬』で叩き落さなかった自らの油断を悔いた。
 ようやく熱が伝わらない程度に後ずさった時点で、超重鎧兵は力尽きた。
火傷の苦痛で無力化されてしまった。しかし幸いにも命に別状は無いらしい。
後で救助すればきちんと助かる程度の火傷だったようだ。
「火矢とは……しくじりました。後を……お願いします……」
「喋らないで! 苦痛が増します……後は任せてもらって構いません。お休み下さい」
超重鎧兵をその場に置いて、イリノアは突撃を敢行する。
だが、超重鎧兵の防御が無くなったイリノアは非常に脆かった。
「撃て! 撃てーッ!」
再度繰り返されるロングボウ部隊による射撃の連続。
イリノアは並外れた運動神経で全ての矢を弾き、また回避し続けたが、
一向に近付く事が出来ないばかりか、次第に後ずさらなければならない。
このまま敵の矢が尽きるまで回避し続ける事は、
イリノアの瞬発力と持久力をもってしても、相当に無理がある。
「くっ、見事な智略です……」
悔しいが認めざるを得ない。門扉の破壊を行った手並みといい、
超重鎧兵の撃退といい、相応の知恵が無ければ出来ない芸当である。
イリノアがかなり苦しい回避を続け、消耗しつつある頃、
傭兵団はほぼ敵の歩兵を制圧しつつあった。
イリノアの方針に従い、敵兵をことごとく捕縛していたため、
時間がかかってしまったが、それでもわずかに傭兵団の方が地力で勝っていたようだ。
ほぼ互角同士の正面衝突なら、一旦綻びが生じた場合、
そこからひたすら押すことが出来るのが戦場というものである。
イリノアはしつこく飛んでくる矢を回避しながら、少しずつ戦線を下げる事にした。
屋敷の敷地内に少しだけ敵を入れてやる事にしたのだ。いよいよ伏兵の出番である。
だが、イリノアが伏兵を呼ぶ前に、敵ロングボウ部隊の左翼、右翼から、
三名ずつの傭兵団のメンバーが襲い掛かった。ようやく来てくれたのだ。
イリノアの敢闘によって、矢が尽きかけていた頃にこの挟撃である。
革命軍は慌てふためくが、ことごとく武器を持ち替えようとする前に、殴り倒されていった。
更に、第一波、第二波を抑えた傭兵団十名がロングボウ部隊を強襲する。
ロングボウ部隊は倒されたり、逃げ回ったりするしかなく、もはや無力化に等しい状態と言えた。
ならばもはや、伏兵など必要無い。イリノアは気合を入れ直した。
「残り、武器を構えて行けーッ!」
革命軍の残り五名がようやく遅れて迎撃に出るが、
やはりロングボウ部隊の武器持ち替えの時間稼ぎぐらいにしかならないようだった。
「はああああーッ!」
イリノアが、力を振り絞って、アレンに向かって全力疾走する。もう遮る者はいない。
「イリノア=リヴィード!」
アレンは臆するどころか、絶好の好機とばかりに片手剣を抜き放った。
長剣だが軽量そうだった。しかし頑丈さもかなりのもののように見える。
どちらかというと斬るより、叩き割る事に重点が置かれた剣である。
「アレン、覚悟!」
イリノアが『牙斬』を大きく振りかぶり、薙ぎ払う。
素晴らしい一撃だったが、アレンはそれを容易に受け止めてみせた。
「お嬢様程度の腕力が如何程のものかよ! 笑わせる!」
実際、ただの扇動者とは思えないほどの凄まじい腕力だった。
その常人離れした腕力で、たちまち鍔迫り合いを押し返してくる。
「言い忘れたが俺も力自慢なんだよ。百キログラムのバーベルも担げる程度にはな。
 あと、剣技も教わって、師匠を泣いて謝らせる程度には上達したさ!」
「くっ!」
イリノアはうろたえつつ、しっかりと距離を取る。
「うらぁッ!」
しかしアレンは自ら押し出てきた。見事な速攻である。
イリノアには防御しか出来なかった。みるみるうちに押されていく。
まさかこのような辺境に、自らを上回る剛の者がいようとは
思わなかったイリノアに、露骨に動揺の色が浮かぶ。
がっ!
遂にイリノアの手から『牙斬』が離れてしまった。
アレンの攻撃による衝撃で、握る力が緩んでしまったのだ。
無茶苦茶な力で軽量剣を振り回すのだから始末に負えない。
「捕縛させてもらうぞ、イリノア=リヴィード!」
アレンは、力任せに組み伏せようとする。イリノアは後ろ向きに倒されてしまい、
肺から空気が搾り出されるような痛みを感じてしまう。
(やられる……!)
身の危険を感じたイリノアは武器の回収を潔く諦め、体術に切り替える。
飛び掛ってくるアレンの腹を、起き上がりざまに足で蹴ろうと思ったのだ。
だが、その必要は無い。
「お嬢ーッ!」
イリノアの元に、制圧を終えた挟撃部隊六名が一斉にやってきたのだ。
敵から奪った、残り矢の少ないロングボウで牽制射撃をアレンに加え始めた。
アレンは特に防具を付けていないので、当たると非常に痛い目に遭う。
アレンはイリノアを組み伏せるのを諦め、片手剣で、捕縛された革命軍の救出を始めた。
縄で簡素に縛っただけなので、それを斬られると逃げられてしまうのだ。
イリノアはようやく起き上がり、落ちた『牙斬』を再度握り直した。
「本気で助かりました。あと数秒遅かったら危なかったです」
その言葉に本気で嬉しそうに、かつ得意げになる挟撃部隊。
「さあ、アレンを捕らえましょう! 敵が解放されたとしても疲弊済みですし、
 アレンさえ捕らえればそれで終了なのですから!」
「おう!」
アレンは実に手際良く捕虜を救出しており、既に十名が解放されてしまった。
イリノアはこれ以上解放されないよう、捕縛した捕虜を移送するように指示を飛ばした。
「二人ほど、私に同行して下さい! 三人がかりで足止めをしている間に、
 残りの全員は捕虜を邸宅内まで運んで! 戦力を削ぎます!」
「了解です、お嬢! 見てて下さいよ!」
傭兵団は一斉に捕虜を運び始めた。一方、アレンの手によって解放された捕虜は、
次々と邸宅内から撤退を始めていた。アレンは更に解放を続け、五人ほどを解放したが、
それ以上は傭兵団の手によって阻まれ、まんまと十名ほどが捕虜となった。
「手前ェ等、退却だ! 殿軍は俺がやる! 急げーッ!」
アレンの叫びに、ふらふらと革命軍は撤退していく。
「アレン=リーフィエ、覚悟なさい! 革命軍は今日で解散です!」
イリノアがまたも先陣を切って突っ込む。
しかし、地面に叩きつけられたダメージがまだ残っていたようだ。
「あ……? 何……?」
イリノアもふらつき、その場に膝をついてしまった。
もう少し気をしっかり持っていなかったら、ひょっとすると気を失ってしまったかもしれない。
「お嬢!」
傭兵団が一斉に駆け寄り、イリノアの身を案じる。
「無様だな、イリノア。お前一人が戦力として使えない時点で、
 そいつら傭兵団は部隊としての機能さえ失いかねないほどになる。
 そしてそうしたのは俺の力だ。俺がいる限り、元が武人でも何でもないお前には、
 勝ち目が無えんだよ。分かったか?」
「無様なのは……ッ、どちらです?
 ……はぁっ、はぁっ。
 兵の大部分を失い、そうして策に溺れて……ッ、
 余力を残して敗走していれば……世話は……ッ、ありませんね……」
確かに集団戦としてはイリノアの勝利だが、個人の武勇の勝負では、
明らかにアレンに有利な勝負だった。
アレンをただの扇動者と侮っていたイリノアの油断、というには、
あまりにも酷な腕力の差である。生半可な力で勝てる相手ではない。
「……確かに知恵の勝負ではわずかながら
 あんたの勝ちだったようだが、俺は諦めていないぜ」
そこまで言うと、また下品にも地面に唾棄する。
「んで? 一応訊いておくが、どうせ国王軍の増援がもうすぐ来て、
 それまでに攻め落とせなきゃ、俺達革命軍の負けなんだろ? いつ来るんだよ?」
「明後日、明朝……です。つまり、明日攻め落とせなければ、
 こちらの勝ちという事ですね、アレン」
ようやくまともにイリノアが起き上がる。呼吸も元に戻ってきたようだ。
「ふん、あと一日かい。意外と余裕の無いこった。
 まあいい。更に増員の予定もあるし、策もまだいくつか残してある。
 今度こそ全て投げ打って勝負だ。出し惜しみしねぇぞ。
 これは賭け。チップは俺の人生丸ごとだ」
「なら……私のチップは我が家と、この地方の未来を、丸ごとです!」
「上等だ。なら今日はここまでというわけだ。それじゃあな!」
アレンは無駄に、堂々と帰っていった。どうやら残りの
革命軍十五名ほども、そのまま撤退したようである。
「ふう……何とか凌ぎ切りましたね」
イリノアが服に付いた砂を払う。
「大丈夫ですか、お嬢?」
傭兵団のうち、本日の迎撃要員の、ほぼ全員が集まって、イリノアの身を案ずる。
「大丈夫です。少し強く背中を打ちましたが、ショックは一時的なものですから。
 それより、超重鎧の弱点が露呈したのが痛いですね。あれは慎重に扱わなくては」
痛い事態である。また、仮に着たとしても、
本日の超重鎧兵担当に腕相撲で負けた男しか着る事が出来ない。
つまり力で劣る彼は、鎧装着時の動きも劣るという事だ。
火矢を射ち込まれる危険がある以上、スペックダウンは避けたかった。
「それよりも、アレンの実力が私より上な事の方が問題ですわ。
 実力で勝てない以上、アレンと革命軍に勝利するには、三つしか選択肢がありません」
イリノアは三本指を立てる。
「まず、集団で襲撃し、殺害ないし、気絶させて捕縛する事によって無力化。
 もちろん庭園の伏兵による襲撃も作戦内に含みます。
 その次に、徹底的に時間稼ぎに徹して、王国正規軍の到着を待つ方法。
 最後に、明日やってくるとされる、謎の助っ人に期待する方法です。
 もし、その人がアレンより実力が上であれば、勝算は大きくなります」
感心したように、傭兵団は聞き入る。
「母上ー!」
玄関からファイマと、セルバンテス町長が飛び出てきた。
イリノアがダメージを受けたとの報告が届いたのだろう。慌てて出てきた様子だ。
「大丈夫……のようですな」
「ええ。背中を打っただけです。大した事ではありませんわ。
 だからファイマもそんな顔しないで。ね?」
「うん」
安心したようだが、それを言葉にしては、あまり表現出来ていないようである。
ここぞとばかりに思い切りむしゃぶりついて甘えてくる。
その頭を優しく撫でてやると、いつもの通りのイリノアなのだとしっかり理解し、更に甘えてくる。
「よしよし」
ファイマを抱きかかえながら、セルバンテス町長の方を向くイリノア。
「町長、やはり増員は一人以上を見込めませんか?」
「ああ。無理なようです。だが、昨日矢傷を負った二人が、
 替わりに直接護衛要員に入り、今日、超重鎧を着て火傷した男が
 替わりに連絡員となります。つまり三人を新たに投入可能になったのと
 同義と考えていいでしょう。実質的には戦線離脱なわけですが」
「それで、町長の護衛は大丈夫なんですか?」
「そう言うだろうと思って、今正門から運ばせている
 新兵器で援護射撃を私が自ら行おうと思っておるのです。
 これで必要な時に敵を牽制し、出鼻を挫いてやれば、
 こちらの士気の向上に役立つかもしれませんので」
見ると、正門に大きな弩(いしゆみ)が運ばれている。
狙撃用のもので、邸宅の三階から正門、もしくは裏門まで程度なら、
何とか矢も届いてくれるだろう。連射が効くものではないが、
威力はそこそこに大きいので、射ち込まれれば冗談で済む物ではない。
四輪者として移動可能な仕様なので、一応移動も可能である。
結構な費用がかかったはずだが、もはや四の五の言っていられない。
この兵器をもってしても、邸宅の玄関を守りきれるかどうかは非常に怪しいし、
何よりこの兵器では『衝車』を破壊できない。
革命軍は帰り際に、きっちりと『衝車』を回収していったのだ。
これでもし正門まで破壊されれば、文字通り防御など無いに等しくなってしまう。
また、別の懸念もあった。今日は敵兵十名を捕縛し、敵の戦力はアレンを除き、
十五名となったが、また残した余力も十名いるという。
これでは減っていないのと変わらない。
まして、更なる増援を呼ばれた場合は苦戦を免れないだろう。
「はああ……」
世に悩みの種は尽きまじ。イリノアは深いため息をついた。
「アレンという男はどうでしたか?」
町長が訊いて来る。アレンが直接来た、という報告は受けたのだろうが、
直接見ていないので、そういう質問になったのだろう。
「一筋縄ではいかない感じ、ですかね。実力も私より上のようです。
 組み伏せられるところでしたが、味方に助けられました。
 今日は味方も多くの敵を捕縛して、活躍してくれたから助かったようなものです。
 それなりに頭も回るようですわね。今ひとつ、小者という印象は拭えませんが、
 まあ世に多くいる『将』といわれる類の人物というのは、
 まあ大半がああいった程度のものでしょう」
そこまで言って、イリノアの顔に軽く険が入る。
「人の亭主を、散々すっぽこだの何だのとコキ下ろしてくれましたけど、
 正論ばかり述べて、肝心なところの決断力に欠ける、というところですか」
イリノアの苛々した気配が伝染でもしたのか、ファイマが軽く怖がる。
それを深く抱き寄せると、イリノアは改めて優しく撫でてやった。
「ともあれ、今日はもう疲れ果てました。さっさと戻って夕食をとって、
 お風呂にでも入って、すぐに寝ましょう。作戦会議は明朝です」
「ですな、最低限の要員を残し、残りは引き上げましょう」
イリノアはファイマを抱き上げたまま、邸宅へと戻った。
傭兵団や町長も後に続いて、ぞろぞろと戻っていく。

それから一同は遅れての夕食をとり、各員シャワーを浴びて、
ようやく穏やかな眠りにつくのであった。今日ばかりは夜間の見回りも残していない。
明日、決戦の覚悟があるというのに奇襲でもないだろうからだ。
まあ、奇襲が無いと決めつけるのも不条理だし、戦術的にあまりにも無防備なので、
お手伝いさんが、一応望遠鏡などで警戒態勢を取ってくれた。
おかげでイリノアと傭兵団は眠る事が出来るのである。
イリノアも、ファイマと同じベッドで眠っていた。
しかし、ファイマは何故か夜中に起き上がり、邸宅を出た。
手にはまたスコップが握られている。夜中だというのに、
まだまだしつこく穴を掘り続けようというのである。
ファイマが疲れ果てて眠ってしまうまで、この作業は続いたのであった。


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