ロード・オブ・マーシナリー〜親子で出来る冒険者のなり方〜


三日目(前編) クライシス

明朝、イリノアはベッドにファイマがいない事に驚き、全員を叩き起こして、
ファイマを探させたが、ほどなく邸宅内で見つかったとの報告があった。
ファイマの手伝い要員の傭兵達が、落とし穴からファイマを引っ張り出したのだ。
満足そうに眠っていたのでイリノアは安堵した。
イリノアはファイマを叩き起こして叱りつけようと思ったのだが、
同時に『落とし穴を掘り終わったようです』との報告を手伝いの傭兵から受けたため、
ファイマの目的を察して、とりあえず寝かしつけておく事にした。
「お嬢、私達は朝食後、まだ落とし穴の仕上げ作業が残っています。
 仔細をファイマ君から聞いてあり、それに従いつつ、
 足りない点を補って作業するので、そのつもりでお願いします」
「ええ……」
まあ作業と言っても、掘り終わった以上、引き上げ用のロープを排除し、
蓋をするぐらいだろうと思ったので、何も考えずにイリノアはGOサインを出した。
その後で、ようやくイリノア達は朝食にありつく事が出来た――

その頃『鋼の革命軍』本拠地の酒場地下では――
意気消沈しかかっていた革命軍メンバーを中心に、アレンが何とも言えない顔をしていた。
非常に虫の居所が悪い……かと思いきや、案外そうでもないようであった。
むしろアレンの顔は自信に満ちている。腕自慢のイリノアを、
一対一で組み伏せる程に自分が強かった事を、素直に自信の表れとしているようでもあった。
「確かにあの女、なかなかの腕前のようだったが、
 どうやら個の力量じゃあ、俺の方が上だったようだな……」
くっくっ、と忍び笑いを思わず漏らすアレン。
よほど、イリノアに一時的とは言え、立ち上がれないほどのダメージを
与えた事が痛快だったらしい。捕縛された十名の事など、
まったく気にもかけていないようである。
「いや、しかしアレンさん……十名も捕縛されちまいやしたぜ。
 正直、昨日残ってた十名を足してもこちらは二十五名しか残ってません。
 たぶん相手には控えもいるでしょうし、数で押されたら不利ですぜ?」
「ああ。確かにな。そのままの人数なら、な」
ニヤリと、また笑うアレン。
「というわけで、かねてより手配中だった予備増員を投入する。
 これでこちらの戦力は、俺を除いてなんと四十名だ!」
その声に応じるように、十五名の男達が現れた。
まさかここまでの人数を用意しているとは予想しておらず、
革命軍は素直に拍手喝采を送った。アレンにそこまでの人望があるのだと
勘違いしているようだが、残念ながら舌先三寸で適当に連れてきただけの、
ごろつき紛いのギルドに所属していない、モグリの傭兵ばかりだった。
要はアレンの持ってる資金力につられて来ただけである。
だが、腕の方はまあ最低水準には達しているので、
頭数として役に立たないこともないだろう。
「アレンさん、最高です! 俺達最後までついて行きますぜ!」
感涙にむせぶ者までいるが、それだけではないと言わんばかりに、
アレンは腕組みし、仁王立ちする。
「これだけだと思うな、野郎共!」
アレンは更に、また置いてあった布製シートを取り払い、その中身を披露する。
なんと、その中にはハングライダーが三基と、昨日も使った
『衝車』が用意されていた。よく見ると、『衝車』は少し傷んでいたのに、
きっちりと整備し直してある。一部部品も交換されたようだ。
一方、ハングライダーはこの大陸において、唯一の飛行手段である。
上手く使いこなせば、戦術兵器として非常に有効とも言える。
「ハングライダーはどうやって使うので?」
「それを説明しよう」
アレンは、ローレン・タウン及び、周辺地域の拡大地図を取り出した。
そこに極太のペンで書き込みを始める。
「この町はそう広くはないし、幸いにも小高い山があるんでな。
 このハングライダーを持ち込んで、空中から邸宅へ直接三名を乗り込ませる。
 確かハングライダーの心得がある者が、この中にいたはずだな?」
「俺と、こいつです」
一日目から戦闘に参加しているうちの二名が前に出てきた。
「ふーむ、ならもう一基は俺自らが使うか。
 リーダーの俺がいきなり戦場の中心に現れるってのも、なかなかに面白そうだしな。
 多少の危険は承知の上だ。どうせ今日で最終日なら、退くことなんて出来やしないしな。
 あとはこっちが全員捕縛されるか、あっちが制圧されるかの違いだけだ」
どうやら、アレンもハングライダーの心得があるらしかった。
「本日の作戦はこうだ。まず主力部隊が『衝車』を使って正門を破壊し、突撃。
 それから時間差で分隊が、昨日破壊した裏門からの奇襲、
 更に先に離陸(テイク・オフ)を行う予定の俺達ハングライダー隊が上空から直接、
 邸宅へと着陸(ランディング)を行う、というわけだ」
「三段構えですか!」
これには革命軍メンバーも驚いた。まさかここまで念入りな用意をしていようとは。
よく見ると、アレンはちょっと目が赤い。きっとまた完徹で作業したに違いない。
「ああ。万一俺達ハングライダー隊が敵の弓兵か何かに撃ち落されたとしても、
 何とか不時着ぐらいは出来るだろうし、出来ればイリノアを無視して邸宅を制圧したい。
 それもこの人数があれば可能だろう。よほどの不確定要素が無い限りはな。
 情報では、イリノアには、まだ小さいガキがいるそうだから、
 それを人質にして、奴に投降を強要するのも手っ取り早い方法だろうな。
 さあ野郎ども、英気を養うために、今はたっぷり食って、ひたすら寝ておけ!
 ハングライダー隊は今すぐ登山だ。俺もすぐ行く。勝負は夜だ!」
「おう!」
革命軍一同は元気良く答え、それで会議は解散となった。
まさに素晴らしい諦めの悪さである。イリノアがもしこの会議を見ていたなら、
呆れるより先に感心していたかもしれない。
一同が全て酒場から姿を消し、ハングライダーも山へと運ばれていった。
「ふう……簡単に制圧できるはずだったのに……あの女一人のせいで、
 とんでもない事になっちまったな……」
アレンは、適当に置いてある椅子に座って、ひとりごちた。
「……あんな無能者と、その家族がこの地方を統治している現状なんざ、
 俺は許さねぇ。許せねぇよ……!」
アレンの表情に、怒り、憎しみ、妬み、どれとも違う表情がふと浮かんだ。
強いて言うなら『嘆き』であろうか。
「だから俺がこの地方の窮状を救ってやる。あんな無能者一家にも、
 他の誰にも任せたりはしねぇ。そのためには誰だろうが、捨て石、踏み台同然だ……!」
どうやら単なる野心からクーデターを画策したわけではないようだ。
彼なりに義務感があって、こういう早まった行動に踏み切ったのだろう。
その独白を合図としてなのか、アレンは深い深い眠りに就いた。

イリノアが昼食を取った頃、ファイマも起き上がってきた。
二人揃って外に出ると、何やら外を一羽の鳥が飛んでいる。かなり大きい。
「何だ何だ?」
傭兵団一同は思わず警戒態勢を取る。アレン達が何か
毒物でも送り込んで来たのか、と思っているのだ。
「ペールギュントだー」
ファイマが何か知っているようである。もちろんイリノアも言われてすぐに気付いた。
あの鳥は、リヴィード家が所有する伝書用の鳥である。その名をペールギュント。
れっきとした伝書『鷹』である。
肉食の鳥で、狩猟目的に飼うのが主な用途である鷹を伝書用に躾けるのは、
本当は無理があるのだが、リヴィード家の紋章は鷹の印なのである。
そのためか、強引に躾けたらしい。鷹は飛行速度の速い鳥なので、
まんざら不適切な選択ではないが、かなり無理矢理な感じは否めない。
しかもこの伝書鷹ペールギュントは、特定の地点に向かって
移動するほどの器用さは無い。その優れた目で伝書を届けるべき人物、
すなわち『家族』のみを認識し、それを探してから飛んでいく事しか出来ないため、
伝書の送付に時間がかかる。とどのつまり、向いていない。
「ペールギュント! おいで!」
何故かファイマにやたらと懐いているこの鷹は、
速度を緩めてファイマの肩に止まった。何気に鷹は掴む力が強いので、ファイマは苦笑いする。
「いたいよー?」
だが、特にどうという事もなく、そのままファイマの肩に乗っている。
その足をイリノアが掴んで、伝書をほどいて読む。ペールギュントはイリノアの肩の上に乗った。
「アーネストからですね」
ファイマもそれを聞いて、伝書を読もうとするが、首をかしげてしまう。
どうやらまだ字がちゃんと読めていないようである。
「読んでー」
イリノアは頷き、読もうとしたが――
ふと周りを見ると、町長やら傭兵団やらお手伝いさんやらが大挙して
伝書を盗み読みしようとしていた。イリノアは背中から『牙斬』を問答無用で抜き、振り回す。
「プライベートです! どこか別の所へ行って下さい!」
「わわわ!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ散る一同。流石に借金に関わるかもしれない用事を読まれるのは、
領主夫人としては体裁が悪かったが、人の不幸は蜜の味。
町長やら傭兵団の者達やらが興味を抱くのは、まあ当然と言えた。悪趣味ではあるが。
「父上の手紙、読んでー」
それには取り立てて興味は無かったようで、ファイマは手紙の朗読をせがんでくる。
「はいはい」
イリノアは『牙斬』を再装着して、ファイマを抱っこしてやる。
他の者に聞かれたくないので、出来るだけ小さい声での朗読を開始した。
ファイマの肩には未だペールギュントが乗っているので、絵面的に非常に物凄い事になっているが。
「読みますわよ」
原文をそのまま読む形で、イリノアが朗読を始めた。
『俺の愛するイリノアとファイマよ。まあお前達の事なので、
 案ずるまでもなく元気にしているだろう。ファイマは大きくなったか?
 とりあえず前置きは置いといて、本題に入る事にしよう。
 借金の件なんだが、とりあえず必要最低限の分を
 国王に立て替えてもらう交渉には成功した。
 だが、それでもまだ借金は残っているし、
 第一統治運営を行うための人員を雇うだけの資金と、邸宅を買い戻す資金は、
 まず俺が用意しなきゃならないようだ。友人や他の諸侯のツテで
 更なる援助を要請するためにまた俺は動かなければならんが、
 それには時間がかかる。一度お前達の顔を見に戻りたいところだが、
 しばらくは無理だろう。それでも俺は必ず帰ってくる。お前達がどこにいてもな。
 その時を楽しみにしていて欲しい。以上だ――
 閉鎖暦九六〇年一月六日送付。アーネスト=リヴィードより』
……全てを読み終えた時点で、イリノアは気付いた。
「一月、六日……? 三ヶ月も私達を探して彷徨っていたのですか? ペールギュント」
ペールギュントは肯定するようにひと鳴きする。
「ご苦労様、随分と長い旅でしたね」
「ごくろうさまー」
ペールギュントに、とりあえずの携帯食で、食事を与える。
実際鳥というのは、毎日飛ぶ生き物なので飛ぶ事自体には苦労は無いだろうが、
特定の人物を探して飛び回るのは、相当の労苦を伴うはずである。
「ともかく、今日はここにいて、明日、アーネストの所へお帰りなさいな」
そう言いながら、ファイマには肩当てを着けてやる。
ペールギュントがとりあえず乗るための場所を、据えつけてやっているのと同義なのだ。
ファイマの肩の上に再び飛び乗るペールギュント。
「それにしても三ヶ月前に手紙を出しておいて、
 未だ顔を出せないとは随分と忙しいようですわね。私達の責務も重大、という事ですか」
身内からの手紙に、イリノアは決意を改めた。
治安を少しでも自らの手で良くしなければ、ライゼ地方は本当に無法地帯と化してしまう。
そうさせないためにも、アレンの独善をそのまま見逃すわけにはいかなかった。
イリノア達は、ペールギュントを撫でてやりながらも、
とりあえず会議やら作業やら、全ての作業を中断し、昼食を取る事にした。

午後三時頃、イリノアが外に出ると、何やらファイマが指示を飛ばしている。
「ていねいに置くのー!」
「うーっす」
どうやら、ようやく完成した落とし穴に蓋をしているらしい。
落とし穴としての機能なら、二日目の時点でまっとうできるはずであったのだろうが、
随分と時間がかかったものである。この単純なトラップ、気休めでも
もし役に立ってくれればそれに越した事はない、とイリノアは感じ始めていた。
見ると、ファイマのみならず、この三日間、ファイマの手伝いに没頭してきた
傭兵団三人の顔にも、自信が満ち溢れている。彼等的にもかなりの力作だったようだ。
「お疲れ様、ファイマ」
イリノアが声をかけてやると、ファイマと傭兵団三名は胸を張る。
「仮に誰か落ちたとして、威力はありそうですか?」
どうせファイマは『ないしょ』と言うに決まっているので、
最初から手伝い要員の傭兵達に訊いてみる事にした。
「内緒です。ファイマ君に怒られますからね」
そう言いながらも、もしハマれば威力絶大、と言わんばかりの態度の傭兵達。
「もし中に入られたら、有効活用しないと。力作みたいですし」
微笑を浮かべるイリノアに、ファイマはしがみつく。
どうやら昼寝するから連れて行け、という意志表示のようだ。
「はいはい、お昼寝は泥を落としてからね」
イリノアはファイマをシャワーに連れて行った。

一方その頃、ローレン・タウン郊外にある山の頂上では、
『鋼の革命軍』のアレン自らが率いる、ハングライダー隊が山頂に到着していた。
他の二人は風向きなどを読んでいる。上手く飛べそうな感じだったので、
アレンは望遠鏡を取り出して、町の風景を見渡した。
飛行する際、障害物になりそうなものが無いかどうかを念入りにチェックするためである。
「……お?」
その確認作業の途中で、アレンは妙な物を見つけた。
とある民家――おそらくは何の変哲も無い一般家屋だろう。
その屋根に、何やら怪しい装いの男が一人寝ていた。
どう見ても家の住人には見えないほど胡散臭い。
それほど遠距離用の望遠鏡ではないため、服装の詳細などは分からないが、
どうも派手に過ぎる感じの印象を受けた。
「……なんだ、ありゃ?」
アレンは首をかしげたが、まあどうでもいいだろう。
春なのでああいう変人はどこにでもいる。そう考えた。障害物にもなりそうにない。
「まあいいか。おーい、グライダーの組み立て始めるぞー!」
「うぃーっす」
アレン達は、一度バラしていたハングライダーの組み立てにかかったのであった。

――アレンがもう少しでも近距離から確認しようとしていれば、
そうでなくとも連絡要員の一人でも用意していれば、
あるいは直接飛んで確認しに行こうというだけの考えを持っていたなら、
それでなくとも、もう少しの間だけその男を凝視していたなら、
あるいは歴史の可能性が、その時点で変わったかもしれない。
もしその男を直接目視確認したなら、アレンはイリノアや町長など放っておいて、
その謎の男を全員でつけ狙うという判断をしたはずだからだ。
それほどの重要人物が、その民家の屋根の上で、非常に無防備な格好で寝ていたのである。
そのいい加減さが、アレンという人物を端的に現していたのかもしれない。
かなり深く眠っていたであろうその謎の怪しい男は、アレンが目を離した時点で起き、
なにやらモゾモゾと動いた後で、その場をすぐに離れたのである。

更に同時刻、イリノアに届いた伝書を盗み読もうとして追い払われてしまった
セルバンテス町長は、ジッとしていても面白くなかったので、
捕虜を、もうすぐ引き取りにやって来る役人に引き渡す前に、
訊ける事は訊いておこうと思ったので、邸宅内の倉庫へと入った。
目の前に昨日捕らえた十名がいる。ちなみに一日目の捕虜は、
実は既に役人へと引き渡してあるのだが、そちらからの情報はロクなものが無かったらしい。
「では『鋼の革命軍』の諸君。これから、尋問を開始しよう。
 あらかじめ言っておくが、黙秘権は君達には無いからな。
 無駄な黙秘をすると、自白剤を使うだけだぞ」
凄みのある顔をする町長に怖気づいたのか、革命軍の十名はこくこく頷く。
正直、自白剤というのは、単なるブラフだったが、脅しとしては充分だったらしい。
「これも言っておくが無駄な時間は無いし、役にも立たん答えは要らんので、
 諸君らもそのつもりで質問に答えるように。注意事項は以上だ」
セルバンテス町長は一拍置いてから質問を開始した。
「第一に、君達『鋼の革命軍』の攻撃を、我々は防がねばならない立場にある。
 構成員の人数と、増員の可能性を答えるように」
「おとといまではアレンさんを除いて、四十名だったんですけど、
 五名捕縛されて三十五名に、昨日俺たちが捕縛されて二十五名になりました。
 でも増員の可能性は未定です。アレンさんの人望を考えると、
 あるかもしれないですし、無いかもしれないです」
「つまり分からんという事か」
セルバンテス町長は嘆息した。
「では次の質問だ。君達の本拠地はどこかね?」
「ローレン・タウン商店街の中の潰れた酒場ッス。
 でも、俺達も昨日、アレンさんとあんた達の最後の方の話聞いてたけど、
 今日が決戦らしいじゃないスか。だったらアレンさんは本拠地なんて、
 性格上、確実に引き払ってると思うッス」
「……その情報も役に立たんではないか。というか少しは役に立つ情報は無いのか?
 アレンのクーデターの動機とか、新兵器の情報とか」
「あ、それなら俺見たッス」
セルバンテス町長が発言した男の方を見る。
「アレンさんが、おとといから何か資材を搬入して、組み上げた物に
 シートをかぶせて隠してた様子をこっそり見たんです。
 昨日使った『衝車』とは別の物だったのは確かなんで、
 今日の決戦に使ってくる可能性が大きいと思うッス」
「新兵器か……正体が分からんのが厄介だな。他には何かあるか?」
「特に無いッス」
まあ元々期待していなかったので、尋問結果としては上出来だろう。
「あのー。俺達と、昨日捕縛された五人の身柄ってどうなるんですかね?」
革命軍の一人が、セルバンテス町長に質問する。
「領土奪取の陰謀は重罪だが、幸いにも君達は殺人や放火などの他の重罪は
 成立させていない。故に数ヶ月から数年の範囲で
 ブタ箱にブチ込まれる事が考慮されるな」
「はあ……まあ仕方無いッスね。命があるだけでもめっけもんだ。
 敗残兵の運命なんてそんなモンですよ。あの女の人――
 確か領主夫人でしたっけ……には感謝しないと」
「殊勝で結構。その態度なら一年未満で出て来られるかもしれんな」
 セルバンテス町長がニヤリと笑うと、ちょうどいいタイミングで役人がやって来た。
「遅れて申し訳ありません、町長殿。犯罪者を護送しに来ました」
「頼むよ」
ぞろぞろと連れられていく捕虜を、セルバンテス町長はただ見ていた。
その胸に、何か虚しさを感じながら。こういう愚かな戦いをするために
町長にまで上りつめたわけではない、その憤りが、彼の胸を締めつけるのであった。
ともあれ、成すことを成さねば、自分はもう町長でいる事さえ出来なくなるかもしれない。
それは受け入れるわけにはいかない事実だった。だから彼も動くのだ。
「誰か、いるか?」
「はい」
お手伝いさんが出てきた。
「各員に通達だ。尋問の結果が出たが、何やら新兵器があるらしい、という
 情報だけが判明した。警戒するように、とな。それから私は夕食まで仮眠を取る。
 敵襲が無い限りは起こすなよ」
「分かりました」
お手伝いさんは速やかに部屋を去っていった。
「少し……休もう」
まともな休息は一日半ぶりか。心の休まらない日々が続いたものだが、
それも今日で終わりかと思うと、何とも言えない気分になる。
だがまだ『心の休まらない日』は終わっていない。
今日は、午後十一時五十九分が終わるまで、今日なのだから。
そんな事を考えながら、リカルド=セルバンテスは浅い眠りに就いた。

ベッドの上でもぞもぞと動くファイマ。イリノアに抱かれている。
「こら、眠れる時に寝ておかないと、夜は忙しいかもしれないですわよ?」
「母上ー」
「……ん?」
「僕を置いて死んだりしないでー。昨日怪我したから心配なの」
どうやら、昨日背中から叩きつけられて擦り傷を負ったのを言っているらしい。
一丁前に心配してくれているのだ。
「大丈夫、死んだりしない。あなたがいる限り、私とアーネストは……無敵です」
何だかよく分からないが、無性に息子が愛しくなって、
イリノアはぎゅっと強く、優しくファイマを抱きしめてやった。
母の胸の中で、すぐ安心したのか、ファイマはほどなく眠りに就いた。
その寝顔につられて、イリノアも眠りに就く。これが母性本能なのかもしれない。
もっともイリノアは元から母性本能が強い方だし、ただ単に自覚していないだけなのだが。
それぞれに休息の時間を満喫する敵、味方一同であった。

夕食後、午後十時。イリノア達は本格的に夜襲に、いや決戦に備えて警戒していた。
最低限の二名を、引き続き町長の直接護衛要員に残しておいた。
それから連絡要員が一名。それら三名以外の全員が、外に出て警戒を行っている。
役人の話によると、王国正規軍はかなりこの邸宅まで接近しており、到着まで約二時間。
つまりちょうど日付が変わる頃に到着する。この二時間が勝負なのだ。
そして、この二時間の間に革命軍が来ない事はあり得ない。
彼等も覚悟を決めて突入を試みてくるだろう。
既に昨日、北の裏門は破壊されているので、そちらの方に重点的に人数を割いている。
人員配備は正門十名、裏門には代理の超重鎧兵を含む十五名、塀の見張り二名という状態だ。
態勢は万全、どこからでも来い、という気構えである。
敵の射撃攻撃にも備えて弓一式も用意してある。
新兵器の移動式弩砲も既に邸宅三階に配置が済んでいる。
イリノアは邸宅玄関前で、正門、裏門、どちらかからの報告を待つのみだ。
ファイマは町長と一緒にいる。今日はファイマにも用心のため、防具を着けている。
「……ふあ〜あ、来ないッスねぇ」
連絡要員の傭兵がこちらに来て欠伸をするが、その欠伸は強制的に止められた。
正門がいきなり騒がしくなってきたのだ。
「正門から堂々と? らしくないですね、アレン!」
すぐに襲撃なのだと気付いたイリノアはすぐに走り出した。
連絡要員も裏門に向かって走り出す。人数を少し正門に割くためだ。
正門は裏門と比べ、鉄で出来ており、いくら『衝車』といえども、
そう簡単には破壊できないはずだ。ましてや十人で押さえに
かかっているのだから、簡単には抜けないはずなのだ。
だが、アレンの作戦は予想を上回るものだった。
なんと、扉ではなく、その近くの壁にヒビが入り始めていたのだ。
最初から門扉を無視し、壁を破壊しようなどとは、流石に予想し得なかった。
知っていたからといって、一日程度では防護の取りようもない策を、革命軍は選んできたのだ。
「アレン……やはり只者ではありませんね」
イリノアは素早く判断を切り替え、指示を傭兵達に飛ばす。
「正門門扉を開けなさい! 塀を破壊されるともっと鬱陶しい事になります!
 素直に通して、正門周辺で撃退、ないし捕縛します!」
その指示に従い、正門の門扉を開放すると、『衝車』の攻撃は
意味無しと悟ったのか、すぐに停止した。『衝車』は
人力でしか動かないので、無駄に使うと労力の浪費になる。
「突っ込めー!」
革命軍が大挙してやってくる。十五名ほどだ。
だが、傭兵団も増援が裏門から来た。人数比はイリノアを除いて、まったく同じになった。
ただし裏門は十名しかいない計算になる。裏門から来られると厄介かもしれなかった。
「撃ち方、発射!」
「撃ち方、撃て!」
イリノアと敵指揮官の声が鳴り響き、お互いにロングボウを撃ち合う。
両方戦慣れしているのか、見事に撃たれた矢を完全に防御している。見事な手際だった。
やはり射撃では話にならない。イリノアは格闘攻撃に切り替えるように指示を飛ばした。
すぐに革命軍側も同様の対応をしてくる。
「突撃!」
イリノアが指示を出しながら、率先して攻撃をしかける。
『牙斬』で二名ほどをたちまち行動不能にしてしまうが、
六人がかりでイリノアに仕掛けてきた。流石にこれだけの人数を
正面から相手にするのは不利だったので、イリノアは傭兵団の影に隠れた。
すぐに傭兵団と革命軍のぶつかり合いに発展し、大乱闘が繰り広げられた。
だが、敵兵の中に、酷く動きの鈍重な者がいた。
その男は超重鎧ほどではないものの、かなり重そう、かつ頑丈そうな鎧を
着て動き回っている。超重鎧とは違って、一般の既製品なのだろうが、
軽量の武器と、ロングボウしかない傭兵団には、かなりの強敵だ。
侮ると、イリノア自身も危ないかもしれない。
「以後、あの敵兵を重歩兵と呼称します! あの重歩兵は私が相手してみます。
 あなた達は他の敵を相手していて下さい!」
「了解!」
それぞれ散開し、各個撃破を始める傭兵達。
イリノアは重歩兵と真っ向から向き合う。敵の手にも長槍が握られていた。
「……大した力自慢ですわね。まさか、アレン?」
「違う。一日目に殿軍を務めたのは俺だ」
「……あなたが、これを着ている……正直、驚きましたわ」
初日に革命軍が撤退する際、イリノアを引きつけて革命軍ほぼ全員を逃がしたあの男が、
今度は頑丈な鎧を着て、またイリノアの前に立ちはだかったのだ。
「驚くには値しない。驚くのは俺に捕らえられてからにするがいい」
無愛想にそれだけ言うと、重歩兵は動き出してきた。
無造作に槍を振るうが、もちろんそんな動きではイリノアには当たらない。
「せやーッ!」
イリノアは本気で攻撃する。一切の手加減をせず、槍の三連続の斬撃。
がんがんがん!
やかましい音を立てただけで、重歩兵はよろける素振りさえ見せない。
恐ろしい頑強さだ。もはやこちらの超重鎧と同程度の脅威と認識するしかない。
「無駄だ」
重歩兵は立て続けに槍を振るうが、鎧のせいで、すべからく動きは緩慢だ。
イリノアはそのことごとくを避けるが、次第に息があがってきた。
「まずいですわね。非常に頑丈です」
まだ余力があるため、無駄口を叩く余裕があったが、次第にその余裕も無くなるだろう。
重歩兵を除けば、敵兵は十二名、傭兵団は十五名なので、
イリノアは余分な傭兵団三名を呼び寄せる事にした。
「傭兵団三名と連絡要員、すぐに来て下さい!」
そのイリノアの声に応じて、傭兵団二名と連絡要員がすぐにやって来た。
「桶でも樽でも水筒でも構いません! 池からガンガン水を汲んできて!
 それしか勝つ方法がありません!」
「わ、分かりました!」
ドタドタと池の方へ走り出す。水を汲む容器は連絡要員に頼んだので、
ほどなく水がこちらへと来る、と判断したイリノアは、回避と防御に専念する事にした。
「火ではなく、水だと? それでどうにかなるなどと思っているとは、お笑い草だな」
「あなたには悪いですけど、こちらも『超重鎧』を使っている故に、
 そちらの弱点もなんとなく分かるのです。怖気づいたならお逃げなさいな」
「戦場で戯れるな!」
軽口を叩いて挑発するイリノアをしつこく追い回す重歩兵。
槍を振り回す重歩兵から、根気良く逃げ回っていると、時間の無駄だと判断したのか、
重歩兵は直接邸宅玄関へと向かっていく。
流石にそれはマズいので、イリノアは慌てて攻撃を開始した。
しかしそれが狙い、とでも言わんばかりに、重歩兵が渾身の一撃のために、槍を振りかぶる。
「……ッ!」
イリノアは焦って防御態勢を取る。飛び上がったところなので回避できないのだ。
ガツン!
イリノアは槍で攻撃を弾いたが、また背中から叩きつけられた。
自らより腕力で上回る者に背中から叩きつけられるのは二度目だ。
あまりにも痛いミスであった。イリノアは瞬間、身動きがまったく取れず、
一瞬、呼吸が出来なくなった。
「う……ッ!」
だが、イリノアはこれ以上ミスをするつもりはなかった。
ずば抜けた集中力で意識を引き戻すと、驚異的なスピードで起き上がり、
第二撃を辛くもかわした。ここにアレンがいたなら、思わず賞賛するか、
あるいは重歩兵を叱責するかしていただろう。
「やるな」
重歩兵は素直に驚いたようだった。あのタイミングでは、
普通の者はかわせないからである。たちまち串刺しにされていただろう。
「二度目ですからね……っとと」
少しよろけるが、すぐに態勢を立て直す。その時だった。
傭兵団三名がバケツリレーを行い、水をイリノアの元に届けたのだ。
「お嬢、水です!」
「ご苦労様! どんどん運んで下さい!」
イリノアは勝負あった、と言わんばかりの顔で、『牙斬』をしまって、
水のたっぷり入ったバケツを受け取った。
「さあ、勝負です!」
「何のつもりかは知らんが、いいだろう!」
バケツを受け取ったイリノアがじりじりと距離を詰める。
だが、イリノアは敵の槍による攻撃を警戒して、
ギリギリ槍が届かない位置から水をかけた。一応の用心だ。
ばしゃっ。
バケツから放たれた水は、見事に重歩兵にかかった。心なしか動きが鈍ったようだ。
「ちっ。中の服が濡れて動きにくくなったか。やるな」
それがイリノアの狙いだった。
「だが、俺はまだ動けるぞ!」
重歩兵本人が言うとおり、また動き始めた。
「勿論、これで終わりではありませんよ……次、水を!」
「へい、お嬢!」
傭兵団からまた渡された水を受け取る。今度はタライだ。
「ていっ!」
ばしゃっ!
水がかかって、更により一層動きが鈍くなる。
「ちっ、鬱陶しい!」
怒り狂って長槍を振り回してくるが、最初から間合いの外にいる
イリノアや傭兵団のメンバー達にはかすりもしない。
「次ッ、水!」
「へい!」
ばしゃっ!
「もう一度!」
「あ、よいしょっと!」
ばしゃっ!
何度も何度もしつこく水をかけ続けるイリノア達。
すると、重歩兵の動きがまったくなくなった。手に持った長槍も取り落としている。
「お、重い……? どういう、事だ……ッ?」
それだけ言うと、見事な効果にイリノアは微笑んだ。
親指を立てて傭兵団に『成功』とアピールしてやると、
傭兵団も『当然!』と言わんばかりに親指を立てて見せた。
「うちにも『超重鎧』という鎧があります。あなたも見たでしょう? 昨日」
「あ……ああ……だが、それがどうしたと……」
「あの鎧は機密性が高くて、そのおかげで火矢を射掛けられた際に、
 ウチの兵は煙を吸わずに済んだのです。だからというわけでもありませんが、
 水を流し込んだら、その水は外に出て行かず、そのまま重量となるのではないかと思いました。
 これは賭けでしたけど、どうやら開発コンセプトからして似ている鎧のようで、助かりました」
「お……のれ……」
「鎧の性能を過信し、弱者を侮るからこういう目を見るのですわ。
 では、皆さん、あの重歩兵を行動不能にして差し上げましょう」
「おーす!」
長槍を取り落としたのをいい事に、しつこくしつこく
三人同時に体当たりを仕掛ける傭兵達。何度か体当たりを繰り返していると、
だいぶ重心がふらついてきた。
「どりゃ〜!」
何度目だったろうか。遂にたたらを踏み始める重歩兵。
「えいっ」
そこに文字通り、横槍で突きを入れてやると、
重歩兵は遂に、仰向けに転倒した。鎧の中に入った水が、
転倒した重歩兵の鼻に入ったらしく、軽く溺れている。
「あら、水を入れすぎてしまったかもしれませんね」
しかし、最終的に重歩兵が溺死するほどの水は入っていなかったらしく、
数回水を飲んだだけで終わった。しかし苦痛としては充分だったようで、
重歩兵は動く気力も残っていないようだった。見事な作戦勝ちである。
また、運も良かった。正門から池が近いので、運ぶ際に
時間がかからなかったのも勝因の一つと言えただろう。
イリノアの健脚と反射神経、池、正門との距離、そして人手。
どれが欠けても敗北は確定的であった。味方が使うと頼もしい超重鎧も、
敵が類似品を使うと恐ろしい事になる。そうやって戦争というのは
拡大していくのだと、切ない気分になるイリノアだった。
「ふう……さて、正門の護衛に回らなければいけませんね……行きますよ」
「はい!」
正門に戻ってみると、まだ乱戦が繰り広げられていた。
どうも腕っ節的に互角に近いようで、本来余力として残っていた三人を
イリノアが呼んでいたために、双方、膠着状態に陥っているようであった。
「さあ、加勢をしま――」
パンパン、パパンパン!
加勢しようとした途端、裏門の方からけたたましい爆竹の音。
「裏門? 何があったのです!」
「連絡要員、いないのか!」
イリノアの傍の傭兵がわめくと、連絡要員がほどなくやって来た。
「裏門に奇襲! 敵は二十三名ほどで……じゅ、重歩兵もいますーッ!」
「何ぃぃッ!」
傭兵団は大袈裟に驚くが、イリノアは楽観していた。
「対処法が分かった敵など、どうという事もありません!
 あなた達は台車を用意して、いっぱい水を汲んで持ってきて下さい!
 それに裏門には、こちらの超重鎧兵もいますし、
私も行って、頭を押さえます。お急ぎ下さい!」
しかし、二十三名とはとんでもない数を投入してきたものである。
恐らくこちらが敵の本隊なのだろう。だとしたらアレンもそこにいるのかもしれない。
そんな考えを振り払うように、イリノアはひた走る。
少々不安は残るが、正門の敵十二名と、味方十二名は互角で力量も拮抗しているため、
しばらくは膠着が続くだろう。放置するしかないのだ。
「待っていて下さい……!」
間に合うだろうか。そんな事を思いながら走ると、割とすぐに裏門が見えてきた。
見ると、重歩兵一名に、十名もの傭兵団がたじろいでいる。本気でまずい事になってきた。
どずっ!
その瞬間、邸宅に設置されていた移動式の弩砲台からであろう。
凄まじいスピードで、矢が地面に突き刺さる。
そのスピードと威力のある矢は、重歩兵をかすめたようで、流石に大きくよろける。
凄まじい破壊力だ。今にも突っ込もうとしていた、重歩兵を除く敵の二十二名も、
思わず躊躇して身を引いてしまった。
だが、重歩兵に対してはそれでも大きなダメージにはならなかったようで、
またすぐにこちらの傭兵団を蹴散らしにかかる。
「そうはさせません!」
そこに到着したイリノアが『牙斬』の柄で、先に二名ほどの革命軍メンバーを
叩き伏せ、昏倒させ、機先を制した。
これで数は十対二十。戦力比は重歩兵とイリノアを除いて、一対二に等しくなった。
「そうはさせんのはこっちの方だ!」
重歩兵がイリノアに攻撃を仕掛けてくるが、段々調子の上がってきたイリノアは、
回避と防御に専念し、まともに受けるのを避け続けた。
と、同時に革命軍の兵を狙って、次々と攻撃を仕掛けていく。
アキレス腱を斬り、腕の神経を斬り、たちまち二人を戦闘不能にする。
更に戦況は好転した。大量に水の入った容器を持った、三名の援軍が到着したのだ。
「お嬢! お待たせしました!」
「またまたお世話様です。先程と同じ手順で攻めますよ!」
大量に水があるとは言っても、汲んで溜めるのには時間がかかるし、
また正門と違って、裏門と池には結構な距離があるので、出来れば一度で成功させたかった。
それに試みがバレた場合は、他の敵兵による妨害も有り得るだろう。
イリノアは更に二人を戦闘不能にし、敵戦力を重歩兵除いて十六名にした。
その直後にバケツを受け取り、水をかけにかかる。
「何を考えてるか知らんが、させんぞ!」
イリノアが、水を容器から開放する直前で、
革命軍の兵士六名ほどが、盾を持って立ちはだかる。
当然、水は盾で弾かれ、重歩兵にはしぶき程度にしか、かからない。
「くっ、流石に目論見が甘かったかも知れませんね……!」
「どういう理屈かは知らんが、正門の奴もそれで倒したようだと、
 容易に想像はつくからな。大人しくさせてやるなどと、思ってくれては迷惑だ!」
盾を持ったまま、じりじりと詰め寄る革命軍六名と、その中心にいる重歩兵。
他の十名は、こちらの傭兵団十名と、膠着状態なので、どちらも動けない。
何故だか知らないが弩砲台による援護も無い。イリノア達への誤射を嫌っての事だろう。
「怯んではなりません! どうせ駄目で元々、上手くいけば儲けものです。
 全ての水をひたすら重歩兵めがけて放って下さい!」
「おうっ!」
必死に汲んできた水を惜しげも無く、必死に放出する傭兵団。
よく見ると、恐らくはファイマの私物であっただろう水風船まで入っている。
慌てた革命軍は、これまた必死に、水が重歩兵にかからないように、盾で塞いでいた。
完璧とは言わなかったが、確かに見事な防御である。
重歩兵の被害は、せいぜい中の服が濡れた程度で結局終わってしまったようである。
「読めたぞ。水の重量で俺を動けなくして、そのまま押し倒すつもりだったか」
どうやらただの馬鹿ではなかったらしく、こちらの作戦を勘付かれてしまった。
もうこの作戦は一切通用しないだろう。通用したとしても、時間がかかりすぎて、
その間に裏門を抜かれてしまう可能性の方が遥かに大きい。
こうなると、人数で劣るこちらの方が不利になる。
まして重歩兵をけしかけられたら、まずイリノアでは勝つ事が出来ない。
さりとて、火を使うのは躊躇われた。焼死する可能性が高いからである。
いくら敵でも、イリノアはそこまでするのは気が引けた。その時である――
上から様子を見ていたのだろう。そこに、よりによってファイマが現れた。
「母上、がんばって!」
「ファイマ! 危ないから中に入っていなさい!」
「やだ!」
ファイマはそう言うと、鞄の中から何かを取り出して、敵に投げつけた。
どこから持ってきたのか分からないが、金槌である。当たれば『痛い』では済まない。
ごん!
重歩兵に直撃して、金槌は落下した。痛みは無いようだが、
音が相当響いたようで、少し頭を抱えている。
その後もファイマはどこからそんなに持ってきたのかは知らないが、
工具類と思わしき金属の物体を重歩兵に雨あられと投げまくる。
レンチ、スパナ、ラチェット、ペンチ、ニッパ、バール、ノコギリ、
しまいには砥石やら金釘やらと、やりたい放題である。
それらが直撃するたびに重歩兵が、騒音で頭を抱える。相当不愉快なのだろう。
「あいつを……あのガキを誰か押さえろ! 今すぐにだ!」
重歩兵が、うるさくがなり立てるので、慌てて革命軍六名はファイマに目標を絞った。
「ファイマ!」
悲鳴に近い声をあげ、ファイマのガードに入るため、走るイリノア。
だがそれの敵が狙い目だった。
「女が隙だらけだ、押さえろ!」
ただちに重歩兵の指示に従い、三人がかりでイリノアの両手両足を掴み、完全に動きを押さえた。
「痛……ッ!」
「母上〜!」
イリノアを助けようにも、増援の傭兵団三名は、革命軍三名にかかりきりで、救助に行けない。
ファイマももう、投げる物を持っていない。ファイマにはただ、喚くしか出来なかった。
「よし、よく捕まえたな」
重歩兵は満足そうに言うと、槍を持って羽交い絞めにされた上、
足を掴まれたイリノアに向かって近付いてくる。
「女をいたぶるのは趣味じゃないが、あんたは強いんでね。
 まあとりあえず足の一本でも刺しておけば、行動不能になるだろう。
 これで、チェックメイトだな。覚悟しろ」
「――ッ!」


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