ロード・オブ・マーシナリー〜親子で出来る冒険者のなり方〜


三日目(後編) 無垢なる修羅

イリノアに突きつけられた槍が、今にも刺されようとした瞬間だった。
「そうはさせん!」
邸宅の二階に、いつの間にか男がいた。声はその男のものだった。
顔は見えないが、服装が原色に近い青ずくめなのは分かる。
心なしか声は聞き覚えのあるものだった。イリノアのみならず、この場にいるほぼ全員に。
「何者だ? 傭兵団の新顔か何かか?」
重歩兵が振り向き、質問を浴びせるが、それには答えず、
謎の青ずくめ男は、邸宅の二階の屋根から飛び降り、
その勢いでイリノアを羽交い絞めにしていた兵を横から蹴った。
「ぐふぁッ!」
イリノアは解放されたが、蹴倒された男と同じ勢いで、
一緒に転がる羽目になってしまった。だがこれは正しい判断である。
意図を読まれて首筋に刃物でも突きつけられるよりは、余程現実的だからだ。
「ふん!」
「ぐぇっ!」
ついでに足を掴んでいた革命軍の兵士を、青ずくめ男は踏んづけて戦闘不能にする。
「あいたた……」
イリノアは起き上がりざまにその青ずくめ男の方を見ると、もう三人目を片付けていた。
背中に格納された武器――大きな斧さえ使っていない。
「母上〜!」
泣きじゃくりながらファイマが近寄ってくる。
「よしよし、もう大丈夫だからね……どうやら味方が来てくれたみたい。
 しかも……私よりもかなり強いのが……」
自由になったので、羽交い絞めにされた際に落とした『牙斬』を拾うイリノア。
「ありがとうございます。あなたが例の援軍の方ですね。お名前は?」
「名前……? そうだな? 名前か……」
「!」
名前など訊く必要は無かった。その聞き覚えのある声を近くで聞けば充分だった。
イリノアの表情が一瞬で変わり、青ずくめ男に詰め寄る。
「ちょっとあなた! こんな所で何してますの、ア……げぐご! むがが!」
口を塞がれ、その先を言わせてもらえなかった。
そう、この男こそ、騒動の発端にして現ライゼ地方領主、
そしてイリノアの夫にして婿養子、ファイマの父、アーネスト=リヴィードその人である。
しかし明らかに格好が変だった。まあ背中の斧はともかくとして、
原色に近い青ずくめもそうだが、何より怪しいのは目元を隠す謎の仮面である。
正直、街中で見かけたら、真っ先に役人か警察に通報したくなる類の印象を与える。
ひたすら怪しい。怪し過ぎる。
その妻であるイリノアに対し、アーネスト改め、青ずくめ男は小声で耳元に囁く。
(公務以外で素顔を晒していると、借金取りがうるさいもんで、
 仕方無くだ。手紙にも書いてあっただろう? 必ず顔を見に行く、と。
 戦場になっていたのは驚いたが、本当に危なかったな。間に合って良かった)
とりあえず、青ずくめ男に合わせて小声で囁く。
(だからと言って、息子の前でまで仮面というのはどうなんですか?)
(大丈夫。あの年頃の子は、謎のヒーローとかそういうのに興味を抱いたり憧れたりするもんだ。
 そういう風に躾けたのもイリノアだろ? 夢は与えてやらんとな)
(そうかもしれませんけど……まあ、とりあえずありがとう。
 アーネスト。本当に危ない所でした。やはりあなたは頼りに出来ます)
(そいつぁどうも)
そこまで素早く話して、青ずくめ男はイリノアから離れた。
「さて、ファイマ君!」
わざと他人行儀に、ファイマに話しかける青ずくめ男。
「おじさん、だれー? あと、母上助けてくれてありがとーございますー」
「うむ、俺は礼儀正しい子は好きだぞ!」
頭を撫でくり回してやる青ずくめ男。いつもなら隠れてしまうのだが、
聞き覚えがある声だからなのか、安心してなすがままだ。
というより、実の父親の声なのに気付かないのだろうか、とイリノアは訝った。
「あと、俺はおじさんではない!」
そう言うと、背中からイリノア同様に固定具を解除し、大斧を抜き放ち、
そして見事に、悔しいぐらい格好良く構え、未だ呆然としている重歩兵と対峙する、青ずくめ男。
「俺の名は……!」
そこまで言うと、肝心のその部分を考えていなかったのか、
青ずくめ男の動きが一切停止した。
イリノアは頭を抱えた。
「いや、俺の名はって……あんた、確か領主のアーネ――」
「違ぁぁう!」
声に聞き覚えでもあったのか、指摘しようとする重歩兵に対し、
青ずくめ男は必死に喚きたてた。謎の青ずくめ仮面男として登場した以上、
ファイマにバレると、夢をぶち壊しにしてしまう恐れがあるので、
何としてもバラすわけにはいかなかった。
「ちょっと待ってろ! 俺の名前は――」
懸命に考えた。二分ほど経っただろうか。
ふと思いついたように、また同じポーズを取り直す青ずくめ男。
「俺の名前は!」
「おれの、なまえはー?」
後ろからファイマが野次っぽい声を入れてくる。純粋に興味があるのかもしれないが。
「俺の名前は、正義の仮面傭兵、ダディマスク!」
イリノアが思わずコケる。まさか二分も要して出した答えがそれとは、
あんまりと言えばあんまりだ。酷過ぎる。
「ダディマスクー!」
何故か喜んでいるファイマ。やはり気が付いていないらしい。
まあ無理もないかもしれない。アーネストはファイマが物心付くか、付かないかの頃に
出て行ったきり、それ以降一度も会っていないのだから。
「か弱き女子供を救うため、月夜の中より堂々推参!」
ネーミングがネーミングのため、あまり格好良くは無いが、
それを除けば、確かに正義のヒーローっぽくはあった。
「いや、でもやっぱりその声、領主の――」
「俺がダディマスクっつったらダディマスクなの!
 いいから黙って付き合え! っていうか空気読め!
 近くにお子様がいるんだぞ!」
「はあ……どうもすんません」
何故だか自分は悪くないのに謝る重歩兵。
イリノアはこの隙に、ファイマを抱きかかえていた。
「強くなるのはいいけど、ファイマ。ああいう大人にはなったら駄目ですよ」
「なんでー? ダディマスクかっこいいー」
「格好良くても駄目です!」
「うー」
ファイマは不満気だったが、放っておくと自分の息子が本当に、
ああいう恥ずかしい事をやりかねないので、今のうちに
ちゃんと釘を刺す必要がある、とイリノアは思った。
「ともあれ、そこの重歩兵。この『爪折』の餌食になりたくなかったら、
 大人しく去るがいい……そうするなら見逃してやらんでもない」
「あれはやっぱり……!」
イリノアが目を見開く。アーネスト改めダディマスクが持っているのは、雌雄一対の、
リヴィード家の家宝の一つである。
長槍『牙斬(きばきり)』と対を成す『爪(つめ)折(おり)』という柄の長い大斧だった。
大型の肉食獣の最大の武器であった、鋭く、かつ硬い爪を、ガードしただけで
折ってしまった事から付けられた名らしいが、これも眉唾ものだとイリノアは思っていた。
しかし頑丈さにおいて他に類を見ないのは確かで、長期戦には欠かせない武器と言える。
長槍『牙斬』と同等以上の頑強さを見せ、まさに雌雄一対の武器と言えた。何故ならば、
比較的重量の軽い『牙斬』はリヴィード家の女性が、
一方、やや重い『爪折』は男性が使う武器というしきたりを決めてあったからである。
家紋の件といい、武器といい、貴族やら王族やらの格式高い家柄というものは、
こういう面倒な決め事が多いものである。
その『爪折』を構えるダディマスク。
「よく言う! この重装甲を抜けると思うのか!」
「思う!」
そう言うと、ダディマスクは一気に距離を詰める。
対応しきれなかった重歩兵は、長槍を構えてガードするしか出来なかった。
「ふん!」
強引かつ乱暴な、しかもシンプルに過ぎる振り下ろしの一撃。
『爪折』は重歩兵の槍を難なくへし折った。そのままの勢いで兜に炸裂する。
何やらあり得ない形に兜が変形した。兜自体は割れてはいないようだったが、
ものの見事に重歩兵が昏倒する。
「凄ッ……!」
敵兵三名の制圧を終えた、傭兵団の三名が驚愕する。
まさかまともな格闘攻撃で重歩兵を撃退する男がいるなどとは思わなかったのだ。
(相変わらず魅せてくれますね)
イリノアが微笑むと、ダディマスクはガッツポーズを取る。
ただ、相当に無茶な攻撃には違いない。普通の斧なら、まず刃が砕けるか、
でなければ柄が折れている。それほどの怪力で大斧を叩きつけたのである。
中の重歩兵は無事では済まないだろう。死にまではしないだろうが、
良くて顔面のどこぞの骨を骨折、というところだろうか。
「その斧はやはり威力がありすぎますね。生身の人間に使う武器ではありません」
イリノアが苦言を呈する。
「俺もそう思っていた。久々に全力で使ったが、あまり本気で使っていい武器じゃない」
「では、ダディマスクさん。あなたは敵の武器破壊に集中して下さい。
 それだけでも充分、戦力を削ぐ事が出来ますので」
「そうだな。制圧は任せる」
夫婦ならではの短時間の以心伝心。一朝一夕ではこうはいかない。
傭兵団三名はファイマの護衛に、イリノアとダディマスクは敵兵の制圧に動こうとしていた。
しかし、その時である。邸宅内から爆竹の音。
「奇襲!? どこからです!」
イリノアが対応に困っていると、三階からお手伝いさんの声が聞こえてきた。
「イリノアさん! 本気で危ないです! 空から三人来ましたー!」
「空からですって?」
多少納得がいかなかったが、邸宅内に戻る時間も無さそうだった。
もう空中の敵に対しての迎撃が始まっていたのである。

「君達、照準合わせ後のタイミング測定を頼む。いいな!」
「やってみます!」
セルバンテス町長は、自ら弩砲の照準をつけていた。
かなり昔にやっていた、狩猟の腕が役立つだろうか。
相手はハングライダーを使っている。翼の一枚でも弩砲台で撃ち抜いてやれば、
たちまち墜落ないし不時着するだろう。
照準セットと補正は自分で、タイミングのみを傭兵団に測定させる。
入念な試射で矢の速度と軌道は、大体計算済みである。
かなり距離があるので、当たる自信は無い。
敵は三名いるようだが、そのうち二人でも仕留められれば上出来だろう。
中に直接踏み込まれたら白兵戦をするしかない。
「方位、真南。射出タイミング計測、いけます! 補正は任せました!」
傭兵の声に応じ、大雑把な補正を町長自らが行う。
直接護衛要員の二名がタイミングを読む。
「もうすぐ軌道的に完璧です。三……二……一……今!」
合図に従って、セルバンテス町長が引き金を引く。
矢は凄まじい勢いで革命軍のパラグライダー隊の三名へと向かっていった。
残念ながら矢は大幅に外れたが、必要以上に怯んだ一名が速度と滑空角度の調整を誤り、
そのまま不時着態勢へと入った。事実上の撃墜と一緒である。
今のは、こちらに大型射撃兵器がある事を計算していない相手が驚いただけなので、
運が良かっただけのラッキーショットだ。
次は確実に回避態勢に移るだろう。そもそも三発目を撃つだけの
時間的余裕は無いかもしれない。せめて第二射で、一人叩き落さなければ。
「方位、右に約二十度。下に三度から五度の間で……よし、そのままです」
傭兵のアドバイスに従い、セルバンテス町長は再度狙いを付けた。
「タイミング、合わせ。三……二……一……今!」
「食らえ!」
弩砲台から、矢が再び放たれた。
「うあああッ!」
ハングライダーに命中したようだ。敵兵は不自然なきりもみ回転をしながら、落ちていく。
高度を考えれば、重傷ぐらいは負うかもしれないが、致命傷にはならないだろう。
だが、第三射を撃つには時間が足りなさすぎる。
「万策尽きたか……ッ! 諸君、白兵戦の準備を!」
「了解!」
セルバンテス町長と直接護衛の二名は、覚悟を決めた。

一方、イリノア達の間近に、大きな道具らしき物が落ちてきた。
「うああああああ!」
落ちてきたのは、ハングライダーである。
傷は無いようだが、何かに驚いて操縦をミスしたようである。
そのまま不時着し、衝撃で敵兵が失神していたのを確認した。
「空から……ハングライダーだと!」
傭兵達は、革命軍の奇策に戦慄するが、イリノアは比較的冷静だった。
「でも、落ちてきたという事は弩砲台で落とされたって事ですわね。
 これなら大丈夫だと思いますけど」
平然というイリノア。
「敵の距離、分かりますか? ダディマスクさん」
「ああ……何とか肉眼で……見えなくもないな。お、あれは……」
更にハングライダーが一機、きりもみ回転しながら落ちてきた。
「わああああ!」
ハングライダーは一機目の近くに墜落。敵兵は骨を折っているようだが、
とりあえず生きているようで何よりである。
「まずいな」
「何がですか?」
ダディマスクが焦り出した。
「護衛対象は中の三階だったな? あの距離から逆算すると、第三射は間に合わん。
 下手をすると、邸宅内での白兵戦になるぞ」
「それはまずいです! 急いで中に!」
イリノアが玄関へ戻ろうとすると、ファイマがそれを止めた。
「待ってー!」
「後にしなさい、ファイマ! 今は――」
叱責しようとするイリノアを無視して、ファイマは声をあげた。
「ペールギュント!」
呼び声に反応し、中で休んでいたはずの伝書鷹――
ペールギュントが素早くファイマの肩当てに向かって飛んできた。着地も見事である。
「敵はあそこ。狙える?」
ペールギュントに向かって、標的であるもう一機のハングライダーを指差すファイマ。
『容易い事だ』と言わんばかりにペールギュントはひと鳴きする。
それを見たファイマは満足そうにすると、標的を再度指差した。
「行って来て! ペールギュント!」
ペールギュントがふわりと飛び、次第に加速する。
だがその様は勇猛を通り越して、どこか優雅でさえあった。

アレンのハングライダーは二度の射撃にもめげず、果敢に飛行を続けていた。
敵の第三射が襲う前に、邸宅に到着するはずだ。だが、絶望的なアクシデントが彼を襲う。
「うおっ! 鷹だと!」
何故か知らないが、鷹がいきなり現れて、ハングライダーに近寄ってきた。
「邪魔だ、鳥風情が! 失せろ!」
ペールギュントは非常に賢い鳥であった。その言葉の意味を察し、更に猛り狂う。
ビッ!
ペールギュントの鋭い爪が、ハングライダーの翼(セール)を引き破った。
「何てことしやがる、やめろーッ!」
ビリッ! ビッ! ビリビリ!
次々とペールギュントは、爪と嘴で執拗にハングライダーの翼の素材を引き破る。
鷹の爪と嘴は、それほどまでに鋭いのだ。本来伝書用であるはずのペールギュントだが、
こういうツブシの効く事も出来る点が、普通の鳥より遥かに有能である。
「ちっくしょおぉぉぉぉ……!」
翼の大半が機能を失った時点で、ようやくペールギュントは攻撃をやめた。
当然アレンのハングライダーは、もはや飛行はおろか、滑空さえ困難となった。
みるみる落下していくアレンを尻目に、ペールギュントも
それ以上の速度で主人の元へ戻っていった。
ファイマ=リヴィード。彼は四歳にして猛禽類を飼い慣らし、
鷹匠の真似さえしてみせる、恐ろしい幼児であった。
充分な下調べをするだけの度量があったはずなのに、
その事だけを知らなかったのが、彼の不幸である。

同時刻、町長も驚いていた。
何もしていないのに、ハングライダーが勝手に落ちていくのだ。
「……私達は何かしただろうか?」
「さあ?」
町長と同じ場所にいた全員が呆気に取られるばかりであった。

「戻ってきたー」
傭兵三名が復帰し、裏門の制圧を順調に進めている
味方部隊をチラチラ見ながら待っていたイリノアとダディマスクは、
ペールギュントが戻ってきたのを見て安心した。
無事に戻ってきたのなら成功した事に他ならないからである。
ペールギュントは鮮やかにダディマスクの肩の上に乗った。
「よしよし、偉いぞ、ペールギュントとやら」
「そっちじゃないのー!」
駄々をこねるファイマだが、ダディマスクに懐いているのも仕方が無い。
そもそもを言えば、ダディマスクことアーネストが、
ペールギュントを雛の時代から面倒を見て、念入りに育てていたのだから。
ファイマをそれを受け継いだに過ぎないのだ。
「ファイマの方に行くのだな、ペールギュント」
ペールギュントはファイマの方に戻っていった。
「僕がマスターなのー!」
叱ってやるとちょっと申し訳無さそうに鳴くペールギュント。
だがそんな微笑ましい光景も長くは続かない。
三機目のハングライダーが墜落してきた。
だが今までの二人と違って、適切な対応を取ったためなのか、
大した傷も負わず、すぐに敵は起き上がってきた。
「そうか……あの鳥はお前等の差し金か! イリノア=リヴィード!」
憤怒の形相を浮かべ、起き上がってきたのは……アレン=リーフィエだった。
「アレン! まさかそっちが本命だったなんて……!」
流石に空を飛んでくるとは思っていなかったので、イリノアは素直に驚いた。
「おうさ! そのまま邸宅に殴り込みをかけようかと……ん?」
アレンは言葉を止めて、見慣れない青ずくめ男(ダディマスク)を見やる。
「あーッ! 手前ェは昼間の屋根に寝てた変な奴! 手前ェ、そっちの人間だったのか!」
「何の事だか分からんな」
ダディマスクは自分が見られていた事を知らないので当然である。
「昼間、俺はハングライダーで飛ぶために、
 飛行ルートの模索目的で山に登って、望遠鏡で町を見てたんだよ!
 そしたらお前が屋根の上で寝てやがった! 他人様の家の上で」
「失礼な。ちゃんと家の人の了承は取って昼寝をしていたぞ」
「っていうか手前ェ、領主のア――」
『わああああああッ!』
『アーネスト』の一言を言わせないために、イリノア達は夫婦揃って
大声を張り上げた。たぶん、最近の数年間で一番の大声である。
「違う! 俺は! ダディマスク!」
「そう、この人はダディマスク!」
その勢いに気圧されたが、アレンはどうも納得いかない模様である。
「えー? でも絶対俺、その声聞いたことあるぜ?」
「いいからしょうもない事言うな! 近くにお子様がいるんだぞ!
 謎の仮面傭兵として現れた以上、子供の夢は守らねばならんのだ!
 いいから空気読めお前!」
「はあ……」
何やら触れてはいけなかったと思ったのか、アレンは一応、無理矢理納得した。
「で、そっちのガキは?」
「私の息子です! ちなみに肩に乗ってるのが我が家の伝書鷹です!」
「……じゃあ俺、伝書用の鳥に襲われて叩き落とされたのかよ……」
 今度は打ちひしがれるアレン。相当プライドが傷付いたらしい。
鷹に襲われて墜落し、かすり傷で済んでいる事自体が
異常なのではあるが、それはどうでもいいらしい。
ファイマはファイマで、隙あらばまたしてもペールギュントをけしかけようと、
タイミングを狙っていたりするから油断ならない子供である。
将来が本当に本当に、いやまったくもって本当に楽しみだと言える。
「いや、待てよ。リヴィード家のガキだと?」
何か良からぬ事を企んだのか、アレンが立ち上がる。
どうやら自分で立案していた人質作戦を思い出したようだった。
「何を企んでいるのかは知らないですが、あなたの作戦は全て打破しました。
 大人しく降伏なさい、アレン=リーフィエ!」
「そうはいくか!」
アレンは、ファイマを捕縛しようと思って、じりじりと距離を詰める。
「何をする気だ! アレンとやら!」
「そこで見てろ、青ずくめ! あのガキを人質に、お前等にロード退位を迫ってやる!」
何とも分かりやすい説明をするアレン。
「いくらロードだって手前ェのガキは可愛いはずだ!
 恨むなら、こんな戦場に戦士でもない、ただのガキを連れてきた自分を恨め!
 イリノア=リヴィード! これで俺はライゼ地方の新領主だ! ざまあみろ!」
それを聞いて、ファイマがいきなり逃げ出した。
「まずい!」
距離が開くと、かえって守りづらくなる。
ダディマスクはそれを危惧した。案の定、アレンのダッシュが速かった。
力だけではなく、足も速いらしい。
ファイマも四歳児にしては足が速い方だが、限界がある。
しかし俊敏さはあるいはイリノア以上かもしれなかった。
捕まえようとして伸ばされたアレンの魔手を、ひょいひょいと避けながら、
しつこく庭園中央へ向かって逃げていく。
「イリノア、お前の方が足が速い! 急げ!」
言われなくても分かっているイリノア。素早く駆け出したが、あまり差が縮まらない。
卓越したアレンの身体能力に舌を巻くばかりだった。
「このッ!」
アレンは庭の小石を拾うと、ファイマに向かって投げつけた。
だが幸か不幸か、その場でファイマは大きく転倒し、膝を擦り剥いて、大声で泣き出した。
もちろん、動きなどとうに止まっている。
「ああぁーん! 母上ぇ〜!」
「いけない! ファイマ、逃げて!」
イリノアの悲痛な願いは届かなかった。
「これでチェックメイトだ、小僧!」
アレンの手がファイマを掴もうとした瞬間だった。
ごばっ!
間抜けな音を立てて、地面が崩落したのだ。
「のがッ!」
これまた間抜けな声をあげて、アレンが落下していく。
ファイマと、その指揮に従った傭兵達が、丹精込めて作り上げた、
なんと深さ、実に七メートルもの落とし穴に――
アレンが落ちた時点で、ファイマはぴたりと泣き止むのをやめた。
どうやら嘘泣きのようである。
「引っかかったー」
喜色満面で、イリノアに飛びつくファイマ。
我が子ながら呆れるほどの演技力である。自分が子供である事を利用した、
姑息ながらも見事な策である。まさかここまでの計算をしていようとは、
イリノアは夢にも思わなかった。末恐ろしい子供である。
落とし穴に関わる事情を知らないダディマスクは呆気に取られるだけだった。
特に不思議なのは、ファイマも乗ったはずなのに、その時は落とし穴が崩落しなかった事である。
「ど、どうなっているんだ?」
「あのね、ダディマスクのおじさんにも分かるように言ったげるの。
 僕みたいな子供が乗っても落ちないように、
 蓋を上手く作ったの。大人の重さだと落ちるのー」
どうやらこれも計算済みらしい。自分が乗っても落ちない落とし穴とは、
何とも反則的ではあるが、これも子供ならではの技というべきである。
「そ、そうか。いや、実に見事だった。そう、君も立派な戦士のようだな!」
あまり格好はついていないが、まがりなりにも
母親を上回る戦士に認めてもらって、彼は気を良くしたようだった。
「しかしよくまあ掘りましたねー。これ、二〜三メートルじゃ済まないですわよ」
「畜生! 出せーッ!」
やたらとエコーのかかったアレンの声が落とし穴の中から聞こえてくる。
「しかし、手を突いて登ってくれば出れなくもないだろうに」
ダディマスクが疑問を投げかけ、落とし穴に触れるが、すぐに疑問は解けたようだ。
「……油を流し込んだな。これでは救助無しだと登れん」
恐ろしいほどの念の入れようである。
「傭兵のおじさん達が教えてくれたのー」
傭兵達のアイディアでカスタムされているようであった。
「このクソガキ! 出せ! 出しやがれ!」
「明日になったら出してあげるのー」
ファイマがちょっと意地悪く言うと、アレンは更に声を荒げる。
「手前ェのようなクソガキに俺の志が阻まれていいはずないだろ!
 いいから黙って助けねぇと、ぶち殺すぞ、ガキ!」
「むー」
ファイマが露骨に不機嫌になってきた。ファイマは邸宅に戻る。
「なんか機嫌が悪そうなのが怖いですわね、アーネスト」
「……ここではダディマスクだ。だが確かに気になる」
ほどなく、ファイマは町長の直接護衛要員二名を連れてきた。
うち一人は油の入った缶を持って来ている。
「お、おい。ファイマ。一体何を――」
ダディマスクの制止を聞き流して、ファイマは指示を出した。
「油、入れて!」
容赦無く傭兵は油を落とし穴に流し込む。
「こら、何しやがる! クソガキ! くそ、ヌルヌルする、やめろ!」
しつこく罵倒を続けるアレンの声は一切無視し、一缶分の油を丸々流し込んで、
もう一人の傭兵にファイマは指示を出す。
「マッチちょーだい!」
傭兵が火を点けた長いマッチを受け取るファイマ。
「まさか……!」
「やめなさい、ファイマ!」
ファイマが何をしようとしているのか、気付いたダディマスクとイリノアは
ファイマを止めようとするが、それより早くファイマがアレンに向かって怒鳴る。
「おまえの負けだー! てーこーをやめないと、すぐに火を点けるぞ!
 処刑されたくなかったらおとなしくしろー!
 母上にひどいことしたくせに偉そうにするなー!」
四歳児のわずかな語彙で放つ、恐ろしい脅し文句に、
アレンの悪態がピタリと、一切合財止まった。
確かにこれ以上の脅し文句は無いだろう。この瞬間、勝負は決まった。
幼さは純粋さ、純粋さは時に……残酷さでさえある。
ファイマは、良くも悪くも純粋であった。彼にしてみれば、
母親に手荒い真似をした彼に対して、これで済ませるのは、
精一杯の温情のつもりでさえあったのだ。
「もういいから、やめて! ファイマ!」
イリノアは涙が止まらなかった。これほどまでにファイマを修羅にしたのは何なのか。
間違いなく自分への愛情である。だがそのために、何より愛する息子を、
わずか四歳で殺人者にするわけにはいかなかった。
イリノアがファイマを抱き上げると、不満そうな顔のまま、ファイマはマッチの火を吹き消した。
「終わったな……」
よく周りを見渡すと、正門も、裏門も喧騒が無くなっていた。
味方が敵を全員捕縛する事に、無事成功したらしい。
こうして、ローレン・タウンの町長、リカルド=セルバンテス邸宅における、
三日間の激闘はようやく幕を閉じたのだった。


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